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【全11話】「義妹を虐げる女とは婚約破棄だ!」と言われたので、お礼状を書きました。宛先は、彼のお父様です  作者: みれいぬ


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10/11

番外編 鴨のいる方へ

 翌年の初夏、リディアは王妃の園遊会の庭を、婚約者の腕に手を添えて歩いていた。


 芝生には白い天幕が張られ、楽団が木陰で弦を合わせている。すれ違う人々は、まずエイドリアンに頭を下げ、それから隣のリディアに、少し遅れて、もう少し深く頭を下げた。


 父と継母の姿はない。宮廷に招かれない一年は、まだ明けていなかった。ミレーユは北の館にいる。


「リディア様」


 天幕の陰から、令嬢たちが扇を胸に連れ立って寄ってきた。秋の夜会の大広間で、ミレーユの涙に「お可哀想に」と呟いていた顔も、その中にあった。


「あの、礼状の書き方を、教えていただけませんか」


 収穫の晩餐会の読み上げからこちら、宮廷では礼状が流行っていた。夜会の翌朝には、主催の家に具体的な礼状が届く。具体的すぎて、届いた家の方が困ることもあるらしい。


「母に書いたら、叱られてしまったのです」


 いちばん若い令嬢が、頬を赤くして打ち明けた。


「昨夜のお夕食のスープが少し塩辛くて、おかげでお水がたくさん飲めました、と書いたら」


 リディアは、少し考えてから答えた。


「何をいただいたかは、とても具体的ですわ。どう嬉しかったかが、まだ書いてございませんのね」


 令嬢たちは顔を見合わせ、それから真剣な顔で頷いた。帳面に書き付けている者までいる。


 令嬢たちが離れていくと、エイドリアンが小声で言った。


「典礼院にも、近ごろは毎朝届きます。コリンが、読む方が追いつかないと嬉しそうに嘆いていました」


「わたくしのせいでしょうか」


「おかげです」


 エイドリアンは、表情一つ変えずに言い直した。


* * *


 池へ向かう小道の途中で、小さな影が二人の前に立った。


 まだ幼い少女だった。淡い色のリボンで髪を結い、小さな手でドレスの裾をつまんで、教わったとおりの礼をしている。少女は家の名と自分の名を、一つずつ確かめるように名乗った。


 エイドリアンは足を止め、芝の上に片膝をついた。少女と目の高さをそろえ、名乗り返し、礼を返す。


「声をかけてくださって、ありがとうございます」


 少女は目を丸くし、それから嬉しそうに頬を染めて、母親のところへ駆け戻っていった。少し離れて見ていた母親が、恐縮して何度も頭を下げている。


 リディアは、その小さな背中を見送った。


 あの初夏の楡の木陰でも、やはり小さな令嬢がこうして礼をしたのだろう。そのとき少年が何と言ったのかを、リディアは求婚の手紙で知っている。目の前で膝の芝を払っているのは、その少年が長い年月をかけてなった人だった。


「閣下。今のは、わたくしが何をいただいたことになるのかしら、と考えておりました」


「答えは出ましたか」


「まだですわ。礼状を書くまでには、出します」


 エイドリアンは立ち上がり、楡の木の向こうを見た。


「では、もう一つ、材料を増やしてもよろしいですか。……鴨のいる方へ、行きませんか」


* * *


 楡の木の先に、池があった。日傘を持ったネルが、声の届かないくらいの距離を置いて付いてくる。


 池のほとりで、エイドリアンは上着の内側に手を入れ、白いナプキンの包みを取り出した。開くと、小さく切ったパンが入っていた。


「……閣下。それを、ずっとお持ちだったのですか」


「朝から」


 リディアは、こらえきれずに笑ってしまった。王宮一隙のない人の上着から、パンが出てきた。


 エイドリアンはパンを一切れ、リディアの手のひらに載せた。


「あの翌年の園遊会で、一度ここへ来てみました。鴨は二羽しかいませんでした。あなたも、いませんでした」


 リディアは、パンを持ったまま池を見た。思い出すのに、少しかかった。


「その年は、母が床についておりました。わたくし、園遊会には行かずに、母の枕もとで本を読んでいたのです」


 エイドリアンは、何も言わずに頷いた。それから、少しだけ声を明るくした。


「足の悪い鴨は、あの後も何年か、この池にいたそうです」


「……お調べになったのですか」


「庭師に聞きました。記録に残らないことは、人に聞くしかありませんので」


 リディアはもう一度笑い、パンを小さくちぎって池に投げた。


 鴨が寄ってくる。水を蹴る音が重なり、輪がいくつも広がった。その輪の後ろから、一羽だけ、少し遅れて泳いでくるのがいた。


 その一羽を見たとき、リディアの胸の奥で、何かがほどけた。


 思い出したのは、少年の顔ではなかった。母の声だった。


 ――それで、その方は、鴨のいる方へいらしたの?


 あの年の園遊会の日、床についた母の枕もとで、リディアは前の年の話をしたのだ。足の悪い鴨のこと。木の下で一人つまらなそうにしていた年上の方のこと。礼状に、次は鴨のいる方へ来てくださいと書いたこと。母は笑って、そう尋ねた。


 まだです、と答えた気がする。


「リディア?」


 エイドリアンが、こちらを覗き込んでいた。リディアは首を振り、遅れてきた一羽の前に、いちばん大きな一切れを落とした。


「母に、お返事ができましたの」


 エイドリアンは少しのあいだ黙っていて、それから、残りのパンを全部リディアの手に移した。


* * *


 天幕へ戻る途中で、王妃が二人を見つけて扇を上げた。


「池にいたのね。エレノアの娘が、鴨にパンをやっているのが見えたわ」


 王妃は二人を見比べ、秋の婚礼の話をした。


 婚礼は、父と継母の一年が明ける秋まで待つことになっていた。花嫁の両親が招かれない婚礼を挙げれば、いつまでもリディアの方が噂の種になる。そう言って、エイドリアンが決めたのだった。


「婚礼の朝は、わたくしが行くわ」


 王妃は扇を閉じ、リディアの首元に目をやった。今日は、真珠を着けてきていない。


「エレノアとの約束があるの」


* * *


 その夜、リディアは便箋を広げた。


 何をいただいたかは、もう決まっていた。


  フィッツロイ公爵閣下


  本日は、鴨のいる方へいらしてくださり、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
脚の悪い鴨、、生きていたんだね本当に良かった、、足りない鴨、、いつかの夕食、、エイドリアン少年のトラウマになってたらどうしようかと思ってた。
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