●3
あれは私が舞踏会で壁の華になることに飽きてバルコニーで涼んでいた時のこと。
わざわざサンチェス伯爵が私にワインを持って来てくれたのだ。
「舞踏会は初めてかな?」
風になびくサンチェス伯爵の金髪は、夜だというのに月の光を反射してキラキラと輝いている。それに蒼色の瞳はまるで深い海のような神秘を感じさせた。
彼の隣に並ぶと、私のくすんだ茶色の髪と灰色の目が恥ずかしくなってくる。同じ人間のはずなのに、神様が丁寧に作った芸術作品と、足で適当に作った手抜き作品のようだからだ。
「もしかして、人に酔ってしまったのかな?」
「はっ、はい。ずっと舞踏会を楽しみにしていたのですが、いざ来てみるとなんだか圧倒されてしまって……ワインをありがとうございます」
ハッとしてワインの礼を言う。芸術作品が手抜き作品にワインを持って来てくれるなんて、すごいことだ。きっと芸術作品は見た目だけではなく中身まで美しく作られているのだろう。
「どういたしまして。圧倒される気持ちは分かるよ。煌びやかな世界は時として神経を摩耗させるからね」
私は何と答えたら良いのか分からず、頂いたワインを口にした。芳醇な香りが鼻腔をくすぐる。
「この町の夜風は気持ちが良いね。ダンスホールで踊りに明け暮れてこの夜風を浴びないことは、損をしているかもしれないね」
「サンチェス伯爵はもう踊らないのですか?」
私がサンチェス伯爵の名を口にすると、彼は少し驚いたように目を見開いた。
「私のことを知っているの?」
「美形だと有名ですから」
「ああ……なるほどね」
サンチェス伯爵の名前は、令嬢同士のお茶会でもたびたび話題に上がっていた。
サンチェス伯爵とラミレス伯爵は甲乙つけがたい美形だ、と。
そのラミレス伯爵ことアレクシス様と結婚をした私は、他の令嬢たちに祝福をされると同時に激しい嫉妬もされた。
私がアレクシス様と結婚をしたのは、この舞踏会よりもだいぶ後の話だけれど。
「サンチェス伯爵は、お顔の話をされることは嫌いですか?」
「嫌いと言うより、顔の話はこれ以上膨らませようがないから困るんだよね。貿易の話や軍事的な話だったら膨らませようもあるのだけれど」
サンチェス伯爵が困ったように頭をかいた。
美形と言われ慣れている人は、美形と言われても特に喜びもしないらしい。初めて知った。
「確かに自分の顔の話を膨らませるのは難しいかもしれませんね。ただ令嬢には貿易や軍事的な知識はありませんから、そういった話は出来ないのです」
「それなら令嬢には、何の知識があるのかな?」
「社交界のうわさや恋の話、それに紅茶やお菓子、刺繍と美容。あとは読んだ本の話でしょうか」
「なるほどね。妹が好きそうな話題ばかりだ。特に妹は読書が好きで、毎日のように恋愛小説を読んでいるんだ」
サンチェス伯爵の顔に嬉しそうな色が浮かんでいる。きっとサンチェス伯爵は妹と仲が良いのだろう。
「妹さんがいらっしゃるのですね。サンチェス伯爵と似ているならとても美しい妹さんなのでしょうね」
「ああ、目の中に入れても痛くない妹だよ。少し甘やかし過ぎたせいでワガママではあるけれど、とても可愛い……そうだ、妹が文通相手を探していてね。良かったら妹の文通相手になってあげてくれないかな?」
「文通相手ですか。男爵家の私なんかが相手で良いのでしょうか?」
私が戸惑う様子を見せると、サンチェス伯爵が一枚のカードを取り出した。そのカードには住所らしきものが書かれている。
「実は今日、妹の文通相手に良さそうなご令嬢を探そうとも思っていたんだ。妹は病弱で滅多に部屋から出ることが出来なくてね」
「それはお可哀想に」
「だから文通で少しは外の世界と繋がらせてあげたいんだ。本人もそれを望んでいる」
それはそうだろう。日々を部屋の中だけで過ごすなんて、考えただけで息が詰まりそうだ。私なら絶対に耐えられない。伯爵の妹さんが外の世界に憧れを抱き、外の世界と繋がりたいと考えるのは、当然の成り行きだ。
「もちろん文通が嫌になったらやめても良いし、逆に妹からやめる可能性もある。その程度の話だ。重く考えずに試してみてくれないかな?」
「……ですが、私はただの男爵家の娘です。どうして私にこの話を提案してくださったのですか?」
「君が若く見えるからかな。妹とあまり年齢の離れていないご令嬢を探していたんだ」
確かに私はまだ舞踏会に不慣れな年齢だ。伯爵の妹さんが何歳かは知らないけれど、私と同年代の令嬢はこの舞踏会にそう多くはない。探せばもっと条件の良い令嬢もいるだろうけれど、誰もがダンスに夢中な舞踏会の中で今の話をするのが難しいこともまた事実。
なるほど、だから私に話が回ってきたのか。そう私は一人で納得した。
「この話、受けてもらえないかな? 病弱な妹を助けると思って」
サンチェス伯爵とは特に親しいわけではないけれど、私との文通なんかで他人を救えるのなら、断る理由は無い気がする。
私ごときの力で他人を救える機会などそう多くはないのだから。
「分かりました。私で良ければ、妹さんと文通をさせて頂きます」
「ありがとう。代わりに……と言うわけではないけれど、もし何か困ったことがあったら頼ってくれていいからね」
この舞踏会の後、私はさっそくサンチェス伯爵の妹さんと文通を始めた。
妹さんの名前はエマ・サンチェスで、私たちは文通を通して親しくなり、何度か屋敷にも招かれた。
エマは病弱で思い浮かべる深窓の令嬢のような子ではなく、明るくて楽しい令嬢だった。確かに多少ワガママで強引な面もあったけれど。
それでも私たちは気が合い、友人になった。
外に出ることの出来ないエマはよく私に外の世界の話をせがみ、そのたびに参加したお茶会や観に行った演劇、聴きに行ったオペラや話題の菓子店の話を語った。
屋敷でエマとお茶を飲みつつお喋りをしていると、たまにサンチェス伯爵が混ざることもあった。そのたびに、妹の友人ということで、サンチェス伯爵は私にものすごく良くしてくれたのだ。
これまで、屋敷の外に出られず、他の屋敷で開かれるお茶会やパーティーに顔を出すことの出来ないエマには友人が少なかったようだ。
サンチェス伯爵の伝手で令嬢を屋敷に呼んでみたり、文通もしてみたそうだけれど、エマのワガママが原因で上手く友人を作ることが出来なかったらしい。
だからエマの友人になった貴重な人物である私を、丁重にもてなしてくれているようだった。
エマのワガママなんて可愛らしいものだと私は思うのだけれど、どうやらそう感じない令嬢が多かったようだ。
自分のことをエマと呼び捨てにしてほしいだとか、私の手に取ったクッキーの方が美味しそうだからそれをちょうだいだとか、庭の花で花かんむりを作ってきてだとか、可愛いことこの上ないワガママなのに。




