落とされた爆弾
お客様もまばらに立ち去って行き、そろそろ今日の締め、を考え始めていた時だった。
珍しく、最後のお客様になるまでお残りになっていた根津様が、声を掛けてくる。
「そっちの、百瀬くんだっけ?」
「はい、百瀬と言います! Yから勉強のためにお邪魔しております、よろしくお願いいたします!」
しっかりとお辞儀をして挨拶を返す姿に、好感を覚える。
「そうだよね、Yで見たことあるなと思って。どうだい、こっちには慣れたかい?」
「はい、お陰様で! Yとは違って、小ぢんまりした箱ですが、その分お客様との距離も近くて。良いお店にお邪魔させてもらえてるな、って思います!」
小ぢんまりした店で悪かったな、と心の中で毒づく。
まあ、確かにYからしたら、どんな店でも小さく見えるかも知れない。
「チーフは若いけど、すごいだろ?」
なんで根津さんが自慢げなんですか……そんなに持ち上げても、何も出ませんよ?
「すごいですね……お客様のお好み、体調、お酒の進み具合。そういうのも全部把握して、微調整して。正直、ここまではしてるところは少ないんじゃないでしょうか。マジで勉強になります!」
素直な褒め言葉に鼻がむず痒くなる。
同時に百瀬さんの敬語が崩れているのが気になった。
後で店の責任者として軽く注意しておくか。
この場で指摘しなければならない程致命的、ではない。
今じゃなくても全然問題ない。
「ね。いやホント、この歳でここまでってのは、並大抵の努力じゃできないはずだよ。いいお店で勉強させてもらって、良かったじゃないか。」
「本当に、尊敬しますよ! Yでも、ここの研修は取り合いですからね!」
色々質問されたりすることはあったけど、研修の枠を取り合っているなんて話は一回も聞いたことがないぞ?
「Yもめちゃくちゃ良いお店なんですが。どうしても大箱なので、スタッフも多いから……。」
「確かに、しっかりしたお店だよね。でも、その分カウンターに立つ許可が出るまでは、かなりの時間がかかるんだろ?」
「そうなんです……。私も、自分なりには勉強して、時間がある時には見てもらったりもしてるんですが……なかなか合格が出なくて。」
その声は、悔しさを噛み締めるように小さく聴こえた。
だけど、俯いていた顔を上げ、ハリを取り戻した声で嬉々として言葉を続けた。
「でも、このお店に来るようになってからは、時間がある時にマンツーマンでご指導いただけて! Yに帰った時に、横山マスターからも、だいぶ伸びたなって言ってもらえてるんですよ!」
そうなんだ……。
同門のよしみだからと一方的に助けてもらってる、と思っていたけれど。
少しでも百瀬さんにとって、役立てているなら良かった。
これ以上恩ばかりが増えたら、どうやって返して良いかわからなくて、申し訳なさで潰れるところだった。
少し安堵していたところで、根津様が爆弾を落とす。
「それは良かったじゃないか! どうだい、一杯作ってみてくれないか?」
見習いがお客様に初めて出す一杯――それは、ただの一杯ではない。その後のバーテンダー人生を決める。そのくらい、大切な一杯だ。
さすがに、お預かりしている身ではその責任は負えない。百瀬さんの本当の師匠である、横山マスターに合わせる顔が完全になくなる。
「根津様、申し訳ありません。さすがに、それはちょっと……。」
本音では作らせてあげたい。
お客様にお酒を出す喜びを知って欲しい。うまい、と言われる時の、あの震えるような感動を体験させてあげたい。
でも、カウンターに立つ以上はプロだ。
お店によってその基準がある。
百瀬さんは、あくまでヘルプで来てくれているだけ。紛れもないYのバーテンダーだ。
なら、その許可を出す権利は横山マスターのものだ。
オレが許可を出すわけにはいかない。
「横山マスターには、さっき許可をもらってあるんだ。」
心臓が、ドクン、と大きく音を鳴らして跳ね上がる。
「えっ……いつの間に?」
もしかして――
先程の、あの悪戯を成功させた時のような根津様の笑み。
珍しくこんな、わざわざ他のお客様がお帰りになるまで、お待ちいただいた理由。
まったく……これが大人の余裕、なのかな。
百瀬さんは、そこまで手を回してくれていたことに、固まって口をパクパクさせている。
「百瀬くんは真面目に、このお店でもずっと勉強してるじゃないか。チーフが良く指導してくれてるのも、横山マスターもわかっていたよ。」
その言葉に、思わず胸が熱くなる。
「そうは申されましても……お預かりしている身としても、責任がありますから……。」
「電話してみると良い。後は、直接聞くべきだと思う。」
その通りだ。
「かしこまりました。少しだけ、お待ちください。」




