二つのギムレット
ギムレットはシンプルなカクテルだ。
ジンとライムジュース、そして甘味。
それだけ。
シンプルだからこそ、奥が深い。バーテンダーによってまったく違う表情を見せる。
ハードに振るのか、ソフトに軽やかに振るのか。
冷凍庫から出したばかりのタンカレーか、
どっしりとしたゴードンか、
それとも伝説が愛したプリマスジンか。
バーテンダーの数だけ、ギムレットの数はあると言っても過言ではない。
それは、正しいとか間違いだ、という単純な話ではない。それだけたくさんのギムレットが世の中にはあって、どれもがそれぞれの魅力を抱えている。
ショートカクテルといえばギムレット、という声を聞くことも多い。
オレにとっても、特別なカクテルだ。
嬉しいことに、オレの店ではギムレットを頼むお客様が増えていた。オレがチーフになり、一人で店を回すようになって……半年くらいしてからだろうか。
徐々にその比率は上がってきているように思えた。
常連のお客様は、その日のオーダーの内に最低一杯は頼まれるのがほとんどだ。
中には、ギムレットを軸にして組み立ててくれ、なんていう相談を受けたこともある。
「ギムレット、お願い。」
根津様だ。
あの、Kの閉店以降、根津様は足繁くこの店に通ってくださるようになった。今ではもう、古参の常連さんとも顔馴染みになっている。
「かしこまりました。」
何度も通って下さった際に観察した結果、根津様は決してお酒が強いわけではないことがわかった。ただ、ご自身の飲むペースを理解して、上手に飲まれる。
良いお客様だ。
お好みとしては、ゆっくり楽しみたいタイプ。
本日はこのギムレットで二杯目。ならばゆっくり楽しめるように、コシの強いゴードンを軸に組み立てよう。
どっしりとしたジンに合わせて、柑橘類の複層的な味わいを楽しんでいただくには――
ロックグラスに丸氷を入れ、氷の表面をゴードンでリンスして、そのまま氷を押さえながらリンスに用いたジンをシンクに捨てる。
グラスをカウンターの上に置き、次に取り掛かる。
この時間は外のネオンが丸氷の面に淡く映り込む。
細い窓から映り込む多彩な色彩が、スーラの点描画のように見えた。
シェーカーのボディに、氷を組む。
でき上がりの時に余分なフレークが生まれないように、大きめの氷を選ぶ。
ゴードンを40ml。
フレッシュのライムジュースを10ml。
ローズのライムジュースを5ml。
そして、シトロンジュネヴァを5ml。
ストレーナーを被せ、キャップを嵌めて空気を逃す。
シェーカーを左肩の前に構え、世界と断絶する。周りの音が消えていくのがわかる。
――ストロークが始まる。
軽やかに、少し長めにシェイク。
カシャカシャカシャと、軽やかな音がカウンターの中に響く。
銀色のシェーカーの中のイメージが、まるでその壁がないかのように流れ込んでくる。
あと――2シェイク。
その音が、ゆっくりと終わりに向かう。
名残惜しそうな音を響かせ、シェーカーが動きを止める。
キャップを外し、丸氷の表面に滑らせるようにギムレットを注ぐ。
カシャン……。
一際高い残響を残して、注ぎ終えたシェーカーを切るように持ち上げる。
仕上げに、小さくカットしたライムの皮を、グラスの上から優しくピールする。
「お待たせしました。ギムレットでございます。」
完成したギムレットを、コースターの上に残されていたジン・フィズのグラスと差し換える。
根津様の所作には美しさすら感じる。
ノージンググラスのようにロックグラスを回し、揺蕩うライムの香りを楽しんでから口に含む。小さく、喉が上下するのが見えた。
「あぁ、ライムの香りが立って――ジンの骨格がハッキリしているのに、決して重くない。うん、いつもながら見事だ。」
褒められて悪い気はしないが、正直気恥ずかしい。
「ありがとうございます。」
「チーフのギムレット、本当に美味しいもんね! 私にも、ギムレットください!」
「ありがとうございます、清楓様。かしこまりました。」
三井様がご夫婦となって、はや三ヶ月。今も変わらずお二人で通ってくださる。
もちろん、今夜もご主人の方の智也様とご一緒だ。
清楓様、酒豪なんだよな。元から強い方だとは思っていたけど、まさかあれでも猫を被っていたとは……。
だから、ドライ・ジンそのもの、といったシャープさと華やかさで、短時間で満足感を得られるレシピが好みだ。
とはいえ、これで五杯目……ロングを中心に組み立てていたとはいえ、そろそろ今日も締める頃かな。
暗黙の了解で、チェイサーに常温の水を差し出しながら考える。
少しだけライム感を増してサッパリさせたい。
カクテルグラスを冷凍庫に移す。
ボストンシェーカーのボディに、四角に切った氷を並べていく。
タンカレーNo.10を45ml。
カットしたライムを搾り、15ml。
粉糖を1tsp。
カットライムを更に半分にし、果肉部分だけを剥ぎ落としてボディに落とす。
シェーカーを組み立て、底を作業台に軽く打ち付け空気を逃す。
時間との勝負だ。
意識を集中させる。
時間が加速していくように感じる。店のBGMが意識の外に遠のいていく。
自らを鼓舞するように、ワイドスタンスを取り……振る!
少しハードに、シャープにシェイク。
粉糖とライムの果肉が入っているから、ハードシェイクとはいえナインシェイク。
指先の体温がシェーカーの中に伝わる前に――シェーカーを止める。
カクテルグラスを冷凍庫から出して、シェーカーの中身を注ぐ。
白く曇ったカクテルグラスが、注がれた液面に合わせて透明度を取り戻していく。
最後の一滴を注ぎ終わると同時に、シェーカーを回転させる。
空になったシェーカーの中で、カシャン! と氷の音が響く。
カクテルグラスに注がれたギムレットの表面には、想定した通りのフレークとほんの僅かな果肉片。
よし。
「お待たせしました。ギムレットでございます。」
「ありがとう! んん、美味しいー!」
「いや、美味しいのはわかるんだけど、ビールじゃないんだからひと口でそんなに飲むなよ……。」
智也様が、変わらない優しい笑顔を向けながら、清楓様をたしなめる。
「いいじゃない! 子供ができたら飲めなくなるんだもん、今のうちに飲み溜めしとくの!」
「ちょ、バカ、おまっ!」
……いつも微笑ましい、仲の良いご夫婦だことで。
「おーい、チーフよぉ。わりぃけどちょっと冷房下げてくれや。もう夏も終わったってぇのに、新婚さんの惚気に当てられて暑くなってきたわ。」
今日も居座る安永様が、ご夫妻の隣の席で、呆れたように掌で扇ぎながら声を上げる。
店内に穏やかな笑い声が響く。
最近は常連様同士での交流も増え、店内には毎夜笑い声が絶えることはない。
バーテンダーとして、お客様の幸せそうな笑顔を見ることができる――これ以上の幸せはないんだ、と思う。
意識せずとも頬が緩む。
このまま、末永く当店をよろしくお願いします、と心の中でつぶやいて、二つのシェーカーを洗い場に移す。




