どうぞ、読み上げてくださいませ
収穫の晩餐会の夜。リディアは王妃陛下の客として、王妃の席のすぐ下手に座っていた。
王宮の大食堂には長い卓が並び、主だった貴族の当主とその家族が顔をそろえていた。国王陛下は上座で、今夜は最後まで席を立たない。
父と継母とミレーユは、ずっと下座の卓にいる。ミレーユの首元では、今夜も真珠の首飾りが燭台の光を受けていた。
向かいの卓には、ハーコート侯爵と、その隣に神妙な顔のジャスパーがいた。侯爵は謹慎中の息子を、晩餐の後でリディアに詫びさせるためだけに連れ出したのだと、王妃が小声で教えてくれた。侯爵から前もって、王妃宮に詫びの手紙が届いていたらしい。
詫びは、来なかった。
最後の皿が下げられたとき、ジャスパーが椅子を鳴らして立ち上がった。
「国王陛下に申し上げます!」
大食堂の話し声が、波が引くように消えた。侯爵が「座れ」と低く言ったが、ジャスパーは父を見なかった。
「ペンブルック伯爵家のリディアは、私の父と、畏れ多くも王妃陛下に、脅迫状を送りつけました。義妹のミレーユを陥れるためです。証拠は、ここにあります」
ジャスパーが掲げたのは、革の表紙の帳面だった。
リディアは小さく息を呑んだ。あの朝から行方の分からなかった控え帳だった。下座の卓で、ミレーユが継母の腕にしがみつき、潤んだ目でこちらを見ている。
「この帳面を、この場で読み上げていただきたい。読めば、この女がどれほど陰湿か、皆様にもお分かりになるはずです!」
国王は顎を撫で、面白そうに目を細めた。
「よかろう。読み上げよ。……典礼卿」
エイドリアンが席を立ち、ジャスパーの手から控え帳を受け取った。表情は、いつもの王宮一隙のない顔のままだった。
リディアも立ち上がり、国王に向かって礼をした。
「どうぞ、読み上げてくださいませ。礼状ですもの。どなたに読まれても、困ることは書いておりません」
ジャスパーが鼻で笑った。
エイドリアンは頁を開き、よく通る声で読み始めた。
ハーコート侯爵閣下
本日、秋の夜会の大広間にて、ご子息ジャスパー様より、婚約破棄を賜りました。
最初の数行で、大食堂の空気が変わった。夜会の大広間にいた若い貴族たちが、それぞれの親の隣で、そっと目を伏せる。
十日の午後のくだりに来たとき、王妃の卓の端で、年配の伯爵夫人が扇を下ろした。
「十日の刺繍の会でしたら、わたくしも出ておりましたわ。リディア嬢はわたくしの向かいで、午後のあいだずっと、薔薇の花芯を刺していらした」
「ええ。あの日の刺繍の会では、わたくしの隣でね」
王妃が、ゆったりと言い添えた。
「針を持つ手を、一度も止めなかったわ。記録もあるわよ」
ジャスパーの顔から、少しずつ血の気が引いていった。
エイドリアンは、表情一つ変えずに続けた。この三年間にわたくしがお送りした礼状三十六通が、すべて封を切らずにお手元にあると伺いました。閣下のお屋敷のどこかを、三十六通分の紙で塞いでしまい、申し訳ございません。
どこかの卓で、誰かが咳をするふりをした。それが合図だったように、こらえた笑いが大食堂のあちこちで小さく漏れた。
「三十六通」
ハーコート侯爵が、座ったまま言った。
「私が執事に数えさせた。一通も、封は切られていなかった」
エイドリアンは頁をめくった。
王妃陛下
首飾りの一文が読まれたとたん、大食堂じゅうの目が、一斉に下座の卓へ向いた。
ミレーユは、とっさに両手で首元を覆った。けれど指の間から、真珠の白さはこぼれて見えた。
「下賜の品を、受けた者の子でない者に譲ってよいと、どなたに教わったのかしら」
王妃の声は穏やかだった。継母の顔が、紙のように白くなった。父は肩をすぼめ、卓の陰に身を縮めていた。
「ち、違います、陛下!」
ミレーユが立ち上がった。
「首飾りは、お姉様が譲ってくれたんです。それに、ドレスは本当に裂かれたんです。十日の午後に……いいえ、十一日の、午後だったかもしれません」
言ってしまってから、ミレーユは口を押さえた。
今度の沈黙は、さっきよりずっと長かった。
「日が変わるドレスなのね」
王妃がぽつりと言った。さっきの伯爵夫人が、扇を少し上げた。
「十一日の午後でしたら、リディア嬢はわたくしの屋敷で、娘の誕生日の茶会においででしたわ。夕方まで、ずっと」
ミレーユの顔から、色が消えた。
「そ、その女は、私にまで嫌味な手紙を寄こしているんです!」
ジャスパーが声を張り上げた。国王が、ほう、と身を乗り出す。
「それも、その帳面にあるのか」
「……ございます、陛下。夜会の夜の日付で」
エイドリアンが頁を戻した。国王は手を振った。
「読め」
ジャスパー・ハーコート様
本日は、婚約破棄を賜り、ありがとうございました。
三年前に婚約いたしましてから、ジャスパー様より贈り物をいただいたことは、一度もございませんでした。ですので、今回の婚約破棄が、ジャスパー様から賜った初めての贈り物となります。大切にいたします。
また、三年の間、月に一度、十五分ものお時間を割いてくださったことにも、改めて感謝申し上げます。
エイドリアンの声は、最後まで平らだった。
大食堂は、今度こそこらえきれなかった。若い貴族の一人が卓に突っ伏し、年配の公爵が杯で顔を隠し、国王は遠慮なく声を上げて笑った。
「これを脅迫状と呼ぶなら、わしは毎年、新年に脅迫状を受け取っておることになるな」
国王は笑いを収めて、リディアを見た。
「この娘はな、新年の謁見のたびに礼状をよこす。朝から日暮れまで冠をお戴きのままのお勤め、さぞお疲れでございましょう、謁見の間の窓から入る風で、少しでもお楽になりましたら、とな。わしの冠の重さを気にかけたのは、王妃とこの娘くらいのものじゃ」
そして、杯を置いた。
「リディア・ペンブルックにかけられた疑いは、すべて晴れた。この帳面にあるのは、礼状じゃ。嘘は一行もない。家の内のことは、それぞれの当主に任せる」
ハーコート侯爵が立ち上がった。静かな声だった。
「陛下。王妃陛下の夜会で偽りの罪を言い立て、今また陛下の御前で同じことをした者を、ハーコート家の跡継ぎにはしておけません。本日をもって、ジャスパーを廃嫡いたします。届けは明朝、典礼院へ」
ジャスパーは何か言おうとして、父の顔を見て、何も言えずに膝を落とした。
「ミレーユ・ペンブルック」
王妃が呼んだ。
「首飾りを外して、持ち主に返しなさい。今、ここで」
ミレーユは震える指で留め金を外し、卓の間を歩いてきて、リディアの手のひらに真珠を落とした。目を合わせなかった。
「それから、ペンブルック伯爵夫人。あなたは一年、宮廷に来なくてよろしい」
継母は椅子の上で崩れるように頭を下げた。
「伯爵。譲らせたのが誰の言葉でも、頷いたのは当主のあなたね。あなたも一年、夫人と一緒に屋敷にいらっしゃい」
父は卓に額がつくほど頭を下げた。
国王が、ジャスパーとミレーユに、リディアへ詫びるよう命じた。二人は並んで頭を下げた。リディアは黙って礼を返した。礼状に書くことが、また増えた。
国王は最後に、まだ控え帳を手にしているエイドリアンの方を向いた。
「で、典礼卿。お前の届けはどうなっておる」
エイドリアンは控え帳を閉じ、王に一礼した。
「四日前に受理いたしました。私が、自分で」
大食堂が、もう一度どよめいた。下座の卓で、父が椅子から腰を浮かせたまま固まっている。
拍手が起きた。誰が始めたのかは分からなかった。その音の中で、リディアは手のひらの真珠を握りしめ、まるで違うことを考えていた。
(この晩餐会のお礼状は、どなたに、何通書けばよいのかしら)
控え帳を返しに来たエイドリアンが、リディアにだけ聞こえる声で囁いた。
「一通は、私に」




