世界
間もなく貸切営業も終わる。
初めて自分がメインで回したパーティー。
安永様がいらしてからは、オーダーが一気に増え、かなり忙しくもなったりしたけど……結果的には参加された皆様に、非常にご満足いただけたように思う。
売上的にもかなり大きい。
最終的には三十八名の方がいらしてくださり、十九万。調子がいい時の一日分に相当する。
人件費的には、オレと松嶋さんの分だけ。
出たカクテルは、ノンアルコールも含めて百六十杯ほどだろうか。利益的にも十分確保できたはずだ。
結局、百瀬さんは洗い場に固定されるほど忙しかった。やり切ったという満足感と、心地良い疲労感に包まれる。
「チーフぅ〜、今日は本当にありがとね!」
参加者の笑顔の合間を縫うようにして、清楓様がカウンターにお越しになった。
「いえ、こちらこそありがとうございます。皆様ご満足いただけたでしょうか?」
「うん! みんな美味しい美味しいって! やっぱり、このお店にして良かったよ!」
清楓様は、一時期は毎日のようにお越しくださるほど、このお店を気に入ってくれていた。
ただ、その時の清楓様は新卒の入社一年目。どんな会社であろうと、そこまでの余裕があるとは思えなかった。何より、アルコール依存症のリスクを考えると……ご来店への感謝より、心配の方が優っていた。
その時は、マスターに相談して――ちょうど大学のサークルの関係で、体育会の雑務のために休んだ日だったか。その後から、月に一、二回程度の、ご無理のない来店頻度に変わった。
きっと、マスターが話してくれたんだと思う。
だけど、マスターに聞いてみても、答えてはくれなかった。
きっと、オレは知らなくていいことなんだ。そう思ってからは、聞かなくなった。
「ご満足いただけたなら、何よりです。今日は本当に、おめでとうございます。」
「うん! ねえ、最後に何か飲ませてよ!」
「そうですね、今日はもうお開きでしょうし。お任せでよろしいですか?」
「うん!」
「かしこまりました。」
何にしようか。そう考えていた時に、さっきご友人の長谷川様が、スピーチでお話しされていたことを思い出した。
よし。
フルーツ盛りに使ったパイナップル。デコレーション用に、と少し残しておいてもらって良かった。
ひと口大にカットしてブレンダーにかける。
突然のモーター音に、店内の視点が集中するのを感じた。若干のやり辛さを感じながらも、手を止めることはない。
カクテルグラスを冷凍庫に入れる。
シェーカーのボディに氷を組む。
ジンは……キレのあるビーフィーターにしよう。40mlを計り、シェーカーに注ぐ。
氷が、小さくピキ、と鳴って宴の終わりを惜しむ。
ペパーミントはバーディネーのクレーム・ド・ミントのグリーンを選ぶ。10ml。
そして、先程のパイナップルを茶漉しに通し、パイナップルジュースを10ml。
ストレーナーを被せ、キャップを嵌め、作業台に打ち付け――二回、小さく音を鳴らして空気を抜く。
左肩の前で構える。
息を吸う。
周りの喧騒が嘘のように消え、指先に触れるシェーカーだけが唯一の世界との接点になる。
ミントの鋭さを残しつつ、パイナップルの甘さで包み込む。
そのことを意識して、シェーカーを踊らせる。
軽やかなシェイクの音が、静まり返った店内に響く。
指先が冷たくなっていき、シェーカーの表面に小さな雫を生んだその瞬間を見極めて、止める。
冷凍庫に入れたグラスを取り出し、シェーカーのキャップを外して注ぐ。
美しいエメラルド・グリーンがグラスを満たし、最後の一滴が液面に落ちたのを見届けてシェーカーを持ち上げる。
氷が動いた残響を残したまま、ミント・チェリーをグラスの縁に飾り、清楓様の前にそっと差し出す。
「旅行がお好き、と先ほどの長谷川様のスピーチで伺いました。こちらは、アラウンド・ザ・ワールド――世界一周、という名のカクテルです。」
そのエメラルド・グリーンに見惚れる清楓様にだけ届く声で続ける。
「あなたを探して世界中を旅してきたの。もう二度と、世界を旅することはないわ。私の世界は、あなたの中にあるのだから――そう歌ったのは、グレイシー・フィールズでしたか。」
顔を上げ、オレを見つめるその視線に正面から向き合う。
「結婚おめでとう、清楓さん。お幸せに。」
貸切営業は、目尻に少しだけ光るものを浮かべた清楓さんの、花咲くような笑顔をオレの心に残して――無事に終わった。




