三つのジン・トニック
「私は――ジン・トニックで。」
西田様は最初から決まっていたのか、メニューを開こうとはしない。
硬い表情が気になる。リラックスしてもらえる組み立てで考えてみようかな。
「かしこまりました。」
タンブラーグラスを手にして、作業台に置く。
「そうだ、ちょうど良い。チーフ、すまないが一杯目は、全員ジン・トニックにしてもらえるかな。」
そこで、根津様からのオーダーが入る。
全員同じジン・トニック――そこに、何かの意図を感じる。それが何かはわからないが、根津様のことだ。何かお考えがあってのことだろう。
「かしこまりました。堀様も、よろしいでしょうか?」
「あ、はい。すみません、お付き合いで違うお店に伺ったことはあるのですが、こうしたお店には、その、不慣れでして。会長の仰られる通りにお願いします。」
「かしこまりました。」
タンブラーグラスを二つ、さらに作業台に乗せる。その動きを、根津様が鋭さを増した視線で追う。
なんだか、やりづらいな……とにかく、今は集中しないとな。
さて、根津様が敢えて、のジン・トニック。
情報としては、西田様にバーの世界を見せたい、ということ。つまりは、西田様が今日の主役、と言ってもいいはずだ。
そして、見せたい、ということはそこまでバーに慣れた方ではないのだろう。慣れていない、ということでは堀様も同じらしい。
――なんとなく、だけど。
根津様がオレに求めるものが、わかったように思う。見当違いだったとしても、その時はその時だ。
素直にお詫びをして、作り直そう。
そう決めてからは早い。
三つのタンブラーグラスに、氷を組んでいく。そのまま、バースプーンを挿し込み、氷だけでステア。
溶け出たわずかな水は、バースプーンで氷を押さえながらグラスを傾けて捨てる。
バックバーに並ぶボトルから、三本のジンを選ぶ。
根津様には、ジンの原型ともなった、このジン――ノールド・ジュネヴァ十五年。
重厚で複雑な味わいは、根津様にも楽しんでもらえるんじゃないだろうか。
緊張した面持ちの西田様には、華やかなこのドライ・ジン――ボンベイ・サファイア。
シェイクに用いるのは少しコツが要るけど、ジン・トニックならもってこいだろう。
そして、堀様には、黒いこのクラフト・ジン――ヘンドリクス。
試飲してみた時に面白くて、試しに一本だけ仕入れたボトルだ。
選んだ三本を手に取るオレを見て、根津様が唇の端を持ち上げるのが見える。
良かった、そんなには外さずに済んだみたいだ。
メジャーカップにそれぞれのジンを量り入れ、グラスに注いでいく。
同じジン・トニックでも、こんな楽しみ方もあるんだ、というのを、三種類のジンで体験してもらえたら良いんだけど。
混ざり合わないよう、バースプーンを替えながらジンだけでのステア。
氷と馴染ませ、香りを開かせていく。
トニックウォーターを注ぎ、ボンベイ・サファイアのグラスにはスタンダードにカット・ライムを搾り入れる。
ヘンドリクスのボトルには、カット・ライムを搾らずにそのまま落とす。
再びバースプーンを持ち替えながら、氷をすくい上げるように――二回。
そして、根津様のノールド・ジュネヴァには、最後にライム・ピールだけ。
香りを飛ばしたライム・ピールを、アルベドを削り落としてグラスの縁から氷の隙間に落とす。
これで、できた。
それぞれの席の前にコースターを差し出して、グラスを重ねていく。
西田様と堀様は、興味深そうにそれぞれのグラスを見比べていた。
「お待たせいたしました。ジン・トニックでございます。」
「ありがとう、チーフ。さあ、まずは乾杯だ。それから、それぞれのジン・トニックの感想を教えてもらおうか。」
根津様が、薄い琥珀色に染まるグラスを持ち上げ、笑いながらお二人に声を掛ける。
三つのグラスが持ち上げられ、近付けられる。
「乾杯。」
「「ありがとうございます……乾杯。」」
恐る恐る、といった雰囲気で、グラスを唇に寄せて、傾ける。
三種類の香りが、それぞれのグラスから三人の鼻腔を刺激し、口腔内に液体が注ぎ込まれていく。
お気に召していただけたかな……。そんな不安を抱えながら、三つの喉仏が上下するのを眺めていた。
最初に声を上げたのは、根津様だった。
「これは――最初に見た時から思っていたが、これ、本当にジン・トニックなのかい?!」
「はい、そちらもジン・トニック、と呼んでいいはずですね。ライムをピール、皮の香りだけにしてはいますが。」
「しかし、この色、そして――ウイスキーのような芳醇な味わい! これが、本当にジンなのか!」
根津様の前に、ノールド・ジュネヴァのボトルを置く。
「そちらは、ジンの原型とも言われる、こちらのジュネヴァ・ジン――ノールドを用いました。十五年の樽熟成により、スコッチ・ウイスキーのような色合いと、芳醇な香りが特徴ですね。通常のドライ・ジンとはまったく味わいが違いますよね。」
陶器を思わせるような質感の、細長い特徴的なボトルを見ながら、口元を緩ませる根津様。
そして、次に口を開いたのは――西田様。
「こっちのはまた違うジン、なんですか?」
戸惑いと、わずかに口角を上げた表情がお気に召していただけたことを物語る。
「はい、そちらはドライ・ジンの中でも華やかな香りの、ボンベイ・サファイアを用いました。ドライ・ジンにしては軽やかで、私も好きなジンなんですよ。」
ヴェーパー・インフュージョン製法による、薫り高いジン――ボンベイ・サファイアの四角いボトルを西田様の前に置く。
透明な青いボトルが、ダウンライトの光に煌めいて見えた。
「ボンベイ、サファイア……前に飲んだジン・トニックは、臭くて飲めたものじゃ……。それとは全然違う――」
「そうですね、そのお店のジン、を試していないのでわからないですが。温度管理や量、組み合わせる材料、そうしたものの相性などもあったのかも知れませんね。ジンにも色々種類がありますし。」
最後に、堀様が目を丸くしながら口を開く。
「こっちのもまた……これは、なんと形容すれば良いのか……。」
『万人受けしない』と宣言して発売されたばかりの、プレミアムなジン。ヘンドリクスのボトルを、堀様の目の前に置きながら笑みを返す。
「そちらはクラフト・ジンのヘンドリクスでございます。薔薇と胡瓜のエッセンスが唯一無二のニュアンスとなっていて、一風変わった味わいですよね。」
「薔薇と胡瓜!? そいつは……いや、でも絶妙に合うな……!」
「お気に召していただけたようで、何よりです。」
緊張を解すように柔らかい笑顔を意識して、堀様のグラスを見つめる。
「ライムの入れ方も、それぞれ変えたね?」
根津様の指摘は、さすがだ。細かいところまで見ている。
「はい。それぞれのジンに合わせて調整しております。
西田様にはノーマルに、普通に搾り入れています。華やかな香りが一段引き締まり、これぞジン・トニック、という味わいを。
堀様には、特徴的な香りを邪魔しないように、搾らずに落として、氷と触れたライムの味わいでの変化を。
根津様には、純粋に熟成されたジンの味わいを楽しんでいただけるようにと、ピールで香りだけを置いてみました。」
西田様と堀様が、グラスを手にしたまま驚きの表情を浮かべる。
「どうだ? これでもジン・トニックが簡単なカクテルだと思うか、西田君。」
根津様が、西田様に笑いながら声を掛ける。ただ、その目だけは――笑っていなかった。




