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ひまわり  作者: -満月-
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7/15

涼夏と千花

 ジリジリジリ、ジリジリジリ——。

 むせ返るような草いきれと、焼けたアスファルトの匂い。そして、それらを煽るかのようなセミの鳴き声。

 

 千花の自転車の後ろに乗った涼夏は、静かに来た道を振り返っていた。 炎天下の中だというのに、涼夏の肌にだけは汗の一粒も滲んでいない。夏の重い熱気が、涼夏の身体だけをすり抜けていく。どうしても宗介と直人のことが気になるらしい。そんな涼夏の横顔に気づいた千花は、前を向いたまま優しく声をかける。


「大丈夫よ、あの二人なら。もう子どもじゃないんだから」

 

「うん……。ところで、どこに向かってるの?」

 

「水族館」


「水族館?」

 

「そう。小学生の頃、みんなでよく行ってた水族館あるでしょ? あそこがリニューアルオープンしたの。だから涼夏は、行ったことないでしょ?」

 

「えっ、本当に!?」

 

「ふふっ」

 

 嬉しそうな声を聞いて、千花は思わず笑みをこぼす。そして、ペダルを踏む足に少しだけ力を込めた。


 * * *


 自動ドアが開いた瞬間、ひんやりとした空気が二人を包み込んだ。まとわりついていた真夏の熱気が一瞬で消え、汗がすっと引いていく。

 

「涼しい~」

 

 館内へ足を踏み入れると、目の前には巨大な水槽が広がっていた。青く透き通る水の中を、色とりどりの魚たちがゆったりと泳いでいる。

 

「わぁ……」

 

 涼夏は目を輝かせ、まるで海の中へ迷い込んだような幻想的な光景に、自然と足が止まる。そのまま水中トンネルへ向かうと、頭上を大きなエイが滑るように泳ぎ、イワシの群れが銀色の帯になって流れていく。青い光が波のように涼夏の頬を撫で、水面越しに揺れる光の粒が、まるで星屑のようにきらきらと降り注いだ。


「うわぁぁ……!」

 

 涼夏は思わず立ち止まり、天井を仰いだ。初めて見る光景に、子どものように声を弾ませる涼夏に千花も思わず笑顔になる。


 クラゲコーナーでは、ぷかぷか泳いでいるたくさんのクラゲがライトアップされていた。青色、緑、ピンクにライトアップされた数十匹のクラゲは幻想的だ少し毒々しい。

 

「綺麗……」

 

「綺麗だけど、毒があるんだよ」

 

「知ってる!昔、パパが海でクラゲに刺されて大変だったから」

 

「あはは、夏のあるあるだよね」


 イルカショーでは、高く跳び上がるイルカたちに歓声が響く。タイミングを合わせて飛び、仲良く泳ぐ姿はとても愛らしかった。涼夏も千花も久しぶりに見るイルカショーに夢中になって拍手を送った。


 ショーが終わると、二人は館内のショップへ立ち寄った。

 棚に並ぶぬいぐるみを眺めていた涼夏が、一匹のピンク色のイルカを手に取る。

 

「これ、かわいい」

 

 その愛らしい表情に頬を緩めていると、

 

「貸して」

 

 千花が、そのぬいぐるみをレジへ持って行ってしまった。

 

「これ、お願いします。あと、袋も」

 

「かしこまりました」

 

 店員がぬいぐるみをレジ袋にいれようと準備をする。


「えっ、いいよ。そんな」

 

「遠慮しないで!これでもお金には困ってないから」

 

 涼夏は申し訳なく思ったが、思いがけない千花からのプレゼントはとても嬉しかった。

 

「お会計がいかがなさいますか?」

 

「QRコードで」

 

 そう言うと、千花はスマホを端末にかざす。

 チャリンッ——

 電子音が軽やかに鳴り、レジ横のランプがぱっと緑に灯った。

 

「ありがとうございました」

 

 ぬいぐるみの袋を受け取り、レジを離れる。涼夏はその光景を興味津々に見つめていた。

 

「えっ、もうお会計終わったの?」

 

「そうよ。今の若者は現金を持たないの」

 

「かっこいいー、私もピッて、かざすのやりたいー」

 

 二人は顔を見合わせて笑い合った。

 こうして、久しぶりの水族館を心ゆくまで満喫した。

 

 * * *


 帰る頃には、空は茜色に染まり始めていた。

 再び千花が自転車をこぎ、夕暮れの街を走っていく。


「ごめんね、千花。私、幽霊だから代わってあげられなくて」

 

「大丈夫、大丈夫」

 

 千花は笑って答えたが、やがて二人は、以前宗介と一緒に登った上り坂へ差しかかる。

 

「うわぁ……」

 

 坂を見上げた千花が、思わず情けない声を漏らした。

 

「別の道にしようか?」

 

 涼夏が心配そうに提案する。

 

「いや、こっちでいいよ。遠回りになるし」

 

 そう言って深呼吸をひとつし、

 

「しっかりつかまっててね!」

 

 気合いを入れると、一気にペダルを踏み込み、勢いよく坂を駆け上がる。

 

 しかし、中腹まで来たところで足が重くなり、速度が目に見えて落ちていく。

 

「大丈夫? 降りて二人で押したほうが……」

 

「なんのこれしき!」

 

 息を切らしながらも、千花は笑う。

 

「私を、あんなもやしと一緒にしないで!」

 

 意地と根性だけで最後の坂を登り切った。


「つ、着いたぁ……!」

 

 坂の頂上へたどり着いた瞬間、二人は顔を見合わせて笑った。そして今度は、下り坂。ハンドルをしっかり握り、タイヤがゆっくりと斜面に沿って下っていく。しばらくすると、勢いがつき一気に海沿いの道を風を切って駆け抜ける。


「「きゃああー!」」


 ほんのり夕焼け色に染まった海が横を流れ、潮風が二人の髪を揺らした。涼夏は千花の腰にしがみつきながらも、口元には隠しきれない笑みが浮かんでいる。楽しそうな笑い声が、夏の夕暮れへ溶けていった。


 * * *


「はぁ……やっと着いた」

 

 あまりの暑さに、二人は千花の部屋でひと休みすることにした。

 エアコンをつけ、タオルで汗を拭き、やわらかい座椅子に腰を下ろす。千花は自分の部屋があまり好きではない。実家を出る前のまま時間が止まったような部屋は、今の自分には少し子どもっぽく感じてしまうからだ。ハイブランドのバッグを持ち、大人らしいファッションを楽しむ今の自分とは、どこかちぐはぐだった。


「わぁー、千花の部屋、久しぶり!」

 

 子供の頃、うちに何度か遊びに来たことがある涼夏は、懐かしそうに部屋を見回す。

 

「あんまり変わってないね」

 

 棚の小物や本、机の上まで、一つひとつ嬉しそうに眺めている。そんな後ろ姿を見ながら、千花は麦茶をひと口飲んだ。

 

(いいなぁ……)

 

 部屋の照明の光を受けてさらりと揺れる、艶のある黒髪。自分は何度もブリーチを重ねたせいで、髪は少し傷んでいる。毎月美容院でトリートメントをしているが、それでもこの自然な美しさには敵わない。そのとき、涼夏がクローゼットを開け始めた。

 

「あっ、ちょっと。そこは——」

 

 止めるより早く、涼夏は一着のワンピースを取り出していた。

 

「わぁ、この服かわいい!」

 

 赤と白のチェック柄。ふんわりとしたパフスリーブに、小さなリボンがあしらわれた可愛らしいワンピースだった。

 

(そういえば……昔、こんなの着てたっけ)

 少しだけ照れくさい気持ちになる。

 

「ねぇ、着てみてもいい?」


「えっ、うん」

 

 返事を聞くなり、涼夏は迷いなく着替え始める。

 ワンピースを身にまとい、鏡の前でくるりと一回転。スカートの裾がふわりと舞った。

 

「わぁ、かわいい!」

 

 満面の笑みではしゃぐ姿は、あの頃と何も変わっていなかった。

 

「千花って、おしゃれな服たくさん持ってるね」

 

 嬉しそうに鏡を見つめる涼夏。その姿を見ていた千花は、小さく手招きした。

 

「ちょっと、こっち来て」

 

「うん?」

 

 椅子に座らせると、櫛を手に取り、涼夏の長い髪へそっと指を通す。

 さらさらと流れる黒髪を丁寧に編み込んでいき、やがて二つの束が出来上がった。

 

「出来た!」

 

 きれいな三つ編みが完成した。

 手鏡を差し出すと、涼夏の表情がぱっと明るくなる。

 

「わー、すごい! 千花、昔から器用だったもんね」

 

 その無邪気な笑顔を見て、千花は満足そうに微笑んだ。

 

「やっぱり千花はすごいね」

 

「そうかな?」

 

「うん。昔から、おしゃれで、綺麗で、かっこよかった」


 ——綺麗。


 その一言だけが、胸に静かに刺さる。

 目の前には、何ひとつ疑うことのない笑顔を浮かべる涼夏がいる。その笑顔が眩しいほど、胸の奥が少しだけ痛んだ。

 

 (私は……綺麗なんかじゃないよ)

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