●33
ルーカス様とともに執務室へとやって来た私は、ルーカス様の正面に座るよう促された。これに素直に従う。
「失礼いたします」
「楽にして良いよ。ここには君と私しかいないからね」
今私は執務室内に置かれたテーブルの前に座っているけれど、ルーカス様個人の机の上には書類の山が置かれている。
本当に私がルーカス様の時間を使ってしまって良かったのだろうか。
もしかするとルーカス様の最初の提案通り、私が仕事を休みにすることが最善の選択だったのでは?
……と、そんなことを考えても後の祭り。まさか今ここで自室に戻るわけにもいかないため、さっさと質問をしてしまおう。
「さて、どんな質問があるのかな。ジェフがこの屋敷に来てしばらく経つけれど。質問があったから私の提案を受け入れたのだろう?」
さっさと質問をしてしまおうと思ったものの、したい質問があまりにもプライベートな内容のため、いざ言葉にするとなると躊躇が出てくる。
「気になっていることが二点あるのですが……」
私の言葉を聞いたルーカス様は、意外そうな顔で私のことを見た。
「どちらも先輩のリッキーには聞けないことかな?」
「聞けないと申しますか、リッキー先輩は答えを知らないだろう質問です」
「リッキーはこの屋敷で働いて長いのだけれど……ああ、ジェフの質問は私個人に関するものなのかな?」
察しが良い。一つはルーカス様に関する質問ではないけれど、きっとリッキー先輩は知らないだろうルーカス様の家族のプライベートな話。
「一つ目は、ルーカス様のお母様に関すること、と申しますか……」
「私の母? 母に何の疑問があるのかな?」
ルーカス様にとっては意外な質問だったのだろう。不思議そうに首を傾げている。
聞きたいのは、まだすべてが私の推測でしかないあの話。魔女の薬屋の店主にははっきりと肯定してもらえなかった話。それなのに、きっとそうだという謎の確信がある話。
「図書室にあった『魔女の薬屋』の絵本。あれはルーカス様のお母様が描かれたものですか?」
「おや。あれを見たんだね?」
「図書室で本を返したときに偶然……」
図書室でルーカス様の上にダイブした事件を思い出しかけたため、首を振って事件の記憶を追い出す。
「その通りだよ。あの絵本は母が描いたものなんだ」
私が過去の愚行と戦っていると、ルーカス様が私の疑問に答えをくれた。
「でも、よく分かったね? 署名は無かったと思うけれど」
「あ、えっと、手作りの絵本に見えましたので」
一つ一つの絵と文を丁寧に描いた、愛のこもった絵本。
優しい魔女の描かれた絵本。
「おかしなことを聞きますが……あの話は実話ですか?」
追加でしたこの質問に、ルーカス様はすぐには答えなかった。
答えてくれないなら答えてくれないでもいい。あまりにもルーカス様のお母様に関する深い話だから。他人に深入りされたくないのであれば、それでも構わない。
そう思っている私に、しかしルーカス様は答えをくれた。
「昔、一度だけ母が教えてくれたことがある。あの絵本は、初恋相手の話なのだと」
……初恋。やっぱり、そうなのか。
魔女の薬屋の店主とルーカス様のお母様は、恋に落ちていた。
店主の片想いではなく、お互いにお互いのことを愛していたのだ。
「これは大きな声では言えないのだけれど」
ルーカス様はやや声を潜めながら続きを話した。
「女同士で結ばれることのない、ほろ苦い初恋だったらしい。それでも母にとっては素敵な思い出だったそうだ」
素敵な思い出。
叶うことのなかった初恋を素敵な思い出と言えるルーカス様のお母様は、きっととても強い人なのだろう。
そして自分と一緒にならなかったことで生まれた、愛した人の忘れ形見を見守る魔女の薬屋の店主も。
実らなかった初恋を宝物だと思う気持ちは私にはまだ分からないけれど、年を重ねるとそういった気持ちの分かる日が来るのだろうか。
初恋を宝物として抱えながら他の人と結婚をする人生は、果たして幸せなのだろうか。
「父は母の初恋相手ではなかったけれど、母は父と結婚して幸せだったはずだよ」
口に出さなかった私の疑問に答えるように、ルーカス様が告げた。
私はそんなに分かりやすい表情をしていたのだろうか。そうだとしたら、あまりにもルーカス様に失礼だ。だってそれは、ルーカス様の両親が愛し合っていないのではないかと疑っているようにも思えるから。
「すみません。決してルーカス様のご両親を否定するつもりはなく……」
「大丈夫。君がそういう意図を持っているとは思っていないから」
ルーカス様はそう言って私を安心させてから、図書室のある方向を見つめた。
「母が初恋相手ではなく父との結婚を決めた結果、私たちは生まれた。そして母は初恋を絵本に閉じ込めた」
そしてルーカス様はまた私に目線を合わせると、悪戯っぽく口の端を上げた。
「とはいえ、本当の話かは分からないけれど。だって絵本は空想を集めて描くものだろう? 母の発言は絵本をより面白く感じさせるための嘘だったのかもしれない」
「え、ええ。そうですね」
そうですねとは言いつつも、私はルーカス様のお母様の話が嘘ではないことを知っている。
正確にはルーカス様のお母様の感情までは分からないけれど、出来事としてはルーカス様のお母様と魔女の薬屋の店主は、二人で一緒の時間を過ごしていた。
……運命の悪戯で、性別が同じだった二人は家族になることが出来なかったけれど。
魔女の薬屋の店主は、性転換薬の恋をすると魔法が解ける効果を消せずに性別を変えられなかったけれど。
それでも二人は、二人で一緒に過ごす幸せを知っていたはずだ。
「……あの絵本には、愛が溢れているように感じました」
魔女の薬屋の店主に向けての愛、絵本を読むだろう自身の子どもに向けての愛、そして幸せな人生を歩めた自分への愛。
そうか。あの絵本が存在するということが、ルーカス様のお母様が心から幸せだった何よりの証拠だ。
「ルーカス様のお母様はきっと、この屋敷で幸せだったから、あの絵本を描いたのですね。幸せな状態で描いたからこそ、あの絵本はあんなにも優しいのだと、僕は思います」
「私もそう思うな。記憶の中の母は、いつも笑っていたから」
ルーカス様は昔を思い出しているのか、ほんわかと温かい表情をした。
ルーカス様が穏やかで優しいのは、幼少期に両親の愛情に包まれていたからだろう。
このような性格に育ったルーカス様を見て、彼の両親が不仲だったとはとても思えない。




