三日では、書き終わりません
晩餐会の翌朝、ハーコート侯爵家の廃嫡の届けが典礼院で受理されたことを、リディアはエイドリアンからの短い手紙で知った。家督の順は、次男のローランドに移った。ハーコート家から受け取った慰謝の金は、父の手を通さず、そのままリディアの持参金に足された。晩餐会のお礼状は、結局十一通になった。そのうち一通は、約束どおりエイドリアンに宛てた。
ジャスパーは、ハーコート家の北の領地へ送られた。代官の補佐を、見習いからやり直すのだという。半月ほどして、侯爵からリディアに短い手紙が届いた。侯爵は三十六通の礼状に、夜会の夜の一通を添えて、北の館へ送ったのだという。息子は読むものが何もないので、それを初めて全部開けたそうだ、と書いてあった。読み終えて何と言ったかまでは、書いていなかった。
ミレーユのドレスは、ミレーユが自分で鋏を入れたものだった。晩餐会の翌日、ミレーユ付きの侍女が泣きながら父に打ち明けた。父はそれを、侯爵への詫びの手紙に書き添えたという。
侯爵は、二人が望むならと、ジャスパーとミレーユの婚約の誓約書に署名した。条件は一つ、ミレーユも北の館へ行き、夫の見習いの暮らしを共にすること。王都にもう居場所のない二人を、目の届くところに置くためだという。父も署名し、婚約の届けが受理されると、ミレーユは北へ発った。半月後、北の館の小さな礼拝堂で式が挙げられ、婚姻の届けも典礼院に受理された。継母が夢見ていた大聖堂の式ではなく、参列したのは両家の数人だけだった。侯爵夫人になるはずだった娘は、侯爵家の名も継がない男の妻になった。望んだ相手と結ばれたのだから、と侯爵は言ったそうだ。
父と継母は、一年間、宮廷に招かれない。招待状の来ない冬の社交の季節を、二人で屋敷の居間で過ごしている。
父は、公爵家との縁を喜んで、何度かフィッツロイ公爵家に挨拶の手紙を送った。エイドリアンの返事は一度だけで、丁寧な字でこう書いてあった。
「ペンブルック家とのお付き合いは、ご嫡男のテオドール殿が家督を継がれてから、改めて」
父はその手紙を、三度読み返したらしい。
* * *
冬の休みに入った日、リディアの部屋の扉を、寄宿学校から帰ってきた弟のテオドールが叩いた。珍しく神妙な顔をしていた。
「姉上、これ」
差し出されたのは、少し歪んだ封筒だった。宛名は「リディア・ペンブルック様」。封蝋が斜めに垂れている。
「僕からの礼状です。お祖母様に、いつも書けって叱られていたやつ」
リディアは封を切った。便箋の半分は書き損じを線で消した跡で、残りの半分に、大きな字でこう書いてあった。
姉上の礼状のおかげで、母上の首飾りが戻ってきました。ありがとうございました。
僕はまだ子どもなので、何もできませんでした。家を継いだら、姉上がいつでも帰ってこられる家にします。
「……具体的に書けているわ、テオ」
「本当? お祖母様が生きていたら、ほめてくれたかな」
「ええ。きっと」
テオドールは照れくさそうに頭をかき、それから声をひそめた。
「それで、公爵閣下にも、僕から礼状を出していいですか」
「何のお礼を書くつもり?」
「姉上を大事にしてくださるお礼です。先にお礼を言っておけば、閣下も大事にするしかないでしょう」
「テオ。それは礼状ではなくて、念押しというのよ」
リディアは弟の額を指でつついた。テオドールは、祖母に叱られたときと同じ顔で笑った。
* * *
年が明ける少し前、リディアはフィッツロイ公爵家の書斎に招かれた。ネルを連れ、家の馬車で伺うと、書斎の扉は開け放たれ、廊下には公爵家の侍女が控えていた。
壁一面の書棚と、大きな机。机の向こうで、エイドリアンが一番上の引き出しを開けた。
「見ていただきたいものがあります」
引き出しの中には、手紙の束が二つあった。
一つは、典礼院に届いた夜会の礼状の束だった。鈴蘭の封蝋が、四年分。控えの間の暖炉が早めに焚かれていて侍女たちが凍えずに済んだこと、広間の蝋燭の芯が短く切りそろえてあって煙が目にしみなかったこと、楽団が三曲目の前に少し休んだので足が楽になったこと。リディアが夜会のたびに、それを整えた方々へと書いたものだ。
「書記官たちが、毎回回し読みしていました。自分の仕事に気づいてくれる人がいる、と」
もう一つの束は、ずっと小さかった。一番下に、黄ばんだ便箋が一枚。子どもの大きな字で、鴨の話が書いてある。その上に、訪問のお礼状。
一番上に、あの朝の、一行だけの便箋が重ねてあった。
謹んで、お受けいたします。
「……閣下。それは、捨ててくださって結構ですのに」
「捨てません。これが一番、具体的な礼状ですから」
エイドリアンは引き出しを閉め、机を回ってリディアの前に立った。リディアの首元には、母の真珠の首飾りがあった。王妃陛下から、手紙で念を押されたのだ。エレノアは嫁ぐ日に着けるようにと言ったけれど、婚約の日に着けるなとは言っていないわ、と。
「リディア・ペンブルック」
エイドリアンが、改まった声で名を呼んだ。
「あなたとの婚約は、今この場で……」
リディアは、思わず微笑んだ。秋の夜会の大広間で、同じ形の言葉を聞いた。
「破棄なさいます?」
「生涯、破棄しません」
彼はリディアの手を取り、指先に口づけた。長いあいだの何かをほどいたような顔で、笑っていた。
いただいたものには、三日のうちに礼状を。何をいただき、どう嬉しかったかを、具体的に。
祖母の教えを、リディアは一度も破ったことがない。
けれど、この贈り物へのお礼は、三日ではとても書き終わりそうになかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。礼状一通で始まった婚約破棄の顛末は、本編はこれで完結です。
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