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魔女の薬屋に入ると、店内はずいぶんと片付けられていた。いつ行っても時間が止まったかのように何も変わらない店だったのに、なんだか落ち着かない。
「お久しぶりです。もう会ってもらえないかと思っていました。会えてよかったです」
「ヒッヒッヒッ。お前さんからその後の話を聞きたいと思ってねえ」
魔女の薬屋の店主はフードを被ったまま優雅に座っている。
「アレクシス・ラミレスとヴィヴィアン嬢……私の元夫と不倫相手は落ちぶれてしまいました。喧嘩が絶えないらしく離婚も秒読みなのだとか。ちなみに私はまだルーカス様の屋敷に住んでいます。一人暮らしも考えたのですが難しいかもしれません。女の一人暮らしは危険だからと全力で、本当に全力で、阻止されていますから」
「厄介な男に捕まったねえ。もう観念したらどうだい。ヒッヒッヒッ」
「自分でも私が負ける未来しか見えませんよ。まあ……負けるが勝ちという気もしますけれど」
私は店内を歩き、棚を見て回った。どの棚にも何も並んでいない。煩雑に置かれたよく分からない薬草や謎の物体はすでに片付けられてしまったようだ。
「この薬屋はどうするんですか?」
「もう店は畳むつもりだよ。必要が無くなったからねえ」
店内を見て気付いていたけれど、やはりこの店はもう営業をしないらしい。
売るつもりがあったのか無かったのかは分からないけれど、ついこの間までは様々な薬の瓶も置かれていたのに、それらも綺麗さっぱり消えている。
「……寂しくなりますね」
「そうでもないさ。むしろ無事に役目を果たせた達成感でいっぱいなくらいだよ」
店主の言う役目というのは、きっとエマの身体を健康にすること。
そしてルーカス様が想い人と添い遂げられるようにすること。
店主は最初から最後まで、愛した人の二人の忘れ形見のために動いていたのだ。
「店主さん、あの性転換薬は……」
「あれは失敗作だよ」
私が最後まで言う前に店主が言葉を紡いだ。
「魔女は不可能を可能に見せているが、実際には万能じゃないのさ」
「失敗作というのは……恋をすると魔法が解けるからですか?」
「そうさ。そんな薬はおちおち使えないだろう?」
私は店内を歩くことをやめ、店主の目の前に立った。
「店主さんは性転換薬を自分で使うつもりだったんですよね?」
フードの奥で店主の目が光った気がした。きっと私を品定めするように観察しているのだろう。
「……お前さんは、真実を知ってしまったんだね」
少しして、店主がやれやれと肩をすくめた。
どうやら今日の店主はいつもの調子で私を煙に巻こうとは思っていないらしい。
きっとこれが私との最後の会話だと思っているからだろう。
「はい、知りました。店主さんは性転換薬で男になって、ルーカス様のお母様と連れ添うつもりだったんですよね? でも性転換薬からどうしても恋をすると魔法が解ける欠点が消せなくて、薬が使えなかった。だって店主さんはルーカス様のお母様に恋をしていたから」
女同士で連れ添うことが出来ればよかったけれど、それを認める親はかなりの少数派だ。きっとルーカス様のお婆様はそれを認めなかったのだろう。
だからこそ店主は性転換薬の完成を急いだ。しかしそうこうしているうちにルーカス様のお母様には縁談が舞い込んでしまった。
貴族同士の結婚はすなわち家同士の結婚だ。いくらルーカス様のお母様が嫌がったとしても、結婚を断ることは出来ない。
まるで両親が亡くなって苦労している間に、想い人である私をアレクシス・ラミレスにかっさらわれたルーカス様のようだ。
「性転換薬が完成する前に、ルーカス様のお母様は結婚をしてしまったんですよね?」
「もしも相手が最悪な人間だったら、駆け落ちでもしてやろうと思っていたんだがねえ。幸か不幸か相手はいつもニコニコとしている穏やかな男だった。仕事に関しては少し黒い面もあったが、やり手ということは即ち仕事を失う可能性が低いということだ。つまりは嫌になるほど好条件の相手でねえ。あの人は器量が良かったから、こういった縁談が舞い込んだんだろうねえ」
ルーカス様のお父様は、店主の目から見ても好条件の相手に見えたらしい。そして会ったことはないけれど、ルーカス様のお父様はルーカス様と似たタイプの人物に思える。
「二人の結婚は祝福したとも。相手がわしではないことは辛かったが、あの人が幸せになる出来事だからねえ。しかし幸せな夫婦を直接見ることはわしには苦痛で、遠くからあの人の幸せを祈ることしか出来なかった。わしはまだまだ未熟だったからねえ」
恋する相手が、それも両想いの相手が、他の人と結婚することを心から祝福するなんて、とても難しいことのはずだ。遠くからであってもそれが出来た店主はそれだけで立派だと、私は思う。
「離れていたせいで、わしがあの人の事故を知ったのは、事故からしばらく経って葬儀もとうに終わってからだった。あの人に二人の忘れ形見がいたこともそのとき初めて知ったのさ。そしてエマ・サンチェスが病弱なことを知り、体質改善薬を作り始めた。お前さんのことを知ったのは、体質改善薬が完成した頃だったかねえ」
ここまで話した店主は、深く長い息を吐いた。
「……もうお喋りは十分だろう。欲しい薬は何だい? 餞別代わりに一つあげよう。ほとんど処分してしまったが、この辺にいくつか薬が残っていたはずだ」
そう言って店主が足元に置かれていた大きな袋を漁り出した。
しかし私は店主に向かってまっすぐ手を伸ばした。
「私が欲しいのは、薬じゃなくて店主さんです」
「…………は?」
ぽかんと口を開けた店主に告げる。
「一緒にルーカス様の屋敷で暮らしましょう」
店主はしばらく口を開けていたけれど、我に返るとフードの端を引っ張って顔を隠した。
「わしなんかお呼びじゃないさ。それにあの屋敷へ行っても、あの人はもう……」
「ルーカス様のお母様はいませんが、彼女の忘れ形見が二人もいます! 店主さんは彼らが幸せになるところを近くから見たくはないんですか!?」
「…………そりゃあ見たいさ」
「ですよね!? だからこそ店主さんは、ルーカス様の愛した相手である私がピンチのときに現れて、助けてくれていたんですものね!?」
フードを目深に被ったまま、店主が顔を上げた。
「気付いておったのか」
「そりゃあ気付きますよ。いくらなんでも私に都合が良すぎましたから」
私が困ったときに現れる魔女の薬屋。
毎回私を助けてくれていたのは、きっと私がルーカス様の想い人だったから。
店主はきっと、伯爵位の継承に苦戦している間に想い人をかっさらわれたルーカス様を、自分と重ねていたのだろう。
だからこそルーカス様の恋を成就させようとしていた。だからこそ私がルーカス様の屋敷へ行けるように取り計らっていた。
思えばルーカス様の屋敷へ行くことを決めたのは、店主がルーカス様のくれたカードを私の前に浮遊させたからだ。
その後は男になって屋敷で雇われ、エマの悩みを見事解決し、エマの信頼を勝ち取り体質改善の薬を飲ませ、とんとん拍子に話が進んだ。
「今思うと、すべては店主さんの手のひらの上だったような気がしてきました」
「そんなにすごいものじゃないさ。お前さんが足掻いた結果だよ」
「でもすべては店主さんの思い描いた通りになっていますよね?」
「その辺は年の功さ。わしはお前さんよりも経験が多い分、何をしたら誰がどう動くか想像が出来るだけだよ」
経験の違いということだろうか。
その割には、店主は私がこの後どう動くかを把握できていないようだ。
店主の事情を知った私が、事の顛末を話すだけで帰るわけがないのだ。
「ルーカス様の屋敷で暮らしましょう。ルーカス様には話を通してありますから」
「……あの人の忘れ形見とはいえ、所詮わしは他人だよ。他人であるわしが屋敷で一緒に暮らすわけにはいかないねえ」
「エマがまた体調を崩したときに、店主さんがそばに居たら安心だと思います」
「それは……しかしあの薬を飲んだから、もうエマ・サンチェスは普通の人と同じように暮らせるはずさ」
「そんなの分からないじゃないですか。未来のことなんて誰にも分かりません! もちろんエマにはずっと健康でいてほしいですけれど!」
未来のことは魔女にだって分からない。魔女は万能ではないから。
人間になんかもっと分からない。未来は常に不鮮明だ。
でも、だからこそ、よりよい未来のために行動をするのだ。その答えが、これだ。
「一緒に行きましょう!」
伸ばした手を店主にとってもらえなかった私は、自分から店主の手を探して握った。
「善は急げですよ」
「……お前さんは、どうして、わしなんかを気にかけるんだい?」
「もしかして店主さんは知らないんですか? 魔女の薬屋で薬を貰ったら、愛を返さなくてはいけないんですよ」
「だからと言って……」
「運命は、運命を掴み取ろうと藻掻く人間のことが好きなのかもしれませんが、私はそっと見守ってくれる人が好きなんです。ルーカス様のことも、店主さんのことも。だから、好きな人には抱きしめられる距離にいてもらわないと!」
私は店主の背中に片手を当てて、もう片方の手で店主の手を引っ張った。
「さあ行きましょう! すぐ行きましょう!」
「……お前さん、押しが強くなってはいないかい?」
「当然です。藻掻いて足掻いて、運命を掴み取りましたから!」




