第七十ニ話:目覚め
俺の脳はVRで体を動かすことに長けているらしい。それも、ただゲームが得意、という範疇では言い表せない、ある種の特異体質といえるほどに。
このスタブレで最強のプレイヤーであるケンさんは、俺にそんなことを言った。また、彼も同類だと。
あの話を聞いてからも、俺は脳の検査を受けてはいない。日常生活に影響が出ているわけではないし、何よりネットで軽く調べてみたのだが、脳の精密検査を受けるには相応のお金がかかる。
それに検査結果がどうあれ、渚に誘われるままに始めたVRゲームの魅力に俺はすっかりハマっているし、しばらくやめることはないだろう。現実の体では決して真似できないようなアクションを決める快感は、魔性のものだ。
仮想現実とは、仮想なのか、現実なのか。
多くのVRゲームプレイヤーは、現実ではできない新体験を仮想現実の中に求める。それは忙しい日常から切り離されたスローライフだったり、過ぎ去った青春を取り戻すような甘酸っぱい恋愛体験だったり。
仲間と協力して世界を救う勇者にも、宇宙を飛び交うロボットパイロットにもなれる。俯瞰ではなく、物語の、あるいは世界の中に自分が入ることで味わうリアルなゲーム体験。それこそが魅力だ。
仮想でありながら、現実のような体験を。
ただ、ゲームだ。現実ではない。
ゲームだから、人は気軽に剣を振れるし銃を撃てる。
ゲームで銃を撃つのが得意な人間が、現実でも射撃の名人とは限らない。そしてゲームで銃を撃つことが好きな人間が、現実でも銃を撃ちたいと考えるわけじゃない。
無論、それを混同してしまう人がゼロとは言い切れないし、現に今も過激なゲームが人の思考に悪影響を与えると主張する活動家もいる。けれど大多数は、ゲームとリアルを別のものとして楽しんでいるはずだ。
スコップの刃先が目の前を通り過ぎる。数ミリ前を刃物が通り過ぎて、それでも俺は冷静に左手の短剣を握って反撃の隙を伺っている。
「現実なら、きっとビビッて飛び退くんだろうなぁ」
冷静でいられるのは、これがゲームだと正しく理解しているから。
けれど、けれど、けれど。
電子存在の奥に感じる、殺意のようなもの。背中をぞくぞくと這いまわる震えのような感覚。
これを味わうたびに、魂の奥底から「楽しい」という感情が湧き出てくる。
俺はゲームを楽しんでいるのか、それとも命のやり取りを楽しんでいるのか。その境界が曖昧になるこの瞬間が、一番楽しいと感じる。
ゲームをゲームだと理解している。そのうえで、ゲーム以上の何かを期待して、剣を握っている。
チリチリと脳の裏側で燻るような、奇妙な感覚がこびりついて離れない。
「〈斬々舞〉!」
「モグ!」
三連撃を放つ瞬間、モグラがその初動に力強くスコップを合わせて防いだ。筋力で押し負け、スキルがキャンセルされてしまう。
崩れた体勢、返す刃の攻撃にギリギリで短剣をあわせ、体を回転させながら受け流す。
ダメージはないが、無茶な体勢に力が加わったがために大きく吹き飛ばされた。
地面を転がりながらも素早く起き上がり、〈瞬歩〉でその場を飛び退く。
疾風。真っ直ぐな、殺意の一撃。目にも止まらぬ速さで加速したモグラの突きが、直前まで俺がいた空間を抉るように吹き抜けた。
内心の冷や汗をごまかすように、俺は苦々しく叫んだ。
「そりゃ、最初の不意打ち以外でも使ってくるよなぁ……!」
戦闘開始の初撃でも見せたスキルによる超加速の突きだ。来ると身構えていれば避けられるが、意表を突くように加速を攻防の中に織り交ぜられるだけで、一気に対応が難しくなる。
「取れる間合いが長いんだよなぁ!」
俺を相手どっていたプレイヤーも同じ気持ちだったんだろうか。
追撃は適度にいなし、後ろに下がって距離を作る。深追いはなく、モグラもまた一度後ろに下がった。互いが見合う形になる。
一呼吸。チャージを溜め、相手の隙を伺う。だが油断なく構えたキングモグラの構えは達人のそれであり、一分の隙も見られない。
なぜか、モグラの顔が挑発的に笑ったような気がした。
直感。死のイメージが脳裏に浮かんだ。突進がまた来る。
短剣を握り、受け流しの姿勢を取る。
だが、
「――モグ!」
予想を裏切り、キングモグラが新たな技を繰り出した。
地面を蹴り、モグラはまるで車輪のように縦に回転する。前方向の加速と回転の威力がかけ合わさった大技だ。
巨体の体重を考えれば短剣で受け流すことは難しいだろう。避ける動きへ意識をシフトさせる。
幸い、回転攻撃は突きよりも速さはなく、縦方向の斬撃は当たり判定が狭い。体を横に一歩分動かし、最小限の動きで避ける。反撃のため、腰の居合刀を握る。
ズガッ! という重い効果音と共にスコップの刃先が地面を抉った。俺には当たっていない。
そのまま反撃に移ろうとして――視界が揺らいだ。
「なっ!?」
これは――スタン判定!?
スコップを力強く叩きつけた地面から衝撃が伝わり、俺の体の動きを奪った。硬直は微々たるものでしかない。一秒と経たずに体は動くようになる。
けれどもこの近接の間合いでは、その一秒未満の硬直が大きな隙になる。なまじ反撃に移ろうとしていただけに、対処が余計に遅れる。
地面に深く突き刺さったままのスコップを手放し、キングモグラが拳を握った。腰の入った右フックが俺の胴を捉える。
「かはっ――――!?」
体がくの字に折れる。視界が眩む。殴り飛ばされたと理解したころには、背中を壁へ強く打ち付けていた。
痛みはない。それでも衝撃で息が詰まり、僅かに前後不覚になる。HPは――ギリギリで残っている。スコップを使わなかった分、威力はかなり減衰しているのか。スコップなら間違いなく即死だったはず。
状況分析はそこで中断させられた。スコップを持ち直したモグラが、俺を睨んでいるのが微かに見えたからだ。
壁に足をかけ、とにかくスキルを発動する。〈ハイジャンプ〉で斜め前方へと飛び出した。真下を突きが通り抜け、壁にスコップが突き刺さる。
後先考えずに跳んだので着地が上手くいかない。頭がくらくらする。地面に投げ出されるように転がって、どうにか命を繋いだ。
「はぁっ、はぁっ……!」
息があがっている。いや、気のせいだ。減っている体力はHPの意味で、肉体疲労ではない。
「モグ、モグ!」
執拗なまでの追撃がくる。状況を立て直す暇を与えさせない怒涛の攻めだ。
突きを躱して、横振りを短剣でどうにか凌ぐ。けれども一度相手有利に傾いた天秤は、なかなか戻せない。
あと一撃でも当たればゲームオーバーだ。モグラもそれが分かっているのだろう。大振りを入れず、流れるような連続攻撃を繰り出してくる。反撃や回復を行う隙が見いだせない。
思考が散らかる。右から左からと、フェイントを巧みに織り交ぜつつ繰り出される攻撃は即座に対処しないといけない問題で、それ以外の動きをする余裕がない。
掛け違えた戦闘のリズムは秒ごとに調子を外れていく。いつかは致命的な隙になることだけは分かるのに、流れを引き戻すための力が足りない。
ナギとの模擬戦が頭をよぎった。このままだと、あの時のように押し切られる……!
キングモグラがスコップを振りかぶる。反射的に短剣を構えた。が、頭が上手く体に追いついていない。受け流すためのタイミングを合わせられず、体を両断される。そんな死のイメージがまるで走馬灯のように頭をよぎった。
ふと、顔をあげる。――目が合った。
視線に交じる仮想の戦意。戦いの熱が伝播する。
決して余裕のない状況だ。そんなものをいちいち気にしている場合じゃない。けれど、なぜかそれが、むしろ余裕がないからこそ、余計なことを考えるまでもなく直接に響いたのかもしれない。
勝ちたいと、そう強く思った。
ここには自分と倒すべき相手があって、剣があって、全てをそれに捧げるだけの価値がある。
恐怖、高揚、焦燥、渇望――ぐちゃぐちゃになった感情と思考が、全てを押し流すように加速する。
――パチン。
何かが弾ける音を幻聴した。燻るような脳の感覚が弾け飛び、血など流れていないはずの仮想の体で血液が沸騰する。
パチン、パチンと音がする。音がする度にチカチカと目の前に星が飛ぶ。その度に、頭と体が軽くなっていく。
視界が広くなってきた。モグラの動きが全て脳に入ってくる。僅かに腰を引いた。横薙ぎがくる。理解できる。
跳ぶ。ここだというタイミングで足を強く下ろす。
俺は振りぬかれるスコップの柄を足場にして、跳んでいた。
自分でも驚く。よりも早く体が動いてくれている。
空中で居合刀を掴み、抜き放つ。
「〈抜刀〉」
切っ先はするりとモグラの胴に吸い込まれ、直撃を取る。さらに空中で踏ん張りを効かせるために〈エアステップ〉を発動。ありえない位置で切り返し、〈連閃〉につなげてもう一撃。
想定外の反撃に驚いたモグラが、たじろぐ。が、怯まず攻め気を見せた。
攻勢にでる動きは見えていたので、先に俺の方から動いている。
〈瞬歩〉で加速を乗せて、奴の肩に短剣を突き刺した。加速のまま引き裂く。
見てから考えるまで、考えてから動くまでのタイムラグがない。
わずかな動きだけでその先が予測できる。予測に間に合うように、体が自然と動く。
いつか狂虎と戦った時にも感じた、そしてあの時以上の奇妙な全能感が体中に行き渡っている。
「は、はは……!」
俺の動きの何かが変わったと感じ取ったのだろうか? キングモグラが先ほどまでの畳みかけるような勢いとは打って変わって、距離を取った。
モグラが数センチ、左足を後ろに引いた。きっと突撃の構えだ。
肩が動いた。それと悟られないようにスコップを引き寄せている。
隙を見せれば、すかさず飛び込んでくるだろう。
だからこそ、小さく息を吸って、軽く構えを崩す。
「来い」
――――動いた。
「〈瞬歩〉!」「モグッ!」
動きを見た瞬間、スキルを発動。
互いが真っ向から加速する。目にも止まらぬ速度同士が互いに向き合えば、激突までの時間はもはや常人の認識できる速度を超える。
そこへ斬撃を置く。脳の入力が体の反応を超えて、先んじて打ち出したイメージを遅れてシステムが再現する。
「〈抜刀〉ぉ!」
渾身の一撃は、まったくの同タイミングで振りぬかれたスコップと激突した。
甲高い金属音。腕から肩に向かって駆けあがる衝撃。居合刀の耐久値が大きく目減りし、折れる寸前までになる。
体重をかけて突っ込んだ加速は完全に体格差で殺された。居合刀とスコップが互いに打ち合い、体格差に劣る俺が大きく弾き飛ばされる。
「――まだだ!」
それでも俺の脳は眼前の光景を認識して、処理をして、最適解のままに体を動かしてくれる。
脳内入力でショートカットメニューを呼び出し、剣の耐久値を回復するアイテムである『剣の欠片』をオブジェクト化する。
剣の欠片を爪先でリフティングするように自分へ向けて蹴り上げ、〈納刀〉の動作の中で刀身にぶつける。
僅かな衝撃で砕けた剣の欠片が効果を発揮し、吹き飛ばされるなか、曲芸染みた動作で居合刀の耐久値を回復させることに成功。そのまま空中で鞘へ刀身を収め、〈錬気〉でチャージを回復させる。
モグラもただでは終わらない。一度は俺の攻撃に弾かれて止まった加速を、さらに前へと推し進めた。
モグラは地面を蹴り、縦に体を回転させる。またしてもあの技だ。
スキルエフェクトの光を纏い、一つの斬撃と化したモグラが再度突撃してくる。
まともに触れることすらできない暴力の嵐。吹き飛ばされ未だ空中の俺に、避ける手段は乏しい。仮に避けられたとしても、衝撃波によるスタンコンボにつなげられる。
「おおおおおおおぉぉ!」
無意識に腹の底から声が出る。目が限界まで開き、すべての情報を取り入れて、脳が処理していく。ストップモーションのように時間が細切れにされた感覚、高速で回転しているはずのモグラの動きすらゆっくりに見える――今だという感覚に従って、俺は左手の短剣を投げていた。
当たる。
狙い通り腕に刺さり、モグラの動きを妨害する。
そうして稼いだ僅かな時間で〈エアステップ〉を発動。貴重な空中での移動スキルを回避ではなく反撃のために使う。
チャージは〈錬気〉を発動しただけで、ほぼ溜まっていない。だからこそ〈重ね刃〉を発動して少しでもダメージを引き上げる。
さらに俺の最大の加速を重ねて、威力を高める。
今なら当てられる。
「〈土竜突〉――〈斬々舞〉」
一撃目、スコップの刃先の付け根を叩き、打ち砕く。
ニ撃目、肩に刺さった短剣の柄を叩き、更に深く突き立てる。
三撃目、とどめに胴を斜めに両断する。
「――――っはぁ!」
無意識に止めていた息を吐ききる。駆け抜け、踵で地面を削りながら減速する。
「モ、モグ……」
今更になってガンガンと痛み出した頭を振り、アドレナリンで昂った気持ちのままに吠える。
「見たかオラぁ!」
モグラは光の粒子となり、砕け散る。
光の中から、何かの欠片がカランと音を立てて地面に落ちた。
――『モグモグ百匹組手:皆伝編』をクリアしました。
――EXスキル〈土竜撃〉を習得しました。
・割れた宝玉
込められた力は失われていない。片割れを求め、未だ輝く。




