●5
(3)
「信じられない」
馬車の中で、自身の身体を見て何度もそう呟く。
魔女の薬屋で怪しい薬を飲んだ私は、店主の述べた効能通りに男へと姿が変わったのだ。
そして身体の変化に戸惑う私に、店主が男物の服をくれた。まるで私が薬屋に来て、男になることが分かっていたかのように。
「何者なの、あの人」
しかも服のお代もサービスときたものだ。ここまで無料が続くと、節約できて嬉しい気持ちよりも底知れない恐怖が勝ってくる。
「あの薬屋のことは何もかもが分からないけれど、でも光明が見えたことだけは確かね」
男になることが出来た私は、現在サンチェス伯爵の屋敷を目指して馬車に揺られている。さすがに馬車は魔女の薬屋の店主が用意したものではなく、町でお金を払って乗った。
お金は元々着用していたドレスとアクセサリーを売って得た。どうせこの先、必要の無いものだから。未練は無い。
「あまりに順調すぎて怖いけれど、どうせ順調なら使用人として雇われるところまで順調でいて」
馬車に揺られながらそんなことを願う。
今の私はサンチェス伯爵にとって全く知らない他人だ。サンチェス伯爵どころか誰にとっても全く知らない人。だって数十分前にこの世に出現したばかりの人間だから。
果たしていきなり屋敷にやってきたそんなどこの馬の骨とも分からぬ人間を、雇ってくれるものだろうか。
「顔は元の私にそっくりなのよね。当然だけれど」
身体は男のものだけれど、筋肉が少なく男にしては貧相。それに元の顔よりは多少骨ばってはいるものの顔も女顔だ。身体が男の時点で性別を疑われることはないと思うけれど、中性的な姿の気がする。
とはいえ、ついでとばかりに髪が短くなっているから、元の自分とは印象がかなり違う。
「そういえば髪が短い頃はこんな風にくせがすごかったっけ」
短くなったことで、私の髪はあちらこちらに飛び跳ねている。
髪が長くなってからは髪の重さである程度はまっすぐになっていた上に、念入りにまとめて束ねていることが多かったから、気にもしていなかった。
「これから私、どうなるんだろう。男として一生を終えるのかしら」
サンチェス伯爵邸の居心地が良かったら、それもアリかもしれない。
元の私を欲してくれる人なんて、どこにもいないのだから。
「到着しましたよ、起きてください」
御者に身体を揺すられて目を覚ました。私はいつの間にか眠っていたらしい。
「目的地はここですよね」
「え、ええ。ありがとう」
御者に礼を言って馬車を降り、屋敷を見上げる。
サンチェス家の屋敷には前にも来たことがあるけれど、こんなに大きい屋敷だっただろうか。
遊びに来た以前と、使用人として雇ってもらいに来た今では、私の心境が違うからこんなにも大きく見えるのだろうか。
「……こんなに立派なお屋敷の使用人として雇ってもらえるのかしら」
屋敷を目の前にした途端、弱気になってしまった。
これだけ立派な屋敷なら給金も良いはずだ。この屋敷で使用人として働きたい者はいくらでもいるだろう。つまりそれだけ競争率が高いということだ。
「ううん、弱気になっちゃダメ。自信満々で自分を大きく見せなくちゃ、受かるものも受からないわ! やるのよ、ジゼル。絶対に雇ってもらうのよ!」
私は自身に喝を入れて、サンチェス伯爵邸を訪問した。
* * *
「そっかー……」
見事なまでの門前払いを食らった私は、伯爵邸の前で途方に暮れていた。
「そりゃあこんな大きな屋敷の使用人が、ふらっとやってきたどこの誰かも分からない人間を、屋敷の中に通すわけがなかったわよね」
自信満々にやる気をアピールすれば雇ってもらえるかもと思っていた私は、所詮はただのお嬢様だったのだろう。世間というものを理解していなかった。
まさか採用面接を受けさせてすらもらえないとは思っていなかったのだ。
「紹介状も無ければ、どこの誰かも分からないものね、今の私は」
ある意味で、私を通さなかったことで使用人の質の高さは伺える。こんなよく分からない人間をホイホイ屋敷に通していては、主人の命がいくつあっても足りないからだ。
「でも、これからどうしよう」
宿屋で寝泊まりをしていたら、数日と経たないうちに金が尽きてしまう。その前に仕事を探さなければならないけれど、そう上手くいくだろうか。
「……はあ」
思わず大きな溜息が出てしまう。これでは振り出しに戻ったも同然だ。
「君は誰かな?」
そのとき聞き覚えのある声が上から降ってきた。
顔を上げると、サンチェス伯爵その人が目の前にいた。どうやらどこかに出かけていたサンチェス伯爵が、馬車で屋敷に帰ってきたらしい。
「ルーカス様。不用意に知らない人間に近付くのは危険です」
私に話しかけるサンチェス伯爵に、護衛らしき人が警告を出した。
「あっ、その、私……僕は、サンチェス伯爵に危害を加える気は全く無くて……」
私は両手を挙げながら敵意が無いことを示した。そしてすぐに自分には切り札があったことを思い出す。
「実はサンチェス伯爵にお見せしたいものがございまして」
私が挙げていた片手を懐に入れたのを見た護衛が、私の身体を地面に押さえつけた。
「痛っ!?」
突然の出来事に受け身を取ることが出来ず、地面に叩きつけられた衝撃をもろに受けてしまった。目からは、突然の出来事に対する驚きと叩きつけられた痛みによる涙が溢れてくる。
「怪しいやつめ。何を取り出そうとした。ナイフか!?」
「ち、違います。僕はただ、カードを……」
「カード?」
私たちのやりとりを見ていたサンチェス伯爵が首を傾げた。
カードを渡すなら今しかない。今サンチェス伯爵に直接カードを渡せなかったら、きっと屋敷の誰も、私の渡したカードをサンチェス伯爵に届けてはくれないだろう。たった今、私は怪しいやつ認定をされてしまったから。
「このカードを見てください」
私は護衛に押さえつけられながら、懐から一枚のカードを取り出した。
サンチェス伯爵がジゼルに贈った、あのカードを。
「それは! 君は一体……?」
サンチェス伯爵がカードに興味を示したところで、考えておいた嘘を口に出した。
「僕は、ジゼル・オルコットの親戚です」




