●27
馬車の中とは言え、ここは町中だ。いきなり殺されはしないはずだ。
……というか、捨てられた側の私が殺されるのは理不尽すぎて意味が分からない。だからそんなことは起こらないはずだ。少し話をして、それで終わりだ。
そう自分を説得しながら馬車に乗り込んだ。
「お話とは、一体何でしょうか」
早くアレクシス様と離れたかったこともあり、馬車に乗るなり切り出した。
「そう焦るなよ。それとも今は一分一秒が惜しいような暮らしをしているのか?」
「……いえ、別に」
アレクシス様が舐めるように私を見つめた。
彼はこんなにも嫌な視線を送ってくる人物だっただろうか。
「もしかしてジゼルは住む場所が無いのか? 実家には戻っていないらしいからな」
「私の実家へ行ったのですか?」
「まあな。そんなことより、ジゼル。俺の妾になる気は無いか?」
「…………はあ?」
聞き間違いを疑いたくなる単語が耳に入ってきた。
妾。
愛する恋人と一緒になりたいからと捨てた妻を、あらためて妾に迎える?
何を言っているのだろう、この男は。
「聞こえなかったのか。妾だよ、妾」
アレクシス様は私が彼の言葉を聞き逃したと思ったらしく、再度同じ単語を口にした。
「……アレクシス様は、私を捨ててヴィヴィアン嬢を選びましたよね?」
あのときの私は冷静な判断が出来る状態ではなかったため、妾としてアレクシス様の屋敷に置いてもらえないだろうか、という考えが頭をよぎった。
その事実は否定しない。
しかしアレクシス様と離れて冷静になった今なら、断言できる。
彼の妾になるなんて、絶対にお断りだ!
「俺も考えが変わったんだ。今はお前をうちの屋敷に置いてやってもいいかと思っている。妾が嫌ならヴィヴィの侍女として雇ってやってもいいぞ」
この人は私のことを馬鹿にしているのだろうか。
……馬鹿に、しているのだ。
「お断りします」
「なんだよ。まだ捨てられたことを根に持っているのか?」
「当然です。私を馬鹿にするのも大概にしてください。いくら私でも、自分を捨てた相手の屋敷で暮らそうとは思えません」
アレクシス様は片眉を上げながら私を見た。
「俺と結婚している頃は、声を荒げたりなんかしなかったのにな。ジゼルは変わったな」
「変わったと言うなら、急にこんなことを言い出すあなたは一体どんな心変わりをしたのですか!?」
私の言葉を聞いたアレクシス様が、口角を上げた。
「お前を手元に置いていた頃の方が、サンチェスの野郎が良い顔をしていた気がしてな」
どうしてここでルーカス様の名前が出てくるのだろう。と思ったところで、お茶会でヴィヴィアン嬢から聞いた話を思い出した。
「……こんな話を聞きました。アレクシス様はとある男への嫌がらせのために私と結婚をした、と。とある男というのは、サンチェス伯爵なのですね?」
「そんな話を誰から……あー、ヴィヴィか。彼女は口が軽くて困るな。お前は口が固かったのに」
アレクシス様が眉間にしわを寄せた。アレクシス様はヴィヴィアン嬢のすべてを愛しているのかと思っていたけれど、どうやらそういうわけでもないらしい。
「知っているなら隠しても仕方がないか。その通り。俺はサンチェスの野郎の悔しがる顔が見たいから、お前と結婚をした」
「自分が何を言っているのか理解しているのですか!? 結婚は家同士の繋がりでするものなのに、自分の優越感のために結婚したですって!?」
優越感のためだけに親族を巻き込むなんて、結婚をそんなことのために使うなんて、とても正気とは思えない。
アレクシス様からルーカス様の悪口は何度も聞かされたけれど、ルーカス様はアレクシス様の親の仇でもなければ、特に嫌がらせをされたというわけでもない。
ただ同じ伯爵位で年齢も近い二人は比べられることが多く、アレクシス様にとってルーカス様は目の上のたんこぶだった。
だからアレクシス様はルーカス様の欲しがっているものを先に手に入れて、彼を悔しがらせたかった。
それだけだ。
たったそれだけのために、私は振り回されたのだ。
……なんて惨めなのだろう。
「サンチェスの野郎が悔しがっていると思うと、毎日の飯が美味い。仕事が楽しい。夢見が良い。人生が好転するんだ。優越感のためだけじゃない」
「あなたの人生はそんなにもサンチェス伯爵に支配されているのですか!? 彼が悔しがるだけで、あなたの人生はそんなに変わるのですか!?」
「ああ、そうだ。あいつが悔しがることで、俺は幸せになる。だからまた俺の屋敷に来い。最近はあいつの機嫌が良くて、俺はイライラしているんだ。お前が俺のところにいたら、あいつはきっとまた前のような表情を浮かべてくれるはずだ」
「……あなたの執着はおかしいです。そんなのは狂っています」
ここまでの執着は、まるでルーカス様に人生を握られているかのようだ。よく比べられるというだけで、ルーカス様はアレクシス様とは他人なのに。それに。
「サンチェス伯爵を悔しがらせたいのなら、仕事で蹴落とせばいいじゃないですか」
「……仕事のことを何も分かっていないくせに、勝手なことを言うな!」
アレクシス様が声を荒げた。頭に血が昇っているのか、顔が赤くなっている。
「あなたは仕事ではサンチェス伯爵に勝てないから、色恋沙汰で彼を悔しがらせようと考えたのですか? 情けない男ですね」
結婚している間は一度も言ったことのない言葉。アレクシス様を否定する言葉。
その言葉を、私は彼に放った。
今やアレクシス様の額には青筋が浮かんでいる。
しかし、それでも私は止まらなかった。
「そもそも対抗意識を燃やしているのはあなただけですよ。ルーカス様はあなたのことなんか気にもしていません」
「ルーカス様? ……お前は今、サンチェスの野郎と交流があるのか!?」
「あなたには関係の無いことです」
私がピシャリと言うと、アレクシス様は御者に向かって叫んだ。
「馬車を出せ!」
「ちょっと!?」
「お前とはじっくり話し合う必要がある。詳しい話は屋敷で聞かせてもらうからな」
アレクシス様がそう言ったとき、馬車が動き始めた。きっとこのまま私を屋敷まで連れて行くつもりだ。
……そうはさせない。
「あんな屋敷に二度と近付くものですか!」
私は素早い動きで馬車から飛び降りた。
馬車は町の中をゆっくり移動しているだけだったので、少しの怪我も無く地面に降りることが出来た。
そして馬車から降りた私は、町の中を全速力で走った。
「おい待て! ジゼルを追え!」
すぐに数人の男が私を追いかけてきた。このままでは、捕まるのは時間の問題だろう。
私が女ではなく男の身体だったなら、彼らを振り切って逃げることが出来たかもしれないのに。
もし私が男になることが出来たなら……!
そんな薬があったなら……!
「あっ! 魔女の薬屋!」
そのとき、逃げ込むのにピッタリの店が目の前に現れた。
私は必死で扉に手を伸ばし、店内へと滑り込んだ。




