ジン・トニックは会議を踊らせる
ジン・トニックが簡単なカクテル、か。
まあ、レシピを見ただけなら、そう思うのかもしれない。
だけど、実際にはそんなことはない。無数のジンの中から、その味わいを知った上で調整をしなければ、香りも味もバラバラになる。
シンプル、ということは簡単とは違うのだ。
「いえ……同じジン・トニックでもそんなに種類があるだなんて。」
西田様が驚いた表情のまま、自分のグラスを眺める。
「こちらもひと口飲んでみなさい。堀君もだ。」
三人でそれぞれのグラスを交換して、飲み比べをしている。
香りを嗅ぎ、口を付けて味わいを確かめるたびに、それぞれの口から感嘆と驚愕が漏れる。
「こんなに……変わるのか!」
「そういうことだ。私がチーフに言ったことを覚えているかな?」
「確か……ジン・トニックを、三杯、と……。」
「そうだ。そのオーダーと、西田君にバーを見せたい。堀君も、余り経験がない。その三つの情報だけで、チーフはこの三種類のジン・トニックを作り上げたんだ。」
根津様がオレを見てニヤリ、と笑う。
「ご期待に添えられたのであれば何よりです。せっかくなら、同じジン・トニックでも色んなバリエーションがある、ということを知っていただけたら、と。そう思っただけなんですが。」
「それで十分だよ。ありがとう。」
それだけ告げると、根津様は自分の手元に戻ってきたノールドのジン・トニックを持ち上げ、喉を鳴らす。
その手を下げ、グラスを置いて。一つ、息を吐き出した根津様が言葉を続ける。
「さあ、西田君。このジン・トニックを飲んだ上で、もう一度、会議の報告と同じ意見でいるのか、教えてくれないか。」
会議? ジン・トニックと何の関係があるんだろうか。
疑問に思うオレの前で、西田様が視線をグラスに落としたまま、重い口を開く。
「確かに……ジン・トニック、というだけで、軽視するような発言は適切ではありませんでした……それは認めます。しかし、だからといって、ジン・トニックを店の目玉になど、やはり!」
ジン・トニックを……店の目玉に? 何のことだ?
「そうかな? チーフは、もちろんこれまでの経験もあって、とはいえ、これだけのジン・トニックを見事に作り上げ、私たちを驚かせてくれたじゃないか。シンプルかつ、誰もが知るカクテル。だからこそ、差別化にも繋がる。私は、良いと思うがね。」
まったく話が見えない……。
その時だった。堀様が、根津様に声を掛ける。
「会長。チーフさんもまったく話について行けていないようです。無関係ではないわけですし、ご説明された方が専門家としてのご意見も聞けるんではないでしょうか?」
え、オレ関係あるの!? オレ、何かしたっけ……?
「ム……そうだな。説明させてもらおうか。」
小さく咳払いをして、根津様が続ける。
「この間、この店に鈴木君が来ただろう?」
鈴木様……? 確か、あのダイニングバーのバーテンダー、だったはず……。
「思い出せたかい? その節は、迷惑を掛けたね。鈴木君に任せているあのダイニングバーはね、私の会社の一つが経営していてね。そこの社長が、西田君というわけだ。」
そうだったのか……。
でも、何故それが、会議でジン・トニックの話になるんだろう?
「まあ、私の会社、とはいっても、私もいくつか会社を持っている身だ。そこの新店舗だからと言って、すべてに関わっている訳ではないんだよ。実際、あの店にもオープンした直後に二、三度お邪魔しただけでね。後は西田君と、鈴木君に任せているんだ。鈴木君が店長だね。」
鈴木様は店長だったのか! なら、なおのこと、数字へのプレッシャーは大きかったはずだ。
彼が言っていた上、というのが――西田様になるのか。
「先日の会議でね。少しだが、ドリンクの売上が上がっていたらしい。その席で、鈴木君からね。もう少し落ち着いた内装、店舗に変えたい、と。お客様と向き合い、観察することのできる場にしたい、と予算の申請があったんだ。」
確かに、あの店だと……それはちょっと難しいかも知れない。
BGMの選曲、ボリューム。店内の席は仕切られ、バーテンダーからお客様の顔を見るのだって至難の業だろう。
「西田君はそんなことよりも、せっかくドリンクが上向いているなら、目玉になるような派手なオリジナル・カクテルを作れ、と。そう指示を出したそうだ。鈴木君はそれに反発して、どうしても目玉のカクテルを置くのなら、ジン・トニックで充分だ、と――会議が紛糾したらしくてね。」
「はい。それで、何故ジン・トニックなんて地味なカクテルを、と追及したところ、このお店で飲んだジン・トニックに感銘を受けた、と。鈴木君も意思が固く、どうしたものか、ということで会長にご相談した、という次第です。」
なる、ほど?
会社組織って、大変なんだなー。
そんな呑気な感想を抱く。もちろん、顔には出さない。
「その報告を聞いてね。鈴木君の言うことが正しい、バー文化を何だと思っているんだ、と西田君を叱責してしまったのさ。後から良く考えれば、彼にちゃんとしたバーを見せたこともないのに、バー文化などわかるはずもない。そう思って、今日は連れて来たんだ。」
「そう、だったんですね。私などでその大役が務められるかどうかはわかりませんが……。」




