43話 悪魔の教示者/Demonic Tutor
深い深い森の中を、ただ闇雲に走っていた。
悲しみ、苦しみ、痛み、憎しみ、怒り、嘆き、怨み、慈しみ。グチャグチャな心に突き動かされるまま『ここではない何処か』を目指してひたすら前に向かって足を動かす。
まだ完全に思い出せたわけではない。それでもバラバラに散らばったピースの大半が空白を一つ一つ埋めていった末、沸き上がってくる情動に頭が支配されてしまった。
──自分は自分ではあるが、本当の自分ではない。
「はぁ、はぁ、うっ⋯⋯うぇぇ⋯⋯」
その事実を再確認した途端、緑色の髪の少女は込み上げる吐き気にえずき、駆け出してからずっと稼働させていた足を止める。
どうしてこんなことになってしまったのか。
誰に訊くまでもない。全部『自分』のせいだ。
──『私』が死んだのは、怒りと悲しみを抑えられなくて不用意に村を出てしまったから。
──『私』が『私でない私』を食べてしまったのは、ただお腹が減っていた時に、たまたま格好の獲物がやってきたから。
──そして『私でない私』は、食べた『私』の外見と記憶をそのまま受け継ぎ、『私』と『私でない私』はひとつになった。
「うぅぅぅぅ⋯⋯」
その緑髪の少女──「フレンという村娘」の人格と肉体を模写した「フレンでない何か」は、立っているのも辛くなり、手近な巨木に背をもたれかける。
ただただ気持ち悪かった。今の自分は、フレンでも、フレンを食べる前の何かでもなく、両者の心を混ぜ合わせて出来た第三の何かだ。
本物ではないが、偽りとも言い切れない自我。フレンだった頃の人格はそのままあるのにフレンじゃないという矛盾。
そして、本来知るはずのないフレンでない方の記憶。そちらが肉体の持ち主としての正しい記憶だ。
──混濁した心。自分があまりにも気持ち悪くて、怖い。
「わたし⋯⋯どうすればいいのかな⋯⋯」
首を上向けぽつりと呟く。自然と涙が溢れてきた。
あの村に帰りたかった。でも帰れなかった。帰っていいのかもわからなかった。こんなことなら思い出せないままでよかったのに、どうしてよりによって村に到着する直前に思い出してしまったのか。
村に入る境界は、自分の心の境界でもあった。そこを踏み出していいのかわからないから、皆の前から逃げるように走り去ったのだから。
「──『どうすればいいか』で迷ったなら、『どうしたいか』で決めるしかないんじゃない?」
「っ!?」
不意に誰かから声をかけられた。女性の声だ。
何の気配もなく、何の前触れもなく、少女の誰に聞かせるでもない独り言に返事をした者がいた。
反射的に声のした方に首を向けると、そこには灰色の衣服を身に纏い、同じく灰色の帽子を深く被った大人の女性が立っていた。
女性は「おやおやー?」とわざとらしい口調で、少女に対して一歩踏み出す。
「君さ、こっち側の世界の⋯⋯人(?)だよね。その服、あっちでの貰い物かな?」
防止の鍔で半分隠れた女性の目が、少女が着る日本製の服装を舐めるように見た後、少女の人ならざる金色の瞳と視線がぶつかり合う。
「⋯⋯ふーん、な〜るほど。だいたい読めたわ。その目、人間のそれじゃないね? シェイプシフター的な特性でオリジナルの姿を模した状態。なかなか面白いじゃない」
「え?」
「対象の情報を物理的に取り込むことで、その姿と記憶を得る。君の固有の性質みたいだけど、その効果の適用範囲を自力でコントロール出来てないみたいね? ⋯⋯ほら、涙拭きなさい。偽りの姿とは言え、せっかくの可愛らしい顔なんだからさ」
そう言って女性は、胸ポケットからハンカチを取り出し、少女の目元を拭う。
言っている内容はあまり理解できないが、言葉は理解できた。
この女性は、あの異界の魔剣使い達と同じ言語で喋っている。
「ちょーっとあの子たちの様子を見て、ちょっかいでもかけてみようかなー、とか思ってたんだけど、こっちの方が面白そうね」
「あの子⋯⋯たち⋯⋯? ──っ!!」
少女は察しがついた。それに心当たりがあったのだ。
あの交友した四人の異界の魔剣使い達は、謎の女を探すために異世界を行き来していることを。
作業着の女──この全身ネズミ色の野暮ったい服装が作業着とやらなのかは知らないが、少なくともナツやフユ、それに八王子で見かけた女性が普段使いとして着るような服とは思えない。
ハル、ナツ、アキ、フユの四人がおそらく追い求めているであろう標的。それがなぜか自分の目の前にいた。
そう思った瞬間、この友好的な態度で親切心を見せる美女が、途轍もなく恐ろしい存在に映った。
その直感は正しい。向けられる優しい微笑みが、立ち竦む少女に逃げる選択すら与えられぬまま、心を雁字搦めにしていく。
「じゃあ、剥き出しになった心にもう一度訊こうかな。君が本当に心から望むものは、何かな?」
◇
深緑の民の集落、その一角にある山男クロムの居宅。
その息子クライドの口から告白された、恐るべき真実。
父親を亡くしたばかりのフレンは、悲しみに突き動かされるまま森に出てしまい、運悪く怪物に襲われて喰われた。
その光景をたまたま村から飛び出すフレンを見かけ、後を追いかけたクライドは目の当たりにしてしまったという。
しかし、それだけならば自然界における弱肉強食の理として、野生の糧になってしまった一つの不運な悲劇と言える。
『深緑の民』は自然との共生と調和を旨とする民族。自然に生かされ、時には自然を生かす。弱肉強食とは決して残酷な摂理などではなく、この自然を形成する美しいサイクルなのだから。
だがクライドを真に絶望させたおぞましい展開はここからだった。
屍肉を貪り、骨を齧り、脳漿を啜る『それ』が突如として変異し、何と今まさに自然の糧となったばかりの少女と同じ姿となったのだ。
──あれぇ? ここどこなのかな?
生まれたままの姿で、同じ顔、同じ髪、同じ背丈、そして同じ声で困惑する、フレンと全く同じ見た目の、フレンでない何か。
そんな何かを置いて、絶望に心を呑まれたクライドは一目散に村に逃げ帰った。その数日後、まさか異世界からやって来た人間が連れ帰るなど夢にも思わずに。
「──見てください。これがその証拠ですよ」
フレンの末路を悲しみを抑えて淡々と語り聞かせていたクライドは、居室に来る際に持ち込んだ木箱の留め具を外す。
蓋を開けてみると、そこには──。
「うっ、これは」
「え⋯⋯ほ、骨⋯⋯!?」
「マジ、かよ」
「ひゅぃっ⋯⋯!」
ハル、ナツ、アキ、フユは反射的に目を覆いたくなる衝動に駆られた。クロムもまた言葉を失う。
箱に収められていた小さな白い残骸。曲線を象った頚椎の骨。今更これが誰のものかなど説明の必要もない。
「フレンの背骨の一部です。それとこっちはフレンの護符。四日前に現場に戻って回収しました。これだけしか、回収できなかった⋯⋯」
クライドは遺品となってしまった護符を、悔恨に震える手で握りしめた。
大き目の木箱にぽつんと置かれるように収められている、本物のフレンの遺骨。こんな小物入れ同然の簡素な木箱が、幼くして命を失った少女の棺代わりとなっている事実に皆、悲しみが込み上げてくる思いだった。
「あたしたちが今まで一緒に過ごしてたフレンは⋯⋯フレンじゃなかったんだね」
「甘いもん食ってはしゃいだり、歳上の男子にときめいたり⋯⋯あれが演技だったっつーのか? オレにゃフツーの女の子にしか見えなかったぜ」
いずれにせよ、四人と出会う前から本物のフレンという少女はこの世にいなかった。ナツとアキは遣る瀬ない思いで少女だった破片を前に悼む。
「フレンを食べた怪物⋯⋯。食べたフレンと⋯⋯外見だけじゃくて、『記憶』が、ごちゃまぜになったの⋯⋯かな?」
フユもまた涙を堪えながら、これまでフレンの姿をした何かの言動や立ち居振る舞いなどを思い返す。
「私たち⋯⋯本物のフレンは、知らないけど⋯⋯。時々、何か思い出したりするの⋯⋯フリーズしたり、してたよね」
「記憶そのものが本物でありながら、本人の記憶じゃない⋯⋯その影響かもな」
フユの指摘にハルも頷く。推理というより想像力によるものだが、少女が怪物に食われ、その怪物が少女の姿となったという点を考えれば、必然的に行き着く想像ではあった。
「あの記憶障害みたいな反応は、謂わば二つの異なるデータ同士が混ざり合った弊害かもしれない。怪物本来の自我に、捕食したフレンの自我と記憶がそのまま結び付いた。不完全なまま」
「そこだけ聞くと、オカルトホラーものでよくあるアレみてえだな。人外が殺した人間に成り代わって日常を送るってやつ」
「⋯⋯あの子の場合、きっとそんなんじゃないよ」
例としてはわかりやすいアキの話だったが、ナツはそれを否定した。
「今まで見てきたフレンがウソだなんて思えないし、思いたくないもん。記憶は本人のじゃないんだとしても、あたしたちが知る『あれ』があの子自身なんだよ」
「うん⋯⋯。時間が経ったり、縁のあるものに触れたり⋯⋯ちょっとずつ、生前の記憶⋯⋯思い出して、いったんだと思う。⋯⋯コピーの、記憶だけど」
──ちゃんとできたでしょ? 真似っこは自信あるの!
昨夜の散歩中、缶ジュースを開けて得意顔になっていた彼女の顔を思い出すハル。
何気なく漏らしたその一言が、フレン本人のものだったのか、それともフレンの姿を取る者としての特性が自然に出たものだったのか。
短い蜜月を思い返すも、今はそんな場合ではないと感傷的な気分を振り払い、思考を整理する。
「⋯⋯最初は自分の名前すら思い出せない状態だった。村に帰らず森にいたのは、おそらくその時点ではどこに帰ればいいかわからなかったんだ。少なくとも俺たちと出会うまではな。──ただ、その真偽は今考えても仕方ない。まだ重要な話が残ってる」
フレンの遺骨を見て呆然としたままのクロム、四人の魔剣使いの考察を黙って聞いていたクライドの二人の顔を見て、ハルは今まで同じく棚上げになったままの話題に触れることにした。
「一応、フレンとも関係する話です。『エオルギス』について詳しく教えてください」
バトルシーンも描いていて楽しいですが、考察・推理パートも楽しいです。脳のキャパをゴリゴリ食う勢いですが。




