新たな異名
「良かったぁ!!」
膝から力が抜けたのか、カウンターに寄りかかるようにして百瀬くんが息を吐く。
肩を叩いて、良くやったな、と声を掛ける。
「チーフから見てどうだった?」
根津様がニヤリと笑ってオレを見る。
「そうですね、70点かな?」
「えっ!」
「おっと、予想より厳しいな。どこが減点だった?」
「ステアが二回程多かったかな、と。あと、カウンターの中ではもう少し落ち着かないと、ですね。」
「そんなぁ!」
百瀬くんに向き直り、目を見て話す。
「ただ、ね。」
何を言われるのかと百瀬くんが身構える。
「最初に作っていた時。ステアを失敗した時――自分で作り直したのは良かった。あのまま続けようとしていたら、私が止めるところだった。」
百瀬くんの顔が強張る。根津様も苦笑いだ。
「いやいや、厳しいな、チーフは!」
「確かに、厳しいと思います。ですが、」
百瀬くんは、少し怯えたような目でオレを見ている。
「百瀬くんの、最初の一杯。どうしても、失敗させたくなかったんです。」
根津様も、小さくハッとした顔をして百瀬くんを見る。
「私自身、今でも最初の一杯を思い出せます。それは私の中で、原点だから。」
今でも鮮明に思い出す。
あの夜の緊張と――感動。
「その記憶は、バーテンダーである限り……いや、バーテンダーを辞めて、違う道に進んだとしても。決して忘れることはない。そうして、百瀬くんが『最初の一杯』を思い出す時に。」
今度は、根津様の目をしっかりと見つめて、告げる。
これが、彼の最初の一杯を指導したオレの責任だ。
「失敗をそのままに、誤魔化した思い出にさせることはできません。」
百瀬くんが俯く。握った両手が、小さく震えている。
「そう、だな。悪かった、確かにチーフの言う通りだよ。ただな。」
グラスを持ち上げて、根津様が再び、イタズラを思いついたような笑顔を見せる。
「それでもやっぱり、70点は厳しすぎるんじゃないか?」
敵わないな。
目を見合って、笑う。百瀬くんも、目を潤ませながら、満面の笑みを浮かべていた。
緊張に包まれていた百瀬くんも、大きな喜びの中にこれからの課題を見つけられたことだろう。
最初の一杯が、根津様で――本当に良かった。
「さすがはギムレットの王、だね。横山マスターより厳しいんじゃないか?」
ん?さっきも聞いたぞ、それ。
「ギムレットの王? 何ですかそれ?」
思わず聞き返したオレに向かって、根津様がヤベ、と舌を出して笑う。
「知らなかったの? チーフ、この辺りじゃギムレットの王、って呼ばれてるんだよ。最高のギムレットが飲みたきゃ、ここに行け、ってね。」
え、初耳なんですけど?
「あ、私も聞きました! Yでも王から学べるって、新人バーテンダーがこぞって行きたい行きたいって! くじ引きしてるくらいですよ!」
知らなかったの、オレだけ?!
「何それ……。」
「やけに最近、ギムレットのオーダー増えたな、とか思わなかった?」
確かに……思い返してみれば、全体の二割はギムレットだった気がする。
ショートカクテルだけに絞ってみれば、その半数以上がギムレットだったはずだ。
「まあ、これで王の後継者もできたな! 責任重大だぞ、百瀬くん!」
「プレッシャーかけないでくださいよ、根津様ぁ!」
有線から静かにルイ・アームストロングの『What a Wonderful World』が流れ、新人バーテンダーが確かな一歩を踏み出したその夜。
それは、知らないところで出回っていた、オレの新しい異名を知った夜になった。




