番外編 嫁ぐ日に
婚礼を数日後に控えて、リディアはフィッツロイ公爵家の客間で、贈り物の目録に一つずつ印を付けていた。
婚礼の祝いの品は、これから暮らす公爵家の方へ届く。リディアはネルを連れて毎日通い、届いた品を目録に書き留めては、その日のうちに礼状を書いていた。溜めてしまえば、三日のうちになど、とても追いつかない。向かいの椅子では、エイドリアンが婚礼の段取りの書付を確かめていた。典礼卿が自分の婚礼の段取りまで確かめるのはおかしな気もしたが、本人は、ほかの者に任せると落ち着かないのだと言った。
ネルが、平たい木箱を運んできた。
「ハーコート侯爵閣下からでございます」
蓋を開けると、上等の便箋が、箱の縁までぎっしりと詰まっていた。上に、侯爵の几帳面な字の短い手紙が載っている。
三十六通分の紙を、お返しする。今度は、封を切る者のところへ。
北から預かっていた手紙を一通、添える。
リディアは、思わず口元を押さえた。秋の夜、侯爵に宛てた最初の礼状に、閣下のお屋敷のどこかを紙で塞いでしまい申し訳ございません、と書いたのを、侯爵は覚えていたのだ。
便箋の束の脇に、封書が一通差してあった。裏には、ハーコート家の北の領地の館の名が書いてある。
「北からですわ」
エイドリアンが、書付から目を上げた。
リディアは封を切った。便箋は一枚きりで、字は硬く、ところどころで止まった跡があった。
リディア・ペンブルック様
三年分の礼状を、去る冬に、初めて全部読みました。ありがとうございました。
最初の礼状でお尋ねいただいた馬の名は、ソレルと申します。何年も遅れたお返事になり、申し訳ございません。北へも連れてまいりまして、今は毎朝、私が世話をしております。
ご婚礼を、お祝い申し上げます。
ジャスパー・ハーコート
リディアは、もう一度はじめから読んだ。
馬の名を尋ねたことを、リディアは覚えていなかった。最初の面会の礼状に、そう書いたのだろう。いかにも自分が書きそうなことだった。
何をいただいたか、それをどう使ったかは、書いてある。どう嬉しかったかだけが、書いていない。書けない人なのか、書かないと決めた人なのかは、リディアには分からなかった。
「お返事は、なさいますか」
エイドリアンの声は、いつもどおり平らだった。
「いたしませんわ。礼状に礼状をお返しすると、終わらなくなりますもの。お祖母様の教えです」
リディアが便箋を畳むと、エイドリアンは書付に目を戻した。それから、目を戻したまま言った。
「私の馬の名は、まだお尋ねいただいていませんが」
「では、次にお目にかかるときに伺いますわ」
「今、お答えします」
エイドリアンは、その場で馬の名を言った。リディアは笑って、目録の余白に書き留めた。
侯爵への礼状は、その日のうちに、いただいた便箋の一枚目で書いた。
* * *
婚礼の朝、大聖堂の花嫁の控えの間で、ネルが最後の髪の留めを差し終えた。
鏡台の上には、母の真珠の首飾りを納めた小箱がある。リディアが手を伸ばしかけたとき、扉が叩かれ、女官を一人だけ連れた王妃が入ってきた。
「間に合ったわね」
王妃は小箱を開け、首飾りを手に取った。
「エレノアはね、亡くなる前の最後の手紙にも書いてきたの。リディアが嫁ぐ日に、着けてあげて、と。誰に着けてもらえとは書いていなかったから、わたくしが着けるわ」
王妃はリディアの後ろに回った。真珠がひやりと首に触れ、細い指が、うなじで留め金を探る。
「あの子は女官だった頃、毎朝、わたくしの首飾りを留めてくれたのよ。今日は、わたくしが留める番」
小さな音がして、留め金がかかった。
去年の秋、この留め金に触れていたのは、継母の指だった。居間の鏡の前で、ミレーユの首に掛けた真珠を、満足そうに直していた指だ。
リディアは鏡の中の王妃に、深く頭を下げた。顔を上げると、母の真珠が、ようやく嫁ぐ日の首元に収まっていた。
* * *
リディアが嫁ぐ大聖堂は、継母が夢見ていた場所だった。
その継母は、花嫁の家の席に座り、誰とも目を合わせなかった。宮廷に招かれない一年が明けて最初の晴れの場が、継娘の婚礼になった。
父は祭壇の前までリディアの手を引いた。その間に父が言ったのは、「裾を踏むな」だけだった。
誓いの言葉は、大司教が読み上げたとおりに交わした。エイドリアンは最後に、誰にも聞こえないくらいの声で「生涯」と付け足した。
式の後、父は来賓の挨拶を受けるたびに「公爵閣下の義父でございます」と名乗りかけ、そのたびにテオドールに袖を引かれていた。
* * *
その夜、フィッツロイ公爵家の書斎で、リディアは目録と便箋を机に並べた。
今日の式でいただいた祝いの品と、祝いの言葉の礼状を、三日のうちに。今夜から書き始めなければ、とても間に合わない。
エイドリアンが、ペンを持って隣の椅子に座った。
「一番近くで受け取る役、と書きましたが、書く方もお手伝いできます」
「では、お願いいたします。でも、一通目は、もう宛先が決まっておりますの」
リディアは便箋を一枚取り、ペンを浸した。
エイドリアン様
本日、あなたのお名前をいただきました。
これから書く礼状には、すべて、最後の行にこのお名前を書きます。一通書き終えるたびに、今日いただいたものを、もう一度いただく心地がすると思います。
リディア・フィッツロイ
新しい名を書くのは、初めてだった。少しだけ、字が震えた。
隣で読んでいたエイドリアンは、便箋を受け取ってもう一度読み、それから机の一番上の引き出しを開けた。鴨の礼状。訪問のお礼状。一行だけの返事。鴨のいる方への礼状。その一番上に、新しい一通が重なった。
番外編までお読みいただき、ありがとうございました。礼状一通から始まった二人の話は、これで本当におしまいです。
楽しんでいただけましたら、ブックマークと、下の☆での評価で応援していただけると嬉しいです。




