クラッシュアイスと単位
一足毎に、湿気に塗り潰された空気の壁を感じる。風のない街は、歩くだけでも汗がにじむ。
暦の上では立秋を過ぎたというのに、いつまでこの暑さは続くのだろうか。終わりの見えない暑さが、憂鬱な気分を増幅させる。
陽が落ちたこの時間でも、アスファルトに残った熱が週明けの重い空気を熱し続けていた。
お客様の足も、そんな空気に邪魔されたのか――まだ蝶番は鳴らないままだった。
焦っても仕方ない。
そんな風に自分に言い聞かせながら、砕いた氷をタオルに包みカッティングボードの上に乗せる。
アイスピックのニードルを握り締める。
タオルの上からグリップを叩きつけるようにして、さらに細かく砕いて行く。
氷が砕ける音が、控え目なBGMに規則正しいリズムを低く刻む。
バックヤードの扉の開く音がして、一瞬だけ換気扇が強く唸りを上げる。
「今戻りました。」
百瀬さんが買い出しから帰ってきたところだ。
「ありがとうございます。領収書、レジの中に入れといてもらえますか?」
「了解です。あれ、クラッシュアイスですか?」
「ええ、外はめちゃくちゃ暑いじゃないですか。だからちょっと多めに作っておこうかなって。」
「あぁ、確かに。モヒートとか、フラッペとかフローズン系のカクテルが恋しくなりましたもん。」
そういう百瀬さんの額には、薄く汗が滲んでいた。
「とりあえず、裏で少し身体冷やしてきてください。汗ばんだままじゃお客様の前に立てませんしね。」
「そうですね。ちょっと裏で涼んでます。」
三井様の結婚式の後も、研修目的、という理由で横山マスターは若いバーテンダーを貸してくれていた。研修だからと、いまだに人件費もYで持ってくれる。
百瀬さんは、その中でも最も頻繁に来てくれている。
最初に会った時はあんなに敵意を持っていたのに……少しはオレを、認めてくれたということだろうか。
何にしても、めちゃくちゃ助かっている。
お陰で、大学の授業には出られるようになった。
とはいえ、既に単位はギリギリだ。後期、休まなければ何とかなるかどうか……。
一、二年の時に余裕を持って取っといて良かった。
とにかく、今はこの店を守ることと、金を稼ぐことだけを考えなきゃ。
画材代、出せる余裕あるかな、と少しだけ考えた。
貯金はもうない。
売れる絵は、すでに全部売り払った後だった。
そんな悩みを、アイスピックにぶつけるように腕を振り続けた。
五分もすれば、クラッシュアイスも今日の営業には十分な量ができあがった。
万が一足りなくなれば、また営業中に作れば良いだろう。
百瀬さんもしっかり身体が冷えたのか、かっちりと蝶ネクタイを締め直してバックヤードから戻ってきた。
「もう大丈夫ですか?」
「はい、ありがとうございました。もう大丈夫です。」
ボウルにラップをして、すぐには使わなさそうな分を百瀬さんと入れ違うようにして、バックヤードに向かい冷凍庫に収める。
冷凍庫の冷たい空気が白い靄となってオレを包む。
その時、換気扇が唸りを上げるのが聞こえる。店側のドアが開いたのだ。
「いらっしゃいませ。」
「あれ、チーフは?」
そんな声が聴こえて、少しだけ足早にカウンターの中に戻る。




