八年の年月
よく見るロゴのチェーン店に車を止め、二人は冷たいフローズンドリンクを買ってきた。甘いものはあまり得意ではないが、この猛暑にはこれ以上ないほどありがたい。
(俺がいない間に、地元にもこんな店ができたんだな)
ストローをくわえながら、店を出ると、見慣れた建物と新しい建物が混在し、懐かしさと新鮮さがある新しい街並みを眺めた。
「ねー、それ美味しいの?」
涼夏が目を大きく見開き、物欲しそうに覗き込んでくる。
車で移動している途中、おしゃれな店を見つけ、「行ってみたい」ということだったらしい。
「なんの味? 冷たいの?」
身を乗り出して尋ねる涼夏に、直人が優しく笑う。
「はい。僕の分あげるから、飲んでいいよ」
そう言って、自分のフローズンドリンクを差し出した。
「ありがとう!」
涼夏は、まるで宝物をもらった子どものように、嬉しそうにフローズンドリンクを受け取った。両手で大事そうに抱えながら、何度も嬉しそうにそれを眺めると、ストローへ口を近づける。しかし、
「……あれ?吸えない」
首をかしげる涼夏。
(……そうだよな)
昨日のカレーの件を思い出し、宗介は心の中で苦笑した。幽霊である涼夏は、飲食はできないのだ。
「あぁ……食べ物は食べられないんだ。」
直人が残念そうにつぶやく。その一言で、涼夏の瞳がみるみるうちに潤んでいき、今にも泣き出しそうな顔になった。そんな彼女を見て直人は慌ててフォローしようとする。
しかし宗介は、そんな様子を見ながら。
(当然だろ。こんな飲み物、俺たちが子供の頃にはなかったからな。だから涼夏は、一度もこれを飲んだことがない——)
内心ニヤリと、少しだけ意地悪をしたくなった。わざとらしくストローをすすりながら。
「あーあ、残念だなぁ。こんなに冷たくて美味しいものを、涼夏は一度も飲んだことがないなんて。かわいそうだなぁ」
(さっきのスリリングなドライブのお返しだ)
そんなわざとらしい言い方に、涼夏の目尻には涙が溜まり、ついには、ぽろぽろとこぼれ落ちた。
「うわぁぁぁぁん! 宗ちゃんのバカー! いじわるー!」
「宗介!」
直人が思わず声を上げるが、それでも宗介は知らん顔をして、フローズンドリンクを飲み続けた。
* * *
三人が駐車場へ戻り、車に乗り込もうとした時、ポケットに入れていた宗介のスマホが震えた。画面を見ると千花からのメッセージだ。どうやら、それらしい場所を見つけたらしく、写真が送られてきた。三人は車内へ入り、その写真を確認する。
「どうだ、涼夏。この場所に見覚えあるか?」
「えっと……うーん」
画面を覗き込んでいた涼夏は、不意に宗介の手元を指差した。
「……って、これなあに?」
「え? スマホだけど」
宗介は、はっとなる。
(そっか。スマホが普及したのは、俺たちが高校生くらいの頃だったから、涼夏は知らないんだ)
「スマホっていうんだ。ガラケーの進化版みたいなもので、電話もメールもできるし、ネットも見られる。写真だってすぐ送れるんだよ」
「へぇー! すごい!」
まるで新しいおもちゃを見つけた子どものように、目を輝かせる涼夏。
「それで、この場所は?」
「うーん……ちょっと違う気がする」
「そっか。まあ、そんな簡単には見つからないか」
宗介は車のキーでエンジンをかけようとしたそのとき、
「ねぇ、宗ちゃん」
「ん?」
「そのスマホってやつ、もう少し見ててもいい?」
どうやらすっかり興味を持ってしまったらしい。
「いいよ。はい」
「ありがとうー!」
涼夏は嬉しそうにスマホを受け取り、あちこち眺め始める。
その様子を見ながら、直人が小声で話しかけてきた。
「おい」
「ん?」
「いいのか? 見られたら困るものとかあるだろう?」
「いや、別にないよ」
宗介は何気なく答え、エンジンをかけそのまま車を走らせる。
「……ないのか」
直人は小さくつぶやいた。
その後、それらしい場所をいくつか回ったがどこも空振りで、結局、捜索は翌日に持ち越しとなった。
——————
八月二十七日、午前十時半。
翌日は宗介と剛、直人と千花のペアを変えて行動することになった。
コミュ力の高い剛は、地元の人に聞き込みを始める。
「人目が付かない山道?」
「はい。親戚のちびっ子たちが遊びにくるので、肝試しできそうな場所を探しているんです。」
「そうだね」
剛のおかげで、地元民しか知らない場所を、いくつか見つけることが出来た。
一方その頃——
直人と千花は、公立図書館で八年前の事件について調べていた。新聞の縮刷版や郷土資料、当時の地方紙の記事の一つひとつに目を通す。しかし、書かれている内容は、二人がすでに知っていることばかりだった。
「……これ以上は何もなさそうだね」
「そうだな」
二人はため息をつき、資料を元の棚へ戻していく。結局、新しい手掛かりは何一つ得られなかった。ここまで調べれば何か一つくらい見つかると思っていたのに、手元に残ったのは読み終えた資料の山だけだった。費やした時間だけが重く感じられ、直人と千花は肩を落としながら、静かに図書館を後にした。
図書館を後にすると、ロビーでは地域の高齢者たちがおしゃべりに花を咲かせていた。その横を通り過ぎようとした時だった。
「あれ? もしかして直人くん?」
不意に声をかけられる。
「えっ?」
振り返ると、そこには実家の隣に住んでいる静江おばさんが立っていた。
「やっぱり直人くんじゃない! 帰ってきてたのねぇ!」
「お久しぶりです、静江おばさん」
直人はとっさに笑顔を作る。
(……面倒なのに捕まった)
そんな本音はもちろん顔には出さない。隣で千花が小声で尋ねる。
「知り合い?」
「実家の隣のおばさん」
「へぇ」
静江は嬉しそうに二人を見比べた。
「お母さんから帰省するって聞いてたけど、すっかり格好よくなっちゃって。隣の子は彼女さん?」
「違います」
直人は即答した。
「同じ大学の友達です」
「野々原です」
千花も軽く頭を下げる。
二人のやり取りに、後ろで談笑していた老人たちまで興味津々といった様子でこちらを見ていた。
(……待てよ)
直人はふと思いついた。
この人たちは昔からこの町に住んでいる。もしかしたら、何か知っているかもしれないと。できるだけ自然な口調で事件について切り出してみた。
「実は大学の課題で、この町の七不思議について調べているんです」
「その中で、八年前この町で起きた行方不明事件を調べていて……」
「あらぁ、怪談? 夏らしくていい課題ねぇ」
静江が楽しそうに笑う。
「何か知っていることはありませんか? 噂話でも構いません」
「そうねぇ……」
静江は周りのおしゃべり仲間へ顔を向けた。
「あの事件って当時ずいぶん騒がれたじゃない。何か覚えてる人いる?」
老人たちは顔を見合わせる。
「あの頃は毎日テレビでやってたねぇ」
「でも詳しいことは忘れちゃったよ」
誰も決定的な話は持っていないようだった。その時、静江が何か思い出したように手を叩く。
「あっ、そうだ」
すると、キョロキョロと周りを見始めて、少し離れた場所で話していた男性に向かって声を張った。
「浩二さん! ちょっと来て!」
「ん? 何だ?」
呼ばれたのは六十代くらいの男性だった。穏やかな表情だが、どこか鋭い目をしている。
「こちら、うちのお隣の直人くん。それとお友達の野々原さん」
「どうも」
二人は軽く頭を下げる。
「それで、こちらが浩二さん。昔、刑事さんだったのよ」
その一言に、直人と千花は思わず顔を見合わせた。
(元刑事——!)
思いがけない人物だった。もし八年前の事件を捜査していた人だったら、自分たちが調べても見つけられなかった情報を知っているかもしれない。直人の胸に、さっきまで沈んでいた気持ちがわずかに浮かび上がる。
「この子たち、学校の課題で昔の行方不明事件を調べてるんですって。何か知らない?」
「行方不明事件?」
「ほらっ、夏祭りの帰りに行方不明になった女の子の事件あったじゃない」
浩二は古く分厚い辞書の中から、該当のページを探すように少し考え込み、
「ああ、あの事件か」と、静かに頷いた。どうやらページは見つかったらしい。
「残念だけど、俺は担当じゃなかったから、聞いた話しか知らないんだが——」
「それでも構いません」
直人は自然と前のめりになる。浩二は記憶を思い出すように語り始めた。
「当時はすぐ見つかると思っていたんだ」
「こんな小さな町だし。でも、捜査はかなり難航して、捜索範囲を広めることになったんだ。捜査員も増やしたが、私有地の立ち入りを断られることも多く、目撃証言も少なかった」
「それでも、その子が持っていた金魚すくいの袋だけは見つかって。だから、車で連れ去られた可能性も考えられた。県外へ出られてしまえば、追跡も簡単じゃない。それに……」
そこまで話すと、浩二は言葉を止めた。その続きを口にするのをためらうようだった。
「何か他に知っているんですか?」
直人は思わず一歩踏み出す。
「何でもいいんです!少しでも良いので教えてください!」
「直人」
千花がそっと腕をつかむ。
「……ごめん」
我に返り、一歩下がった。
浩二はそんな二人をじっと見つめ、何かピンときたように尋ねた。
「君たち、もしかしてその子の同級生か?」
「!」
二人の肩が同時に震えた。何も答えられず、直人と千花は視線だけを交わせ、沈黙する。しかし、その沈黙だけで十分だった。浩二は小さく息を吐く。
「いや、別に他意はないんだ」
少し寂しそうに笑う。
「そうか……あの子と同級生か。生きていれば、今頃は君たちくらいになっていたんだな」
その言葉に、直人の表情が強張る。
生きていれば——まるで涼夏がすでに死んでいるのが分かっているみたいだな。それにさっきなんで言葉を濁した?何か隠しているのか。
怪しい言動ばかりする目の前の男に、直人は警戒した。
「その言い方じゃ、まるでもう死んでいるみたいじゃないですか」
空気が一瞬で張り詰めた。
「い、いや……そういう意味じゃない」
浩二は慌てて首を振る。
「まだ遺体も見つかっていないし、家出の可能性だって……」
言い訳を重ねるように続ける。
「何年も行方不明だった子が、実は歌舞伎町でホストをやっていました、なんて話もあるしな」
(涼夏が家出?——そんなわけ、ないだろう)
胸の奥から静かな怒りが込み上げる。
「そうですか」
直人は感情を押し殺した声で答えた。
「貴重なお話、ありがとうございました」
そう言うと、その場を後にする。
「ちょっと、直人!」
千花は静江たちへ一礼し、慌てて後を追った。
建物を出てバス停に向かおうと、しばらく歩いたところで、
「おーい! 直人くん!」
後ろから浩二が息を切らして追いかけてきた。
「はぁ……はぁ……、さっきは悪かった。何か気に障ることを言ってしまったみたいで」
「別に……」
直人は立ち止まり、ぶっきらぼうに答えた。
浩二は少し迷うように視線を落とし、それから静かに言った。
「直人くん、課題のテーマを変えてみないか」
「……え?」
「静江さんから聞いたけど、七不思議を調べてるんだろう?だったら、実際の事件じゃなく、神話や昔話、怪談なんかを調べるのはどうかな」
「でも……」
「きっと、そのほうが良い」
直人が問いを遮るように、浩二は一瞬だけ周囲に視線を走らせる。そして声を落とすと、何かを警告するように静かに告げた。
「……」
「じゃあ、課題頑張れよ」
明るい声に戻りそれだけ言い残して、浩二は図書館の中へ戻っていった。直人は何も言えず、二人はその場で浩二の背中を見送ることしかできなかった。
「今の……どういう意味なんだろう」
千花が不思議そうにぽつりと呟く。直人は黙ったまま考え込んでいた。
(手を引け、ってことか……?それに、やっぱり少し何か隠しているようにも見えた)
考えても答えは分からず、ただ、新たな疑問だけが胸に残った。




