●9
執事に連れられてルーカス様の部屋に入ると、ルーカス様は本を読みながらくつろいでいた。しかしくつろいではいるものの、読んでいるのは難しそうな本だ。
私が到着するとルーカス様は読んでいた本を机に置き、柔らかく微笑んだ。
「屋敷に来たばかりで忙しいだろうに、呼びつけて悪いね」
「いえ、お気になさらず」
だって忙しいのは他の使用人で、私はただ庭を見せてもらったり、用意された部屋で座っていただけだ。謙遜ではなく本当に大したことはしていない。
「そこのソファに掛けて」
「はい」
促されたソファに座ると、ふかふかとしたソファに身体が沈んだ。一度座り直して姿勢を整える。
ふと前を向くと、ルーカス様の正面に座ったことで、彼の整った顔が詳細に見えた。独身でこれだけ顔が整っていたら、令嬢からの手紙が引っ切り無しに届いているはずだ。さぞ人生が楽しいに違いない。
「君を呼び出したのは、ジゼル嬢のことを聞きたかったからなんだ」
「ジゼルの話……ですか?」
ルーカス様の顔に想いを馳せている場合ではなかった。冷や汗が首筋を伝う。
まさか性別が男であるジェフのことをジゼル本人だとは思っていないだろうけれど、何かマズいことに気付かれでもしたのだろうか。
他人が知っているはずのないジゼルの情報をジェフの姿で話してしまったとか……いや、それはない。まだジゼルの話はほとんど喋っていないはずだ。
「ジゼル嬢が離婚をした件についてだけれど、君は離婚の理由を聞いているかな」
ルーカス様の口から飛び出た質問は、ジゼルの離婚についてだった。
ジェフの正体を疑われているわけではないと知って安心したものの、離婚の理由か。何と話したものか。
「もちろんジゼル嬢に口止めをされているなら無理には聞かない。誰にでも話したくない秘密の一つや二つはあるだろうからね」
ルーカス様は私がジゼルの離婚について知っているものと確信しているらしい。
確かにジェフはジゼルが離婚をしたタイミングで、ジゼルの持っていたカードを手に屋敷へ来たのだから、そう考えてもおかしくはない。
とはいえここで、ジゼルの離婚に関しては何も知らない、と言うことも可能だ。ジェフがジゼルの情報を知っていると確定させる証拠は何も無いのだから。
「……夫のアレクシス・ラミレス伯爵が別の女性と再婚をするからだと、ジゼルからは聞いております」
それなのに気付くと私は、離婚の理由を口にしていた。
もしかすると私は、誰かに話を聞いてほしかったのかもしれない。自分一人で抱えるには、あまりにも辛い出来事だったから。
「別の女性と再婚するから、か」
「何でもジゼルよりも愛する人が出来たのだとか」
「ふむ」
もしかするとルーカス様は、ヴィヴィアン嬢の話をすでにどこかで聞いているのかもしれない。驚いた様子の一つも見せずに、納得したように頷いた。
「ジゼルも愛されようと様々な努力をしていましたが、努力はこのような形で終わりを迎えました」
「愛されようとしていた……そうか」
「そもそも何故ラミレス伯爵がジゼルと結婚をしたのか疑問でした。彼はジゼルを愛しているようには見えませんでしたから。ジゼルはただの男爵令嬢で、結婚をすることで彼に恩恵があるわけでもないのに、何故」
これはアレクシス様と結婚が決まってから、私がずっと考えていたことだ。
愛がメリットを越えさせることもあるけれど、アレクシス様と私に限っては、そんなことも無い。
愛も無くメリットも無い、そんな相手とアレクシス様はどうして結婚を決めたのか、ずっと疑問だった。
直接本人に聞いたこともあるけれど、納得のいく回答が得られたことは無い。
そのうちにアレクシス様がこの質問をする私を煙たがるようになったため、いつしか質問をすることも無くなっていた。
「……それは、私のせいかもしれないな」
「えっ?」
「……気にしないで。こっちの話だから」
予想外の言葉が聞こえてきたため顔を上げると、ルーカス様がふんわりと微笑んだ。やっぱり顔が良い。
「ええと、とにかくラミレス伯爵には他に愛する人が出来たため、ジゼルを捨てたようです」
「それでジゼル嬢は実家に戻ったわけだね」
「はい、たぶん」
実家にいると断言をすることは悪手かと思い、言葉を濁すことにした。
後々のことを考えると、「ジェフはジゼルが実家にいると思っていたが実際は違った」という状態にしておいた方が良い。
「ジゼル嬢には実家以外に行く先の当てがあるのかな?」
無かった。行く当てのない中で無理やり導き出した場所が、この屋敷だ。
「分かりません。でも、元気でやっていると思います。ジゼルは意外とタフな令嬢ですから」
私の言葉を聞いたルーカス様は、困ったように眉を下げた。
「ふふっ、タフな令嬢か。元々の彼女はそういう雰囲気だったけれど、結婚してからはそうでもなくなった気がして心配だったんだ。でも親戚の君が言うなら、今でも彼女はタフなんだろうね」
知らなかった。私はルーカス様にタフな令嬢だと思われていたのか。
いつどこでそんな印象が付いたのだろうと、過去の記憶を思い出すために視線を宙に漂わせたところで、部屋に大きな肖像画が飾られていることに気が付いた。
「あの肖像画……」
「あれかい? あれは家族の肖像画だよ。両親はすでに事故で亡くなっているけれど」
私の視線に気付いたらしいルーカス様が、肖像画について教えてくれた。
「両親が……」
そういえばリッキー先輩がそんな話をしていた。それなのに肖像画に興味を示してしまったのは軽率だった。
「二人で一緒に旅立ってしまったんだ。いくら仲が良くても、そんなときまで一緒じゃなくていいのにね」
「それは……お悔やみ申し上げます」
二人同時に亡くなったなんて、当時はさぞ大変だったことだろう。ルーカス様が落ち着いて見えるのは、数々の苦難を乗り越えてきたからかもしれない。
「……綺麗な人ですね」
急に話を変えるのもおかしいと思い、肖像画に描かれた故サンチェス伯爵夫人のことを褒めた。するとルーカス様は私の言葉を肯定した。
「自分の母親を褒めるのはどうかと思うけれど、私もそう思うよ。現に母の血を濃く受け継いだ妹は、年々美しくなっている」
「妹……エマお嬢様ですね」
「おや、もうエマのことを知っているのか」
ジェフがエマのことを知っているのはリッキー先輩に忠告をされたからだけれど、それを伝えると告げ口になってしまう。だからなんて言おうかと考えていると、ルーカス様が先回りをした。
「きっと他の使用人から注意を受けたんだね。エマには気を付けろと。別に怒らないから安心して。使用人が注意をするのは当然のことだから」
やはりエマは、ジゼルに見せている程度のワガママを言っているわけではなさそうだ。ジゼル相手のときは、猫を被って可愛いワガママを言っていたのかもしれない。
「エマは病弱でね。外に出られない鬱憤が溜まっているんだと思う。それでも侍女や使用人に当たり散らすのは良くないと何度も叱っているのだけれど、どうしてもね。甘えたい盛りに両親を亡くしている境遇もあって、エマをキツくは叱れないんだ」
なるほど。誰からもキツく叱られないことが、エマを増長させているのかもしれない。健全な成長のためには誰かが叱ってあげる必要があるけれど、当主であるルーカス様がエマに甘いのでは、侍女や使用人たちもエマに強くは言えないのだろう。
「みんなには悪いと思っているのだけれどね。どうしても難しくて」
「いえ、多少は仕方が無いと思います。それで外に出られないエマお嬢様の気持ちが晴れるなら、当たられるのも使用人の仕事のうちと言いますか」
「多少なら、ね」
「え?」
主人に当たられるのも仕事のうちだとフォローを入れると、ルーカス様が意味ありげに苦笑した。
「すぐに分かるよ。でもエマのことを嫌わないでくれると嬉しいな」
「嫌いになどなりませんよ」
エマは私の友人だ。ジェフとしてはまだ会ったことが無いけれど、ジェフになったからと言って、エマを友人だと思う気持ちが消えるわけではない。
今はこんな見た目だけれど、心はエマの友人であるジゼルなのだから。
「さて、じゃあそろそろお開きにしようか。明日も早いだろうからね。雑談に付き合ってくれてありがとう」
「こちらこそです。新人の僕とお話をしてくださってありがとうございました」
ソファから立ち上がって深々とお辞儀をすると、私はルーカス様の部屋をあとにした。




