●28
「おやおや、ずいぶんと息を切らせて。ほら、水だよ」
ゼエゼエと苦しい息をしていると、店主が水の入ったグラスを差し出してくれた。
「早くお飲み」
受け取った水を一気に飲み干すと、渇いていた喉が潤った。
「……お水を、ありがとう……ございました」
息を整えつつ、礼を述べる。
「どういたしまして。わしが寝ている間にいろいろあったようだねえ。昨日は朝方まで魔法の研究をしていたから、朝からぐっすりでねえ」
空になったグラスを返却すると、店主が手に持ったグラスを杖で軽く叩いた。
すると、あっという間にグラスが消失した。
そして代わりに店主の手の中には、紫色の液体の入った小瓶が握られていた。
「欲しいものは性転換薬だね?」
「何でもお見通しなんですね」
「わしは魔女だから……と言いたいところだが、お前さんの姿を見れば一目瞭然だねえ」
言われて気付いた。今の私は、完全にジゼルの姿になっているのだ。
「薬の効果が切れて困ってたんです。ありがとうございます」
「まだはっきりとした自覚が無いようだから一応は効くだろうが、自覚をした途端に魔法は解ける。この薬はもう一時しのぎにしかならないだろうさ」
「それでも、ありがとうございます」
性転換薬のお礼を述べてから、店主にはもっとたくさんの感謝を伝えなければならなかったことを思い出した。
「あの。店主にもらった薬のおかげで、エマは元のくせっ毛に戻って喜んでいます。それに何より、体質改善薬で体調が良くなったことに歓喜しています。この前は屋敷でお茶会を開きました。お茶会を主宰することは、エマの憧れだったらしいんです」
「エマ・サンチェスが……薬を、飲んでくれたのか」
「はい。外に出られるようになって、エマは毎日楽しそうです。本当にありがとうございます。エマの分までお礼を言わせてください。あなたには感謝をしてもしきれません!」
「……そうか、ついに」
フードを目深に被っているため店主の目元は見えないけれど、フードの奥で何かが光った気がする。
……もしかして、泣いているのだろうか。
「店主はエマの知り合いなんですか?」
「いいや。エマ・サンチェスとは会ったこともないさね」
「それならどうして泣くんですか?」
「泣いてなんていないとも。勝手な決めつけはよしておくれ」
そう言われてしまうと、これ以上突っ込んだことは聞けない。
私は姿勢を正すと、店主に別の質問を投げかけることにした。
「では、どうしていつも私を助けてくれるのか、教えて頂けませんか?」
店主は顔を上げると、柔らかく微笑んだ。
「愛した人の忘れ形見は、幸せにしてやりたいと思うものだよ」
「忘れ形見……?」
忘れ形見は、私ではない。だって私の両親は健在だから。
ここまでの話の流れで、忘れ形見として指されるのは……。
「忘れ形見って、もしかして、ルーカス様とエマのことですか?」
店主は何も答えなかったけれど、否定しないということは肯定したも同じだ。
「……あの人もくせっ毛でねえ。あの薬を作ろうと思ったのは、あの人のためだったんだよ。でもまさか自分の髪質を変えたことで、娘が悩む日が来るなんて思わなかっただろうねえ」
この言い方から考えて、ルーカス様とエマのお父様かお母様は、もともとくせっ毛だったらしい。しかし魔女の薬屋の薬を使って、まっすぐな髪にしていた。
つまり、エマのくせっ毛は遺伝だったのだ。
ただ、薬を使った本人以外はその事実を知らなかった。
「薬で髪質を変えても、子どもには元の髪質が受け継がれるというのは面白いねえ。魔法では表面しか変えられないという良い例になったよ。エマ・サンチェスにとっては面白くも良い結果でもなかっただろうがねえ」
「あの人というのは、二人のお母様のことですか? ううん、店主が愛した人というところを考えると、お父様?」
「ヒッヒッヒッ。どっちだろうねえ」
店主がいつもの怪しい笑い方をした。
しかし笑い方に若干のぎこちなさがある。まだ涙が引っ込んでいないのだろうか。
「あなたの愛した人が、二人のお父様、お母様のどちらだったとしても。愛した人の忘れ形見であるエマが元気になったから、感動して泣いたんですね」
「泣いていないと言っているだろう!?」
店主が声のボリュームを大きくした。よほど自分が泣いたことに触れられるのが嫌なのだろう。
「もう早く性転換薬を飲んで帰っておくれ」
店主が性転換薬の小瓶を指差した。
「あっ、そうでした。早くジェフにならないと」
私は小瓶を傾けると、紫色の液体をグイっと飲み干した。やや苦みのあるどろりとした薬が喉を通過していく。
すぐに私の身体は男のそれに変化した。
「あとは、ほれ。この服に着替えると良い。ジゼルと同じ服のままでは追っ手に捕まる可能性があるからねえ」
そう言って店主が男物の服をくれた。
確かに今の服のままでは、ジゼルを探している人たちに追いかけられそうだ。とはいえ今着ているのはリッキー先輩から借りた服だから、捨てるわけにもいかない。
「せっかく着替えても、この服を手に持っていたらジゼルの関係者だと思われちゃいそうです」
「まったく注文が多いねえ。荷物鞄をあげるから、そっちの服はこれの中に入れると良い」
今度は店主が荷物鞄を差し出してくれた。至れり尽くせりだ。
「何から何までありがとうございます。これで追手から逃げることが出来ます」
私がそう言うと、店主の口角が意味ありげに吊り上がった。
「どうせすぐに薬の効果が切れるだろうが、追手から逃げ切ることくらいは出来るだろうさ」
薬の効果がすぐに切れる?
聞き捨てならない台詞だ。そういえば先程も一時しのぎにしかならないと言っていた。
「あの。お伺いしたいんですけれど、予備の薬を頂くことは……」
「もう性転換薬はさっきので在庫切れだよ。そう簡単に作れる薬じゃないからねえ」
「さっきのが最後……」
ということは、今度ジゼルに戻ったらそれまでだ。もう魔女の薬屋は頼れない。
「薬の効果が切れたら、私はもうあの屋敷には……」
私が呟くと、店主がこれまでのふざけた調子を消して、真面目な口調で言った。
「魔法は万能ではない。運命は自分の力で掴み取るものだよ」
「魔法は万能じゃない……? 自分の力で運命を掴み取る……?」
思わずオウム返しをしてしまった。あまりにも店主が真剣だったから。
「運命は、掴み取ろうと藻掻く人間のことが好きなのさ。魔法に頼りきりの魔女ではなくてね」
まるで、自分は運命を掴み取ることが出来なかったかのような口振りだ。
……そういえば。
性転換薬も、髪質を変える薬を作ったときのように、薬を作った理由があるのだろうか。
もしかして。
性転換がしたかったのは――――。
店主の愛した人は――――。
「魔法があっても、自分の力で運命を掴み取ろうと足掻かなければ、運命は掴み取れないものなのさ。魔法がすべてを解決してくれると胡坐をかいていては、運命は指の間から滑り落ちていく。魔女はそのことに気付けなかったから、ここまで数を減らしたんだろうねえ」
「後悔……しているんですか?」
恐る恐る尋ねると、店主は首を横に振った。
「後悔していた、だねえ。今はあの人に忘れ形見がいることが、何よりも嬉しい。わしと一緒にならなかったからこそ得られた宝物だからねえ」
店主が遠い目をしながらそう言った。
店主は一体どんな気持ちで今日まで生きてきたのだろう。
まだまだ人生経験の浅い私には想像もつかない。
「……そろそろ、私は行きますね。お邪魔しました」
私が店から出て行こうとすると、その寸前に、店主はずっと被っていたフードを外した。
フードの下から出てきたのは、恐ろしい魔女ではなかった。
恐ろしい魔女どころか、どこにでもいそうな普通の女性だった。
「お前さんは、どうか幸せにおなりなさい」




