手がかり
八月三十日、午後二時。
四人はファミレスに集まった。
昼時を過ぎたばかりの店内は、家族連れの笑い声と、食器がぶつかり合う軽やかな音で、賑やかな空気で満ちていた。
「よし、全員揃ったな」
宗介たちのテーブルには、ドリンクバーでもってきた飲み物と、軽食が置かれていた。
「悪かったな、千花。大変だっただろ」
「ええ。置いてくるの、本当に大変だったわ」
***
「えーっ!」
涼夏が心底残念そうな声を上げる。
「昨日のこと忘れたの?今日は涼夏はお留守番。家で待ってて」
「そんなぁ……」
「すぐ帰ってくるから」
「うぅー……」
***
まるで子どものように頬を膨らませ、駄々をこねる涼夏のその様子が目に浮かぶ。
「それで、昨日連絡した件だけど」
宗介が表情を引き締め、本題に入る。
「前市長の私有地か」
剛が腕を組む。
「確かに怪しいよね。捜査に協力しないなんて」
「でも、田舎じゃ珍しくないんじゃないか?」
直人が静かに口を開く。
「もし何か出てきたら世間体が悪くなる。それに、当時は現役の市長だったんだろ」
「あー……うちの母さんも、それを気にして協力しなかったんじゃないかって言ってた」
直人はスマホを取り出し、前市長の名前を検索する。
「鷹見沢 恒一郎。今は市長を引退して隠居生活らしい。現役時代は道路の拡張や、若い世代向けの住宅購入補助なんかを、進めていたみたいだな。子育て世代への政策に力を入れてたらしい」
「あー、さっき通ってきた道路とか?」
千花は来る途中に通った広い道路を思い出した。
「確かに。あそこ、子どもの頃は車とすれ違うだけで怖かったもんな」
昔話に花が咲きかけた、そのときだった。
「なぁ」
剛がぽつりと口を開く。
「うん?」
「なんで今日、涼夏を呼ばなかったんだ?」
その瞬間、三人の表情が一斉に固まった。
「あぁ……」
「っ、なんだよ」
「あんた忘れたの?初めて涼夏と会ったとき、なんて言われたか」
『——見つけ出して殺すんだよ。』
「あっ……」
剛の顔から血の気が引く。
「友達を人殺しになんてしたくないでしょ」
「……そうだな」
剛は頭をかき、ばつが悪そうに視線を逸らした。
「悪い。バカなこと聞いた」
宗介は気を取り直すように千花へ向き直る。
「それで千花。昨日、涼夏から何か聞いたんだろ?」
「うん……でも」
千花は少し視線を落とし、言葉を選ぶように口を閉ざす。
「大丈夫だ。話してくれ」
小さく息を吸い込み、千花はゆっくりとうなずいた。
「……昨日、涼夏が話してくれたの。八年前の夏祭りの帰り道で起きたことを」
——————
八年前の夏祭りの夜。
夜空を彩っていた花火が終わり、人々は名残惜しそうに家路につき始めていた。宗介と涼夏も途中まで一緒に歩いていた。直人は門限があると言って先に帰り、千花と剛はそれぞれ別の友達と祭りを楽しんでいた。
「それじゃ、俺こっちだから」
「えー。宗ちゃん、家まで送ってよ」
少しでも長く一緒にいたくて、涼夏は甘えるように言う。
「えー、やだよ。おまえんち逆方向じゃん」
宗介は面倒だったわけではない。ただ、二人きりで歩いているところを同級生に見られるのが、少しだけ恥ずかしかっただけだ。
「今日は人も多いし、一人でも大丈夫だろ」
「えー……」
「それじゃ、また学校でな!」
宗介は手を振る。
「ちぇっ」
涼夏は唇を尖らせたが、小さく笑って言った。
「うん。またね。おやすみ」
「おやすみー」
宗介は小走りで家へ向かっていく。その背中を、涼夏はしばらく見送っていた。
やがて一人で歩き始める。祭り帰りの人影はまだちらほら見える。
手には、宗介が取ってくれた金魚が、提げた袋の中で水面を揺らしていた。小さな尾びれが袋の中をひらりと泳ぐたび、涼夏の口元は自然とほころんだ。
(宗ちゃんが、私のために取ってくれた金魚)
嬉しくて、何度も何度も見つめてしまう。
そのせいで周囲への注意が少し疎かになっていた。。慣れない草履では思うように歩けず、人の流れから少しずつ遅れていく。気づけば、辺りには誰もいなくなっていた。そのときだった。
「ねぇ、藤岡涼夏ちゃんだよね?」
突然、後ろから男の声がした。
「えっ?」
振り返ると、夏だというのに長袖の黒い服、深くかぶったフードに、顔の見えない男が、静かに立っていた。
(……誰?)
男は一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
「ねぇ、さっき一緒にいた男の子、誰? 僕、知らないんだけど」
(宗ちゃんのこと……?)
ぞくり、と背筋が冷え、思わず一歩後ずさる。
「もしかして好きな子だったりする? それはちょっと見過ごせないなぁ」
(なに、この人……怖い)
喉の奥がきゅっと締まり、心臓だけが勝手に速さを増していく。一歩下がれば、男も一歩近づく。まるで最初から距離を決められていたかのように、二人の間隔は少しも変わらない。
涼夏は恐怖から反射的に駆け出した。その拍子に、手から金魚の袋が滑り落ちてしまう。袋から水が漏れだし、中の金魚はぴちゃぴちゃとアスファルトの上でもがいているが、それを拾う余裕はなかった。
逃げる涼夏を男も追いかけてきた。涼夏は振り返らず、夢中で走った。振り返った瞬間、恐怖で足が止まってしまいそうで。背後から聞こえてくる足音が、少しずつ、けれど確実に近づいてくる。
——追いつかれる。
頭の中では警告のサイレンが鳴り止まず、、涼夏は無我夢中で道を走った。だから、いつもなら左へ曲がる道を、焦りのあまり道なりに真っ直ぐ進んでしまった。進めば進むほど道は細くなり、やがて木々が生い茂る山道へと変わっていった。
そのとき——
草履が地面から浮き出た木の根に引っかかり、勢いよく転んでしまった。
「きゃっ!」
(早く……立たなきゃ)
そう思った瞬間には、もう遅かった。
追いついた男が涼夏に馬乗りになり、身動きが取れない。恐怖で身体が震える。
「ねぇ、なんで逃げるの?怖くないよ?」
鼓動が激しく鳴り響く。
——怖い。ただ、怖い。
「だからさ」
男が手を伸ばしてきた。——殺される。恐怖で指先が冷たくなり、夏なのに震えていた。男と接している部分から伝わってくる体温が、気持ち悪くて、恐怖で震えている自分の体に鞭打って必死に動かす。
「いやっ!」
必死にその手を払いのけるが、その拍子に男の頬を叩いてしまう。
フードが外れると、黒い髪と眼鏡、青白い肌、少しふっくらした体つき。
暗闇のせいではっきりと顔は見えない。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
荒く湿った息遣いだけが、不気味に耳へまとわりつく。
「痛ってぇな!!」
男の表情が一変し、両手が涼夏の首へ伸び、力いっぱい締め上げられる。
(苦しい……)
「なんでこんなことするかなぁ。僕はずっと……毎日君を見てたんだよ。ずっと、ずっと君のことを思っていたのに」
(息が……できない……)
「もしかして——、——。」
男の声が途切れ、途切れしか聞こえなくなってくる。
「だったら——、——、——。」
首を絞める力がさらに強くなる。
(気持ち悪い……怖い……)
指が皮膚へ食い込み、呼吸が奪われていく。
(助けて……)
(助けて……)
(助けて……)
(誰か……、宗ちゃん、助けて……)
そこで、涼夏の記憶は途切れた。
——————
話を聞き終えた三人は、誰一人として言葉を発することができなかった。
重苦しい沈黙だけがテーブルを包み、想像するだけで胸が締めつけられるようだった。
「……ストーカーか」
剛がようやく口を開く。
「そうみたい」
千花は小さくうなずく。
「顔は見たのか?」
「見たらしいけど、暗くてよく分からなかったって。それに、そんな状況じゃ確認なんてできなかったし」
千花の話を聞いて宗介の頭の中には、新たな疑問ばかりが生まれた。
涼夏は殺される心当たりはないと言っていた。それじゃ、そいつはいつからストーカーしていたんだ。それに浩二さんが話していた、警察に相談をしていた女の子の話も涼夏のことなのか。でも——
四人は、しばらく黙り込んだいつも明るく笑っていた涼夏からは、とても想像できない話だった。ファミレスの店内では、周囲の楽しげな話し声だけが響いている。その明るさが、かえって四人の沈黙を際立たせていた。しかし、重く沈んだ空気を振り払うように、剛が口を開いた。
「そうなってくると、やっぱ怪しいのは前市長だな」
「今のところは、それが一番有力だな。今も犯人が捕まっていないことを考えると——そういえばあの元刑事、涼夏の事件を調べてるって伝えたら、少し様子がおかしかったな」
「図書館で会った浩二さんか?」
「あぁ」
「まぁー、何か知っていても話せないこともあるんだろう。ああいう組織って」
「でもどうするの? 直接前市長に 『あなたが涼夏を殺したんですか』なんて聞けるわけないし。そもそも連絡先も分からない」
「「「はぁ……」」」
直人、千花、剛がそろってため息をつく。
そのとき、宗介が遠慮がちに手を挙げた。
「あのー……連絡先は知らないけど、住んでる家なら知ってる」
***
「二丁目に少し大きなお家があるでしょ? あれ前市長さんのお家なのよー」
「その周りもみんな親戚だから、表札が全部同じなのよ」
「ほんとっ、昔ながらの地主って感じよねー」
***
朝、朝食を一緒に食べていた時に、噂好きの母さんから聞いた話だった。
「うわぁ……さすが田舎」
「個人情報、ダダ漏れじゃん」
思わぬところで、田舎ならではの情報網が役に立った。
「でも証拠がなきゃ、家まで行っても門前払いされるだけよ」
四人は再び考え込んだ。剛は腕を組んで天井を見上げ、千花はスマホを手に、何か方法がないか検索している。直人は腕を組んだまま静かに俯き、宗介は窓の外へ視線を向けていた。それぞれが考えを巡らせる中、しばらく沈黙が続いた。
やがて、宗介が静かに口を開いた。
「……鎌をかけよう」
直人もすぐにうなずく。
「僕もそう思う。こちらから仕掛けよう。ちょうど明日は夏祭りだ。心理的に揺さぶれるかもしれない」
「それじゃあ——」
四人はテーブルを囲み、作戦を練り始めた。
* * *
一時間後。
「よし。それじゃ準備を始めよう」
「私は百均でペンとレターセットを買ってくる」
「俺はホームセンターで使えそうな物を探してくる」
「手芸店ってここら辺にあったっけ?」
「たしか——」
それぞれ役割を決め、四人はファミレスを後にした。
店内は相変わらず混雑していて、宗介たちがいなくなった席を片付ける店員は、すぐにはやって来なかった。誰もいなくなった四人席へ、一人の少女がゆっくりと腰を下ろした。長い黒髪に、白いワンピース。
テーブルには、まだ氷の溶けきっていない空のグラスあり、涼夏は頬杖をつき、ストローで氷をくるくると回す。
カラン——
氷とガラスがぶつかりあう音が響いた。
すぐ横を料理を持った店員が通ったが、彼女には涼夏は見えない。
「すみませーん、3番テーブル、バッシングお願いします」
そう言い、何事もなかったように通り過ぎていった。
「みんな、ひどいなぁ。私だけ仲間外れにして」
少しだけ頬を膨らませたあと、ふっと口元が緩む。
その笑みは、さっきまでの拗ねた表情とは、どこか違い策士のような笑みだった。
「私も——」
「準備始めよう」




