44話 狩り立てる群れ/Hunting Pack
この大陸──いや、この『世界』における固有天然樹、エヴラの樹。丈夫で成長が早く、高いもので八十メートルを優に超える大樹である。
建築を始めとした木製の用材から、独特の芳香のある精油成分を利用した道具など、幅広い用途がある。
そんなエヴラの樹群が密集するように生えそびえることで、この名も無き森は形成されている。
そんな広大な森にいつしか、ある種の神々しさと他の獣を寄せ付けぬ格位と佇まいを持つ、『獣の王』が住処として居付いた。
全身を研ぎ澄ました刃物のような輝きと艶の体毛に覆われた、白銀の大狼。
だが王とはいえ、『それ』は別に森を守護する精霊や神霊といった、いわゆる神聖な概念というわけではない。
何者であろうと歯牙にも掛けず、歯向かう者あらば露払いの如く屠り、格の違いを解らせ、腹が空いたら手頃な獲物を喰らう。
ただ自然界における絶対強者として君臨するだけで、何者に対しての敵味方でもなく、自適のまま泰然と振る舞うのみ。
『────』
人からも獣からも恐れられ、命知らずな阿呆が無謀な挑戦でもしてこない限り一顧だにしない王だが、万事全てにおいて無情というわけでもなかった。
王には『子』がいた。この世に生を受けてまだ間もない、白銀の幼狼だ。
小さく、愛くるしく、無邪気で、穢れを知らぬ幼き子供。
そして特別な力ある存在である身から生まれた子は、それもまた特別な力あるものとして生まれるのが理というもの。
だがあろうことか、その愛する我が子を奪った不届者がいる。
しかも群れることと小知恵を働かせるしか能のない人間風情でありながら、自分と同じく常外な力を振るう不可解な連中。
その連中は昨日、宝である子をさらい、何処とも知れぬ場所へと消えてしまった。
匂いだけでなく、どれだけ離れていようと魂の在処で場所がわかるというのに、まるでわからなくなってしまうという不可解な状況に、今まで困却していた。
ところが一夜経った今日、この森に子と不気味な魔剣の気配を放つ連中が再出現した。
『────』
獣の王の射刺すような金色の両眼が、森の一角を静かに捉えていた。
◇
昨日から今日までハル、ナツ、アキ、フユの四人が共に過ごした、異世界で初めて出会った少女フレン。
だがその少女は、森に住まう民族『深緑の民』のフレンではなく、本物のフレンを喰らって、その姿・人格・記憶を得た人外の存在だったという驚くべき事実を知った。
記憶の欠落と混濁により自我が不安定に陥り、それでも少しずつ欠けた自分を取り戻した時、彼女は皆の前から姿を消した。
フレンにまつわる情報が出揃う中、ハルは昨日対峙し、撃退に至れなかった白銀の大狼エオルギスについて教えて欲しいと口にした。
ところが──。
「エオル⋯⋯ギス⋯⋯?」
「一体何の話です?」
ハルからの問いかけに対し、何のことかわからず髭面をしかめるクロムと、同じく首を傾げる息子クライド。
見たところすっとぼけている様子はない。であれば、この森に生きる人々があれほどの超然的な存在を知らないとはどういうことなのか。
「まさか⋯⋯『あれ』を知らない? いや馬鹿な」
「え、ウソ、あのエオルギスって有名じゃないの?」
「滅多にお目にかかれない超レアモンスター的なアレか?」
「みんな⋯⋯普通に知ってるものと、ばかり⋯⋯」
ハル、ナツ、アキ、フユは現地人からの意外な反応にそれぞれ困惑する。
エオルギスが、実はこの森ではない別の何処かからやって来たというパターンであれば、この森に住む人間がそれを知らないことの説明はつく。しかしそれでは辻褄が合わないのだ。
ただそれについては一旦脇に置き、ハルは二人に説明することにした。
「エオルギスというのは、真っ白な大きいオオカミのバケモノです。昨日フレンを森で見つけてすぐ遭遇しました。今まで戦ってきたダイトドンやコンドリスみたいな魔獣とは比べ物にならないほど強いやつで、四人がかりでも倒せませんでした」
「! それは!」
「特徴からしておそらく、『獣の王』⋯⋯でしょうね」
ようやくハルの言う『エオルギス』を指す何かについてクロムとクライドは合点がいったらしい。
「獣の王はわしが生まれるよりずっと昔からこの森に住む魔獣です。⋯⋯いや、そもそも『魔獣』であるかどうかも。既に見たことがあるならわかるでしょうが、明らかに他の魔獣とは雰囲気が違ったでしょう」
「森を歩いてると、極稀に見かけることがありますよ。ですが向こうは人間なんて興味ないんでしょうね。よほど虫の居所が悪いか、ちょっかいをかけない限り、こちらを気にもしません」
「あれは、森の守護者とか⋯⋯そういう特別な神みたいなものではないと?」
「特別と言えば特別なんでしょうけど、僕たちにもよくわからないモノです。ただ、出会ったら絶対手出しするなというのが村人の常識ですね」
クロムとクライドの口から漠然とだが、村人にとってのエオルギスの立ち位置はわかった。
ことファンタジーにおいて森を守護する『神獣』や『霊獣』といった格式高い超常存在の類はお馴染みであり、その圧倒的存在感から四人もそういうものだと自然に解釈していた。
だが実際はそんなありがたいものではなく、恐ろしいほど美しく強いバケモノらしいとのことだった。
「──ってことはさ、あのオオカミ自体はみんな知ってるけど、名前が『エオルギス』っていうのは知らなかった⋯⋯っていうこと?」
「まあ、本人? 本狼? つーの? あいつが『エオルギス』って名乗ったワケじゃねーもんな。誰かが名付けたりもしてなかったんなら、エオルギスとか固有名詞言われても何のことかわかんねえだろ」
「ん⋯⋯でも、それは、おかしいよ⋯⋯」
ナツとアキが納得しかけた時、フユが片眉を上げた表情で不自然な点を指摘した。
「だって、私たちが⋯⋯『エオルギス』って名前を、知ったのって⋯⋯フレンがそう言ったから⋯⋯でしょ?」
「そうそう。みんなでエオルギスと戦ってる時、ずっと寝たままだったフレンが起きてそう言ったんだよね。『あのオオカミのこと知ってる?』ってフユが聞いてさ」
「フレンが⋯⋯ですか? あ、いや、正確にはフレンの見た目と記憶が反映された怪物でしたが」
森で再会した時から「フレンでない何か」の正体を知り、彼女を頑なにスルーしていたクライドがその存在を否定するように首を振ると、アキが口を挟む。
「んー? なあ、でも『フレンもどき』にも生前のフレンの記憶があんだろ? なら本物のフレンがエオルギスを知ってたってことになるぜ?」
「あ、それもそっか! クロムさん、フレンが生きてる時、それをどこで知ったかの心当たりありませんか!?」
「⋯⋯いえ、わしもあの獣の王がエオルギスということすら今聞いたばかりですし⋯⋯何より本物のフレンが死に、あのフレンが偽物だったというだけで理解の範疇を越えるばかりで⋯⋯」
「──! そうか、そういうことか!」
クロムが頭を抱える中、言葉控えめに思案しながら手掛かりを整理していたハルが声を上げた。
「お、なんかわかったのか? ハル」
「ああ。フレンが勝手に呼んでるオチとかじゃない前提だけどな。フレンがエオルギスの名前を知ってた理由だ」
これまでバラバラだった疑問という名の点の数々を、一本の線で繋ぐ時が来た。
「まずはエオルギスと戦った時を思い出してみろ。あの時エオルギスは、なぜか眠ってるフレンばかりに飛び掛っていただろ?」
「おう、それをオレらが必死に食い止めたんだ。魔剣のタイムリミットギリギリまでな」
「リミット以内に⋯⋯倒し切るのが無理だと判断して、フレンを連れてみんなで⋯⋯日本に撤退したね」
「あたし最初、フレンがよっぽど美味しそうなエサにでも見えたのかなー、なんて馬鹿なこと考えてたけど、そんな単純な話じゃないか」
「当然だ。あのエオルギスの行動が、フレンへの『攻撃』じゃなく、実はフレンの『保護』だったとすれば色々と腑に落ちる」
「フレンの保護? ⋯⋯あっ! じゃあ、フレンがエオルギスの名前を知ってたのって!」
「エオルギスの仲間とか身内だからってことか!」
事象と理由の因果関係を結び付けて説明付けるならそれしかない。ナツとアキは膝を打った。
しかもそれだけではない。
「その根拠はまだある。森で寝ていた状況、フレンという自分の名前、魔獣、霊晶石、クロムさん⋯⋯不完全な記憶で何かを思い出そうとすると様子がおかしくなるあれもだ」
「へ? それが根拠になんのか? 」
「エオルギスと交戦中に眠り姫状態のフレンが起きただろ。フユがその時フレンに質問したことだ」
──聞きたいこと、いっぱいあるけど⋯⋯時間がないの。あなた、『アレ』に狙われてるの?
──えと、わかんない。起きたらこんなことになってて、なにがなんだか⋯⋯。
──アレが何者かとかは、わかる? そんじょそこらの⋯⋯バケモノじゃ、ないよね?
──エオルギス⋯⋯。
──エオルギス? それがあのオオカミの名前──?
「! そうだ⋯⋯! 私がフレンに質問した時⋯⋯エオルギスの名前だけは、思い出す素振りとかなくて、即答してた⋯⋯っ!」
振り返った記憶を思いかえし、フユも大きく目を見開いた。
自分が現在置かれた立場すらまともに思い出せなかった、あの「フレン」の欠落と混濁の記憶。
これまでの彼女を見るに、一度思い出した後ならその情報に関する支障はなくなるが、最初は謂わば多くの項目が虫食いや文字化けになった、エラー状態のようなもの。
だから特定の事柄に触れると、その情報を脳で処理しようと数瞬の奇妙なフリーズを起こしていた。
だがエオルギスの名前を出す時だけはそれが起こらず、しかも村の人間でも知らない固有名詞を知識として知っていた理由。
──それはその記憶に関してのみ「生前のフレンの記憶」ではなく、フレンを喰った怪物元来の知識だったから。
「本来なら何の接点もない、ただの村娘のフレンとエオルギスとの関係。そのフレンが怪物に喰われてフレンの記憶と外見が反映されたこと。そして不完全な記憶でもエオルギスの名前を知っていたこと。これらを一纏めにすると答えは一つ」
ハルは確たる自信を持って告げる。
「アキが言った通り、その怪物がエオルギスの仲間か何かって線が濃厚という論になるわけだ」
クロムとクライドは絶句しながら息を呑んだ。
物証があるわけではない情報と記憶を頼りにした推理。だが、もはや疑いようもない。
これでフレンに関わる知りたいことは大体知ることができた。あとはその肝心のフレンがどこに消えたかだ。
次はこれから取る方針について話して決めるべき。
──そう切り替えようとした時だった。
「クロムの旦那ァ!!」
バァン! という音と共に勢いよく玄関が開け放たれ、浅黒い肌の大男が転がり込んできた。堀の深い顔が焦燥に塗れているのを見れば、緊急事態が起きたことを思わせるに難くない。
いきなり話し合いの場に現れた闖入者に皆が呆気に取られる間もなく、男は叫んだ。
「魔獣だッ! 魔獣の群れが次々と『門』から入って来やがったァ!!」




