29話 とんずら/Slip Out the Back
日常と異世界を生き来するダブルライフの初日の夜。
約二時間の異世界探索を終えて日本に帰還した、ハル、ナツ、アキ、フユの四人は、当初の予定通り「ハルの家に泊まる」という設定のため、自宅ではなくハルが一人暮らしする3LDKのファミリーマンションに帰り着いた。
この設定は本来、異世界関連のことがバレないためのアリバイ作りの一環に過ぎない。
今日のように夜までに異世界から帰ってこれたなら帰宅すべきではとハルは言ったのだが、結局は今後の「異世界活動」のことを考えると、今の内に家族に家を空けることが当たり前だという認識を刷り込んでおいた方が都合がいいとなった。
そうして四人にとっての溜まり場であるハルのマンションに、「客人」を連れて帰ってから、一時間が経過する頃──。
「ふぃー⋯⋯あがったぜーっと」
入浴を終えたアキが微かに湯気を立たせながらリビングにやって来た。
半ば指定席になりつつあるテーブルの一席に座ると、グラスに入ったままぬるくなった水を一気に飲み干す。リビングには向かいの席に座るハルと、もう一人しかいないことに気付いた。
「ん? ナツとフユは?」
「お前が風呂に入ってる間、一旦家に戻った。余計な荷物を返したり色々とな。またすぐ帰ってくる」
「あー、フユのアレとかか。別にここ置いときゃいいのにな」
異世界探索ともなれば備えあって憂いなしと張り切るあまり、登山用の大型リュックに物資を満パンに詰めて現れた彼女を思い出し、アキは笑った。
「あとナツもフユの付き添いだ。フユが昔着てた服を実家から引っ張り出してくると言ってた」
「フユの昔の服? ⋯⋯ああ、そゆことか。つーかまだそういうの残ってんだな。ちっさい頃の写真今でも大事にしてたり、物持ちいいよなアイツ」
そう言うとハルとアキは同時に、リビングの壁際のベージュ色のソファーへと目線を送る。
「すぅ⋯⋯すぅ⋯⋯」
ソファーの上では、この世界とは異なる別世界から四人と共にやって来た「緑髪の少女」が、あどけない寝顔で眠っていた。
異世界での活動で、四人が初めて出会った現地人。
魔剣の力を以てしても倒せない強敵を前に、この少女一人だけを置いて退くわけにはいかないと、四人は日本への異世界転移を緊急脱出手段として少女を伴い発動し、それを成功させた。
転移直前に一度目を覚まし、フユと少しばかり言葉を交わしたが、時間の余裕がなく有無を言わさず転移を敢行し、転移後はこのように再び意識がない状態になってしまった。
やむを得ない緊急手段だったとはいえ、異世界からの異世界人連れ去りという過去に類を見ない超特級のセンシティブ案件に頭を抱えつつ、一人暮らしのハルの自宅で匿うことに。
ハルのマンションに少女を連れてきてから、ひとまず彼女の汚れた服を着替えさせてあげたいとナツが言い出し、フユが小学生時代のお下がりならあると、過剰すぎる大荷物を持ち帰るついでにナツを連れ立って一時帰宅した。
服装に関してはただ汚れているからという理由だけではない。
人前に晒す気はないとはいえ、『異世界人』という、ある意味宇宙人より珍しい存在を、明らかに日本人らしくない出で立ちのまま日本にいさせるのもどうかという配慮もあった。
現代日本人の生活空間にひとつだけ存在する、明確な異物感。
およそ現代風でない、「ファンタジー」な出で立ちの少女。
ハルとアキはテーブル席に腰を据えてリラックスし、ジュースやスナック菓子を口にしながら少女の寝顔を静かに見守り続けた。
「⋯⋯にしてもよく寝るよなぁ。森で見つけた時からぐっすり寝てたことといい、寝る子は育つってか?」
テーブルに頬杖をついてアキが口を開くと、ハルは昼にアキが買ってきたコーラをグラスに注ぎ、「どうだろうな」とグラスをぐいっと煽る。
「異世界転移が負担になってこうなった可能性もゼロじゃない。俺たちが最初に転移を経験した時も、全員意識を失っただろ?」
「そういやオレらもそうだったわ。二回目からは大丈夫なのは、フツーに慣れかね。それか魔剣パワーのおかげか」
「俺たちの初回の気絶は、せいぜい数分程度だったはずだ。この子の場合はもう一時間以上経ってるな」
「ならオレらって運に恵まれてたよな。あのまま気絶が長引いてたら、例のワニクマ野郎に寝てる間に丸かじりされてたかもしんねえんだからよ」
「ああ、そうだな。俺たちが助かったのは色々と幸運が重なった結果だ」
ハルは頷いてテーブルに置いたスマートフォンの画面を見下ろす。時刻は午後六時半を表示していた。
アキは少女の小柄な体躯をぼんやり見つめながら言う。
「こいつが気ぃ失っちまったのは、まだちっちゃい子供だからっつーのもあんのかもな。魔剣抜きで考えても、体力面やらなにやらが色々とオレらとは違えだろうし」
「かもな。⋯⋯ただ、そっちはともかく、『森で眠った状態』で見つかったことの理由の方は、結局わからずじまいか⋯⋯」
「わかんねえっつーか、転移の直前に本人が言ってたろ。『気付いたらこんなことに』って。本人も知らないとこで、なんかのトラブルに巻き込まれたってことじゃね?」
「⋯⋯。そうだな。どういうトラブルかはともかく、状況的にも条件的にも、『そう』考えるのが⋯⋯自然だ」
「ん? どしたんハル」
「⋯⋯いや、何も」
ハルは黙り込み、切れ長の目を細めて少女を見つめる。
未だ名前すらわからない、異世界から日本に連れ出してしまった、年端もいかない少女。
まだまだロクに情報を引き出せていない段階であるため謎だらけなのは当然として、それとは別に「引っ掛かる点」がないわけではない。
ただそういった情報の整理に考察や推理といった込み入った話は、ナツとフユもいる時にすべきだと判断し、それ以上の言及はまだやめておくことにした。
そうして数分の後──。
「んにゅ⋯⋯?」
ソファーで眠る少女を、ハルとアキが静かに見守っていると、ようやく少女がうっすらと目を開いた。
「んー? ⋯⋯背中、ふわふわする。──え!?」
瞼が室内灯の光を取り込み、意識が覚醒に向けて浮上していくことで、徐々に今置かれている状況を彼女の脳が認知した。
異界の少女にとって、本日二度目の「起きたら何が起こっているのか状況がわからない」という混乱必至の覚醒だった。
「なになになに!? ここは!? ここどこー!?」
ピョーン! と緑髪を揺らしながら、少女はソファーの弾力と合わせて大きく飛び起きた。
起きたらパニックを起こす可能性は想定していたとはいえ、あまりにも唐突な目覚めに、ハルとアキも慌てて立ち上がる。
「お、おい、落ち着けって。なあ、覚えてっか? さっき──」
「ふぁっ!?!?」
二人の男を視界に捉えた瞬間、少女は機敏な動きでソファー裏の狭い隙間に小柄な身を隠した。
「って野良ネコかよ! 人が近付いた途端ソッコーでビューンって隠れるヤツ!」
「異世界で拾ってきた『仔猫ちゃん』って意味では、あながち間違いじゃないかもな」
「そんでお前は天然キザ野郎か! こんな時にまで初恋キラーの片鱗見せんでええっちゅうねん! 背中かゆなるわ!」
「チッチッチッチッ⋯⋯ほら、出てこい。ツナ缶あるぞ」
「だからネコかっつーの!」
男子二人が異世界人という名の迷い猫を気の抜けるおふざけで対応していた時、玄関のドアが開かれた。
「ただいまー! あの子あれからどう⋯⋯なにしてんの?」
「⋯⋯あれ? あの子は⋯⋯?」
手提げカバンやビニール袋を手にして戻ってきたナツとフユが、ソファーを取り囲むようにして立つ男二人に怪訝な視線を送った。
異世界の危機から日本へ一時的に脱出するという意味と、一時的に場からフェイズアウトするMtGの「とんずら」というカード名、カード効果、ストーリープロットの複数の符合。




