剛の秘密
大学三年の頃。
高校卒業後、地方の大学に進学し、俺は人脈作りにいいと言われていた飲みサークルへ所属していた。その日の飲み会でも、いつものように一気飲みをしていた。伝統だと言われていたから、そのことに関して何も疑問に思わなかった。
「ほら、お前も飲めよ!」
「えっ……でも僕は」
「いいから。ほら、グイッと!」
周りの学生たちも掛け声を上げ、一気飲みを煽る。
「……はい」
二年生の男子が、ウォッカを一気に飲み干した。
「おぉーー!」
「いいぞ、二年!」
場は大きく盛り上がり、その後も俺たちは何度も酒を勧め続けた。
* * *
翌日。
昼から大学へ向かい、眠気と頭痛を抱えながら講義室の席に座る。
「頭いてぇ……」
昨日は飲みすぎたなと思っていた時、同じサークルの学生が話しかけてきた。
「なぁ、聞いたか?」
「何を?」
「昨日いた二年のやつ、夜に急性アルコール中毒で救急搬送されたらしいぞ」
「えっ……」
「命に別状はなかったみたいだけど、やばいよな」
胸がざわつき、落ち着かない。二日酔いが一瞬で冷め、頭の中では昨日のことを必死に思い出した。
……俺が酒を勧めた、あの二年か?いや、でも二年は何人もいた。そうだ。きっと違う。
「そうなんだ……」
「あー、しばらく飲み会は自粛かもな」
……なんで、こいつはこんなに他人事なんだ。俺たちがやらかしたことだぞ。
目の前の学生は、自分には何の関係もないという顔をしていた。その姿が剛には理解できなかった。
……もしかして、おかしいのは俺なのか。
伝統だから、みんなやっているから、そう言われていたから。疑問に思ったことはなかった。そうだ、嫌なら断ればよかったんだ。そうすれば、周りだって。
そう思おうとしたが、昨日のあの空気を思い出す。あの場で断ることなんて、本当にできただろうか。考えれば考えるほど、頭の中では多数の意見が浮かび上がる。俺は自分が加害者になるのが怖くなり、事実から目を逸らした。
——————
「もぉー、虫っ!!」
千花が不満そうな声を爆発させた。
「また蚊に刺された! このスプレー、全然役に立たないじゃん!」
ぶつぶつ文句を言いながら、何度も虫よけスプレーを吹きつける。
同じく露出している涼夏に目を移すが、さすが幽霊、一ヶ所も刺されていない。
「そんなに露出してるからだろ」
剛が呆れたように言う。千花は裾の長いジーンズを履いていたが、上はノースリーブの白いフリルトップスで、肩から腕にかけては無防備だった。
「蚊も、肉付きのいいお前の血が美味いんだとよ」
「はぁ!? それ、どういう意味よ!」
「あーもう、うるさい! ただでさえ暑いのに、余計暑くなるだろ」
千花と剛の言い合いに、我慢できなくなった直人がため息をつく。そのやり取りを見ているうちに、不意に昔の記憶がよみがえった。
——そういえば、こんなこと前にもあったな。
小学六年生の夏休み。地域の施設を取材して新聞を作り、みんなの前で発表するという宿題があった。偶然にもこのメンバーで作成することになり、あの日も、今と変わらず賑やかだった。
***
「暑いー! まだ着かないの?」
千花がなかなか目的地に着かないことにしびれを切らし、先頭を歩く剛に不満を口にする。
「ん? あれ、この道で合ってるのか?」
剛もさすがにおかしいと思ったのか、地図を見ながら首をかしげる。
「ちょっと貸して」
すぐ後ろを歩いていた直人が地図を覗き込み、すぐに苦笑した。
「剛、地図逆だよ」
「……え?」
「だから、こっち」
直人が反対方向を指差す。それは、自分たちが今歩いてきた道だった。
「ちょっとー!」
「悪い悪い」
剛が頭をかく。悪気がないのは分かっている。だが、この暑さの中、長時間歩かされるのは勘弁してほしい。
「もう、貸して! 私が地図持つ!」
「いやいや、俺が持つって!」
千花と剛が地図を取り合おうとした、その時、直人が呆れながら間に入る。
「ほら、早く行くよ。 施設の人も、僕たちが来るの知って待ってるんだから」
その様子を、少し後ろから宗介と涼夏が並んで見ていた。
「賑やかだね」
涼夏が楽しそうにくすっと笑う。
「まったくだ」
宗介も苦笑いをした。そんな他愛もないやり取りを繰り返しながら、五人は目的地へ向かって歩いていった。
***
——懐かしいな。
思い返してみれば、あの頃から何も変わっていない。前を歩く剛と千花は、今も同じように言い合いをしている。直人はその仲裁役で。涼夏は、少し離れた場所から楽しそうに笑っていた。
あの夏の日の景色が、目の前の光景と重なって見えた。だからこそ宗介は、この時間がいつまでも続くような、そんな気がしていた。
* * *
山道をさらに奥へ進むと、あたりは緑がかった薄闇へと沈んでいった。
古びた看板は放置され、⾜元には誰が捨てたのかも分からない、空き⽸や煙草の吸い殻が点々と散らばっている。両脇からせり出した夏草は膝の⾼さを越え、蔓草の絡みついた枝が⾏く⼿を塞ぐように伸びていた。⻑い間、誰の⾜も踏み⼊れていないことは明らかだった。
「あっ……」
五人が古びた倉庫を横切りもう少し先へ進んだ、その時だった。
突然、涼夏が足を止めた。どこにでもある山道だった。しかし、明らかに今までと何か違う涼夏の様子をみて、宗介も足を止めた。
「どうした? 涼夏」
返事はないが、その瞳は一点を見つめたまま、大きく揺れていた。
その次の瞬間、記憶が激しくフラッシュバックする。
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息を切らしながら山道を走る。
首を締めつけられる苦しさと土のにおいが鼻に突く。
馬乗りになった男の荒い息遣いが耳から離れない。
苦しい。
息が出来ない。
苦しい、怖い。
助けて。
助けて。
助けて。
誰か——宗ちゃん、助けて。
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「っ……!」
涼夏は口元を押さえ、その場にしゃがみ込んだ。体は小刻みに震え、幽霊の涼夏の額には、あり得ないはずの汗が滲んでいた。
「涼夏!」
全員が慌てて駆け寄るが、彼女はそのまま力なく倒れ、意識を失ってしまった。その様子を嘲笑うかのように、すぐ近くの木に止まっていた蝉が、けたたましい声で鳴き始めた。夏の山道に響き渡るその鳴き声だけが、何事もなかったかのように続いていた。




