32話 調和/Harmonize
この世界とは異なる世界からやって来た、爽涼な緑色が特徴的な髪の少女。
目を覚ますや否や、怯えや戸惑いからソファー裏の狭い隙間に隠れてしまったが、ナツの語りかけによって警戒心を解いて出てきてくれた。
緊張は若干残りつつ、異世界の迷い猫は、今度は借りてきた猫のようにソファーにちょこんと座った。
そんな彼女に、ナツは膝を折って目線の高さを合わせる。
「ねえ、よかったらあなたの名前、教えてくれないかな? あ、まずはこっちからだね。あたしは牧夏海⋯⋯ナツって呼んで」
「⋯⋯ナツ」
少女は小さく反芻してじっとナツの目を見つめた後、その後ろのハル、アキ、フユに視線を流す。
「夜永春斗、ハルでいい」
「オレは和泉秋大、アキって呼んでくれな」
「小山内冬華⋯⋯フユね⋯⋯」
「ハル⋯⋯アキ⋯⋯フユ⋯⋯」
ナツに倣い、呼びやすさを考慮した愛称付きで自己紹介された名前を、少女はオウム返しに繰り返した。
「わた、わたしは⋯⋯」
少女はそこまで口にすると続く言葉を詰まらせ、何やら険しい顔で再び黙り込んでしまった。
そんな様子を見たアキが声をひそめて隣の二人に喋りかける。
「⋯⋯どうしちまったんだ? やっぱまだ警戒されてんのか?」
「どうかな。警戒を解いたからソファーから出てきた感じだが」
「名前⋯⋯言いたく、ないのかな⋯⋯?」
「それか実はショックで記憶喪失とかか?」
「あり得ない──とも言い切れないか。保護した状況が状況だ」
「でも、私たちを⋯⋯『昨日の消えた人達』とは⋯⋯覚えてる」
何やら不可解な反応に、ヒソヒソと話し込む三人。
思い悩むような、思い出せないような、逡巡するような──そんな本来であれば会話の流れでスムーズに出てくる簡単なはずの言葉が、どういうわけかすぐに出てこない。
そうしておよそ一分後──。
「フ、レン⋯⋯」
「え?」
「──! フレン! わたし、フレン!」
フレンという単語を口にした瞬間、突然表情を明るくして元気一杯に小さな体躯を弾ませた。
「フレンっていう名前なの?」
「うんっ! うんっ! わたしフレン! よろしく!」
喜色満面にぴょんぴょんとソファーの上で跳ねる異世界の少女ことフレンに、四人は困惑の色を浮かべた。
「な、なんか名前が出た途端、いきなり元気になったぜ? あれだ、何日も便秘だったのが、やっと出てくれた時みてえな解放感っつー感じの」
「例えが汚すぎる。あの鳥モンスターの魔剣座薬といい、全力でヨゴレ担当のキャラを目指してるのか? アキ」
「いや目指してるかっ!」
「とにかく⋯⋯ずっと謎だった名前⋯⋯やっと、わかったね」
「うん、よろしくねフレン」
多少の不自然さは残るが、ともあれ小さな前進ではあった。
そんなフレンは今まで大人しかった様子とは打って変わって、前のめり気味にナツの顔を覗き込む。
「ねえナツ! さっきの美味しい食べ物ってなになに!?」
「あ、うん。これなんかがオススメだよ」
ナツはビニール袋から掌大サイズの包みを取り出し、切り口を破いてそれを差し出す。
「? これってなに?」
「シュークリームっていうお菓子なんだけど、知らないよね」
「知らない」
フレンは不思議そうにナツから包みを受け取ると、まじまじと見つめたりくんくんと匂いを嗅いだりする。
シュークリームという存在自体を一切知らない側からすれば、確かに「シワシワの膨らんだ皮の物体」という、見た目が美味しそうには感じないのかもしれない。
そしてフレンはシューの肌色の皮に思い切りかぶりつく。
「っっっ!!」
かじった口元から皮の内部にたっぷり詰まったカスタードと生クリームがぐにゃりと溢れ出すと、小さな口元につき、服の胸元を汚した。
「美味しいっ! なにこれあまーい! ムーの蜜より甘い!」
「あはは⋯⋯服ますます汚れちゃったね。まあ後で着替えるからいっか。シュークリーム気に入った?」
「うんっ! あまいあまいあまーい!」
口元や衣服が汚れるのもお構いなしに、フレンは大はしゃぎでシュークリームを堪能した。
「テンション高えなおい。昔のナツもこんなんだったっけか」
「え? あたしって小さい頃こういう感じだった?」
「割とこんな感じだったぞ」
「うん⋯⋯」
未知の美味に興奮する異世界の少女を見守っていると、ナツが「あ、そうだ」とハルに顔を向ける。
「ねえハル、この後ちょっとお風呂借りていい? せっかくだしさ、着替える前にフレン、綺麗にしてあげたくて」
「ああ。アキが入ったばかりだから湯も残ってる。ゆっくりしてきていいぞ」
「今ならちょうどいい温度になってんじゃねえの? お前らも帰ってきたら入ると思ってたからよ」
「ん、ありがと。じゃ、フユも一緒に行こ。手伝ってほしいし」
「え⋯⋯わ、私も⋯⋯? 三人一緒は、狭くない⋯⋯かな?」
「ナツ、どこか行くの?」
「お風呂だよ。ほら、いいから二人とも、行こ行こ」
そう言ってナツはフユとフレンを引き連れて洗面所へと向かっていった。
「女子が三人集まれば姦しいってか。なんか一気に賑やかになっちまったよなあ。ムードメーカー担当のオレとしちゃ⋯⋯ん? どうしたんハル」
「⋯⋯いや、今はいいか」
ハルは女子組が去っていった方を少し見つめた後、テーブルに腰掛ける。キャップの開けっ放しで炭酸の抜けかけたコーラを、再びグラスに注いだ。
それから四十分後、リビングで他愛もなく話し込むハルとアキの前に、女子組が入浴から戻ってきた。
「さっぱりしたねー。ハル、お風呂ありがと」
「三人だと⋯⋯ギューギュー、だったよ⋯⋯」
「シャワーってすごいね! キレイなお水がいくらでも出るんだもん! ずっと浴びてたい!」
「フレン⋯⋯。シャワーのお湯⋯⋯大量にガブガブ飲み始めて、焦っちゃった⋯⋯」
「いくら汚い水じゃないって言ってもねー」
「やっぱり⋯⋯昔のナツと、そっくり⋯⋯」
「あたしホントにこんなことしてた!? そういうのってむしろアキのキャラじゃない?」
「どーゆー意味だこら!」
女子の騒がしい声はこのリビングまでよく聞こえてきたので、狭いバスルーム内で現代日本の現代技術の利器にはしゃぐ異世界人の少女と、それに振り回される歳上の女子二人の光景がありありと浮かんだ。
そして──。
「お、フレン。それめっちゃ似合ってんぜ、なあハル」
「ああ、元の素材がいいからな。ジュニアのモデルみたいだ」
アキとハルは異世界の少女を褒める言葉を送る。
フレンは入浴前に着ていた異世界産の衣服ではなく、フユが自宅から持ってきた服を身に纏って二人の前に現れた。
リボンのミニフリルをあしらった白のドレスシャツに、ブラウンのチェック柄のスカートという、上品さとカジュアルを複合させた意匠。美少女と言って差し支えない容姿は、日本人とも外国人とも異なる異世界人でありながらも不自然さはなく、二つの世界が交わった調和を感じさせた。
「どう? どう? 似合ってる? 似合っふぁっ!?」
ご機嫌で踊るようにスカートをはためかせながらフローリングを回るフレンだったが、靴下を履いた足が床を滑り、体勢を大きく崩す。
「っ!」
「っと、危ない。ちゃんと似合ってるから安心しろ」
尻もちをつくすんでのタイミングでハルが素早く寄り、フレンの背中に腕を回し込んで小柄な体躯を受け止めた。
「⋯⋯⋯⋯」
「どうした? 足を捻ったか?」
「⋯⋯⋯⋯」
フレンは体重をハルに委ねたまま、ハルの端正な顔立ちをぼーっと金色の双眸で見つめ上げる。
「堕ちたな」
「堕ちたね⋯⋯」
「うーん、流石の初恋キラー」
そんな幼馴染の鮮やかなナチュラルスパダリムーブを日常茶飯事と言わんばかりに、三人は呆れや感心を交えて見守っていた。
「フレン、落ち着いたら訊きたいことがあるんだ。実は俺たち、割と複雑な事情を抱えてる立場でな。よかったらフレンに色々と教えてほし⋯⋯フレン? まさかまた眠いのか?」
「いや、フリーズしてんぞイケメン」
不安や警戒心でしおらしいと思えば、年相応に元気一杯にはしゃぎ回り、また大人しくなるというテンションの忙しさ。
結局、乙女のときめきによって氷のように固まったフレンが元に戻るのに、しばらく時間を要する羽目となったのだった。




