ヘミングウェイの恐怖
おしぼりでガッツリ顔を拭く安永様に、謎の安心感を覚えながらオーダーを待つ。
「いやぁ、暑くて暑くて! 冷たいのがいいなぁ、なんだっけあの、チルド・ダイキリだっけ?」
「……安永様、多分それ、フローズン・ダイキリかと。」
「ああ、それそれ!」
苦笑いを浮かべる百瀬さん。
うん、百瀬さんも安永様の扱いに慣れてきたな。
フローズン・ダイキリか。サッパリして確かに良いよな。
一杯目だし少しだけ軽くして、安永様のお好みに合わせつつ見た目的にも涼しく感じてもらおう。
よし。
大きめのソーサータイプのシャンパングラスを冷凍庫に入れる。
バカルディのホワイト・ラムを30ml。
コアントローを15ml。
カットライムを搾って、15ml。
粉糖を1/3tsp、ほんの気持ちだけ入れて味を整える。
手の甲に落として味を見る、うん、悪くない。
そのままブレンダーにクラッシュアイス1cupと一緒に合わせた材料を入れる。
大きなモーター音が唸りを上げ、クラッシュアイスが細かな氷の粒に変わっていく。
ブレンダーの中で滑らかなシャーベットが波打つのを見て、スイッチを止める。
白く曇ったシャンパングラスを冷凍庫から取り出し、ブレンダーの蓋を開けて中身をスプーンで盛り付ける。
ブレンダーを持つ手が涼やかで、心地良さを感じる。
シャンパングラスの中に小さな山ができ、靄が掛かっているように見えた。
その山の麓に小さなスプーンを挿す。
山の頂から、ブルーキュラソーをゆっくりと垂らして――
「お待たせしました。フローズン・ダイキリでございます。涼やかにかき氷風にしてみました。」
「おお、なんか懐かしい! 大人のかき氷って感じだな! あんがと!」
そう言って、ひと掬い。
口に含み、ハァと幸せそうな溜め息を吐き出し、そのまま次、次と口に運ぶ。
「安永様、そんな急いで食べると――」
「うおッ! キター!! くぅーッ、いってぇえ!」
「……夏休みの子どもですか!」
半ば呆れつつ常温の水を渡す。
百瀬さんがおかしそうに、吹き出すのを必死で堪えて唇を歪ませてるのが見える。
「フローズン・ダイキリもそうやって出されると本当にかき氷みたいだね。大人のかき氷、か……良いなぁ。オレも次はフローズン・ダイキリにしようかなぁ。」
騒がしい安永様を眺めながら、相崎様が呟く。
ウイスキー・ミストももう余り残ってはいない。
フローズン・ダイキリは多少時間がかかるし、今から作り始めればちょうどいいかも知れない。
「フローズン・ダイキリですね。もうお作りしてよろしいですか?」
「ああ……せっかくならパパ・ドブレで頼めるかい?」
「かしこまりました。」
パパ・ドブレか。
ソーサータイプのシャンパン・グラスを冷凍庫に入れながらあの量をそのまま出すわけにはいかないな……と計算を走らせる。
ハバナ・クラブを45ml。
もう一度カットライムを搾り、10ml。
グレープフルーツもカットして8ml。
そして、マラスキーノ・リキュールを3dash。
クラッシュアイス1cupと合わせて、ブレンダーに掛ける。
再びブレンダーが低い唸り声を上げるが、今度は少しだけ氷の粒感を残した段階で止めた。
冷凍庫から取り出したシャンパングラスに盛り付ける。
小さなスプーンを挿して、汗をかいたロックグラスと交換してコースターに重ねる。
「お待たせしました、パパ・ドブレでございます。」
「ありがとう、良いねぇ。おぉ、絶妙なフラッペ感が残ってるね。」
「ありがとうございます。さすがに少し緩くしてますよ?」
相崎様に言葉を返しながら、下げたグラスをシンクに置く。
ヘルプの方が来てくれるようになってからは、洗剤も規定通り薄めて使用するように戻した。
そのくらいの余裕は取れるようになったから。
相崎様がスプーンで掬ったひと口を口に含んで、小さくクゥ、と唸る。
「いや流石に私も3オンスは無理だって!」
「そう考えると…本当に化け物ですよねぇ。」
「しかもそれを十二、三杯に水筒に入れて、って……考えるだけで恐ろしいよ。流石の私でも潰れるってそんな飲んだら!」
ブルル、っと大袈裟に震えながら相崎様が困ったような顔を作って応える。
「そりゃそうですよ、一杯が普通の人の三杯分近いですからね。一回の来店でラムが軽く一本以上空くとか売上はすごかったんでしょうけどねぇ……。」
「でも絶対うるさそうじゃない?」
少し想像するだけで、今度はオレが震える立場になった。
「あぁ、間違いありませんね! 今日は氷が10ml多いなとか言いそう!」
「リバラグイアさんも胃が痛かったろうなぁ……うわ今日も来たよ! みたいな。」
「いや間違いないですね! フロリディータとしても宣伝にはなるけどさぁ、って感じでしょうね。」
そこまで言って、二人で顔を見合わせて笑う。
百瀬さんが安永様のグラスの水を注ぎ足しにいくのが視界の端に映った。
少しだけ意識をそっちに向けると、あんぐりと口を開けて眺める安永様の顔が見える。
どうしたんだろう?
「ねぇねぇ百瀬くん……あの二人、なに話してんの?」
「あぁ、あれはですね。文豪ヘミングウェイが好きだったフローズン・ダイキリのレシピで盛り上がってるんですよ。どっちにしても酒馬鹿のマニアック過ぎる会話なので、ついて行けないのが普通なので安心してください。」
ほぉ、と感心した後、ふとイタズラを思い付いたようなニヤケ顔を浮かべて百瀬さんに返す。
「いやでも、それがあっさりわかる百瀬くんも、もう随分と酒馬鹿になったんじゃないか?」
…………。
あーあ、言っちゃった。
Club Toko――先年亡くなられた、日本を代表するドラマー、日野元彦さんの名を冠したCDが途切れて、わずかな沈黙がカウンターに横たわる。
横目で見ると、二人が固まり頬をひくつかせていた。
思い出したように『IT'S THERE, TOO』がスピーカーから流れ出す。
二年前に一度だけ、工藤さんに息抜きも必要だとトコさんの奥様がやっている六本木の『alfie』に連れて行っていただき、生演奏のジャズライブを堪能させてもらったことがあった。あまりの迫力に感動して、その場で買ったCDだった。出演した皆さんのサインが入ったこのCDは、オレにとって大切な宝物だ。
もう、多分行けそうにない――その幸せだった夜のことを思い出し、唇の端がつい上がるのを感じながら指先がリズムを刻みそうになるのを抑える。
「チーフ、安永様バージン・メアリご希望だそうです!」
小さく吹き出しながら即答する。
「かしこまりました!」
「ちょ、やめて、マジで! トマトだけは勘弁してください!」
夏の暑さを吹き飛ばすような、明るい笑い声が店内に響いていた。
――もうすぐ、夏も終わる。




