原罪
その頃には、今みたいな地図アプリなんてものはなかった。
駅員や交番の警察官に聞きながら、必死になって記された住所に向かった。
辿り着いたのは、午後一時を過ぎようとしていた頃だった。
頭上の太陽がカンカンと地面を照らして、歩くだけで汗が滴る。
それでも、脚は自然と前に進んでいた。
この角を曲がれば、彼女に会える。
そう、思っていた。
突然、オレの耳に、車の長いクラクションが響く。
なんだろう、と足を止めたオレの前に、黒塗りの車の先端が、やけにゆっくりと姿を現す。
心臓の鼓動が、これは現実じゃない、と告げるように脈打つ。
車は……霊柩車だった。
助手席の男は、泣きじゃくりながら遺影を抱いていて。
一瞬だけ目に入った、遺影に写った女性は、彼女に良く似ていたように思えた。
違う。
たまたま近所で葬儀があっただけだ。
そう言い聞かせて、もう一度足を動かそうとする。
動かない。
立ち竦むオレの横を、遺族が乗った火葬場のバスが通り過ぎていく。
しばらくの間、その場に立ち竦んだ後。
言うことを聞かない足を引き摺るようにして、その角を曲がる。
三十分前に交番で聞いた、彼女の住所と一致する家の前。
大きな花輪がたくさん並べられていた。
門扉には家紋と思わしき紋が描かれた大きな提灯が掲げられ――その横には。
見間違えるはずもない、彼女の、名前。
死んだ。
彼女が。
由美子が。
オレに会いたい、と手紙をくれた由美子が。
死んだんだ。
もうオレを、フミくん、とあの愛おしい声で呼ぶ人は――どこにも、いない。
いなくなってしまった。
膝の力が抜ける。
その場に崩れ落ちそうになる。
壁に寄りかかって、荒くなった呼吸を整えようとする。
その時、壁の向こうから、葬儀のお手伝いに来ていた近所の人だろう、年嵩の女性たちが話す声が聞こえて来る。
「由美子ちゃんも可哀想にねぇ……。まだ若いのに、事故だなんて。」
「事故じゃないみたいよ、自殺なんじゃないかって!」
「嘘、なんで!」
「なんでもね、見ちゃった人によると、完全に赤信号なのに、フラフラって……それで、トラックに轢かれて、だったんだって!」
嘘だ。
彼女に限って、そんな。
あの、明るい彼女が、自殺なんて、
「あぁ、じゃあ、やっぱりあの噂、本当だったんだ?」
「あの、お姑さんにいびられてる、ってヤツ? この家も名家だなんだって言われてるけど、お姑さん怖いもんねぇ!」
「そうそう! なんでも、由美子さん、早く孫を産め、男の子以外は認めない、みたいに毎日言われてて。しかもこの広い家、全部の掃除から洗濯からご飯の用意まで、毎日一人でやらされてたって言うじゃない!」
「それは本当よ! こないだの冬とか、あの大雪の日もね、一人で雪かきしてたもの! あんのバカ息子は手伝いもしないで、だいじょぶかぁだいじょぶかぁばかりで、頼りないったらありゃしない!」
「それじゃあお姑さんに文句も言えるはずないわよねぇ! ホント、由美子さん可哀想だわぁ。」
可哀想だわぁ。
その言葉が、いつまでも耳に響く。
嘘、だろ……。
幸せに、って、約束、したじゃないか……。
彼女の幸せを信じて、見送った先が、ただの地獄だったなんて。
そんなこと。
そして、思い出した。
手紙の、日付。
あれは。
あの、手紙は。
壊れそうになってた彼女の。
SO、S……。
オレは。
オレは、何を、していた。
彼女のSOSにも気付かないで。
ただ子供が癇癪を起こすように暴れて。
オレが、ちゃんと家に帰っていれば。
オレが、すぐに手紙を受け取っていれば。
オレが、すぐに飛んで来ていれば。
オレが、彼女の手を握って、ここから連れ出していれば。
彼女は、死なずに、済んだ。
オレが…………
殺したんだ。




