ジャパニーズ・ウイスキー
「いらっしゃいませ、相崎様。お暑い中ありがとうございます。」
百瀬さんが冷蔵庫から冷やしたおしぼりを取り出すのを横目に、いつも通り端の席に座る相崎様にご挨拶をする。
相崎様は三十分程電車に揺られた先の、大きな街のバーテンダーだ。
お店では特にウイスキーには力を入れているとのことで、専門的な知識を教えてくださることも多い。
Bar Yにヘルプの打診に行った時に、お口添えをしていただいた方でもあった。そのお礼を伝えたら、何でもないことのように笑って、何もしてないけれど力になれたのなら良かったよ、と言ってくれた。
……年齢の話でみんなが騒然としたことを話したら、大爆笑してたけど。
相崎様との会話はとても勉強になる。
とは言え、相崎様としても別に講義をしにご来店されるわけではない。ほとんど知る人もいないこの店なら、のんびり好きなように飲めるから、とお休みの度にお越しになり、存分に羽根を伸ばしているそうだ。
「いやぁ、暑いねぇ!一杯目はチーフのお任せでいいかな?」
「かしこまりました。」
もう相崎様のお好みはある程度わかっている。
今日は……よし、敢えてこれで行こう。
世界の五大ウイスキーと言えば、スコッチ、アイリッシュ、アメリカン、カナディアン……そして、ジャパニーズ。
日本人の繊細な感性でブレンドされたジャパニーズ・ウイスキーは、近年その評価を特に大きく上げている。
色々なウイスキーを飲んできた相崎様も、あまりこのボトルで、この飲み方は試していないかもしれない。
間違いなく日本のウイスキー文化を幅広い意味で支えてきたボトルのポテンシャルを試してもらいたい、そう思った。
ロックグラスに先程作ったばかりのクラッシュアイスを詰める。
相崎様には見えないようにその亀甲模様のボトルを取り出し、45mlを注ぎ入れ、軽くレモンピール。
バースプーンをロックグラスに挿し込み、高速で冷やすためのステア。
グラスの外側にミストを纏わせ、キンッキンに冷やすことで生まれるこのカクテルの名は。
「ウイスキー・ミストです。暑い日にはこんな飲み方も有りかな、と。どうぞ。」
「お、良いねぇ!確かにこんな日にはウイスキー・ミストは最高だね!で、ウイスキーの銘柄を言わないってことは……当ててみろってことかな?」
「いえいえ、そこまででは。先入観なくお楽しみいただけたら、と思いまして。」
そんな風に笑いながら、相崎様がグラスを口に寄せる。
鼻に届いた香りは冷やされ、随分と軽やかになっていることだろう。
「ふぅむ。なるほど――僅かなバーボンフレーバー……。」
ノージングでフレーバーをチェックしながら、目を閉じて黙る。香りを立ち上げるためにゆっくりと回しながら、集中して嗅ぎ分けているのがわかる。
不意にそのグラスを止めて唇を寄せる。
小さく口に含み、舌の色々な部位で確かめるように確認して――喉仏を鳴らす。
ふぅ、と小さく息を吐き出して。
「『角』をミストスタイルで飲んだのは初めてだな。素晴らしい――こんな楽しみ方があるとは。」
「ありがとうございます。さすがですね、一口で見抜かれるとは。」
片頬を上げ、相崎様が笑う。
「そりゃそうさ!若い頃に金が無い時は、随分とコイツにお世話になったもんだよ。忘れるはずもない。」
「左様でしたか!少し意外ですね!」
「私だって最初からアレやコレや手を広げた訳じゃ無いさ。この『角』を入り口にウイスキーにハマって、色々試して――気が付いたらどっぷりだよ。しかし、何故またわざわざ『角』をミストに?」
「それは――ジャパニーズ・ウイスキーが五大ウイスキーとして数えられるようになって久しいですが、一部の高級ウイスキーだけでそうした評価を受けている訳ではないはずです。日本のウイスキー文化を支えてきたのは、こうした大衆的なウイスキーの存在があったからこそ。その可能性を改めて見直せたらな、と思いまして。すみません、生意気言って。」
相崎様が嬉しそうな笑顔を浮かべてグラスを眺める。
グラスのミストは、その水滴を大きくしながら輝いていた。
「……なるほど。 いや、素晴らしい。さすがチーフ、だね。」
そこまで言って、グラスを持ち上げる。
「ただ、ひとつだけ。実はね、厳密にはこの『角』はジャパニーズ・ウイスキーと言えるかは微妙なんだ。」
「えっ、そうなんですか!?」
「ああ、厳密に言うと、なんだけどね。今はグレーゾーン、といったところか。」
もう一度、味わいを確かめるようにグラスに口を付け、喉仏を上下させる。
コースターに戻されたグラスが、急に元気をなくしたように見えた。
「この『角』にはね、海外原酒がブレンドされている。そうなると、厳密にはジャパニーズ・ウイスキーと呼ぶべきでは無い、という意見もあるんだよ。」
「それは……申し訳ありません、不勉強でした。」
頭を下げる。自分の不見識が恥ずかしい。
笑いながら相崎様は謝らなくて良い、と言って、
「そもそも、グレーゾーン、という言い方も厳しいんだ。ジャパニーズ・ウイスキーというしっかりとした定義自体が厳密にはまだないしね。海外原酒、なんて他の、それこそ高級なやつにも入ってるからさ。」
少しだけ、寂しそうな笑顔を浮かべる。確かに、日本の酒は政治家からしたらただの税収に過ぎないのだろう。文化として保護されている、とは言い難い。
相崎様がもう一度グラスを手にして、口に含む。
「とはいえ、君の言う通り、こうした国産ウイスキーが広く、手軽に流通したことで日本のウイスキー文化が花開いて行ったことは間違いない。その意味では、間違いなく日本のウイスキーの原点の一つさ。ありがとう、ミストにしても『角』は――うまいなぁ、うん。」
「――ありがとうございます。」
さすがは相崎様だ。
ウイスキーに対しての見識、何より深い愛情を感じる。
これも、日本の酒造メーカーがウイスキーに真剣に向き合ってきたからこそ。
そう思うと、自分のことではないというのに誇らしさを覚えると同時に、このカウンターに立つからにはもっと勉強しないとな、という決意を新たにした。
その時、蝶番の軋む音が聞こえる。
「「いらっしゃいませ。」」
顔を覗かせたのは、安永様だ。
相崎様の二つ隣に腰掛け、百瀬さんからおしぼりを受け取り手よりも先に首元を拭う。
「はぁー、涼しい!あぁぁぁ、おしぼりが冷たくて気持ちいいぃ。」
……もしかして安永様はこの店を実家か何かと間違えてはいないだろうか。
ちょっとだけ不安になる。
作者より
作品の流れを切るような形での解説は本来避けるべきですが、今回のみどうしてもお伝えしなければならないことがあり、このような形で解説を挟ませていただくことをお許しください。
本作は今より少し前、西暦2000年前後の時代背景となっています。
話中にもある通り、長らくジャパニーズ・ウイスキーの定義はありませんでした。
そのため、海外産の安価な原酒を輸入し、日本で瓶詰めしただけで「ジャパニーズ・ウイスキー」と銘打って高値で輸出されるケースが増加しました。
結果、本来の国産ウイスキーの品質や信頼性が世界市場で損なわれる懸念が出てきたこともあり、2021年に日本洋酒酒造組合が業界独自の自主基準を策定しました。
「ジャパニーズウイスキー」を名乗るための基準が厳格に定められ、この基準を満たさないものは、ラベルに「ジャパニーズ・ウイスキー」と表記できなくなりました。
主な基準は以下の通りです。
原材料……麦芽を必ず使用し、日本国内で採水された水を使用すること。
糖化・発酵・蒸留……日本国内の蒸留所で行うこと。
熟成……700リットル以下の木製樽で、日本国内で3年以上熟成させること。
瓶詰め……日本国内で容器詰めし、アルコール度数は40度以上であること。
角は当時、海外から輸入したウイスキー(バルクウイスキー)を原酒としてブレンドしており、この新しく策定されたジャパニーズ・ウイスキーの基準を満たしておりませんでした。
この基準が策定された後、角は国産ウイスキーのみのブレンドに切り替えました。それにより、2024年4月以降に出荷された角は完全にジャパニーズ・ウイスキーの基準を満たしたもののみとなっています。
※ここでいう"2024年4月以降"はメーカー出荷(物流)ベースであり、店頭在庫の入替時期とは一致しません。
角という、1000円台でも購入可能な大衆的なウイスキーですらも、ジャパニーズ・ウイスキーとしての誇りを持って提供する。
そのために、多大な努力を惜しむことなく大幅な刷新を行い、日本のウイスキー文化を守ろうとご尽力されたサントリー様。
心よりの敬意を表し、本稿は書かれたものです。




