●24
「酷い目に遭ったね」
「いえ、僕がはっきりと喋らなかったのが悪いのです」
「そのくらいで使用人に紅茶をかける方が悪いと思うよ」
屋敷内を歩きながら、ルーカス様と会話をする。
「ちょうど良かった。この子の着替えとタオルを持って来てくれるかな。私たちは執務室にいるから」
廊下ですれ違った使用人に指示を出したルーカス様は、私を執務室へと連れて行った。
すぐに執務室に着替えとタオルが運ばれてくる。
ルーカス様はタオルを受け取ると、ごしごしとタオルで私の頭を拭いた。そのまま首元も拭いていく。
「ずいぶんと華奢だね」
「あの、自分で拭けます。ルーカス様に拭いて頂くなんて、畏れ多いです」
タオルを受け取って自分で拭こうとしたものの、ルーカス様はタオルを渡してはくれなかった。
「君に紅茶をかけて風邪を引かせたとあっては、ジゼル嬢に会わせる顔が無いからね」
「紅茶をかけたのはヴィヴィアン嬢です。ルーカス様は何も悪くありません」
むしろ私のことを助けてくれた。それなのにルーカス様を怒るわけがない。
「だとしても、ジゼル嬢に嫌われたら嫌だからね」
「ええと……ジゼルはただの男爵令嬢ですよね?」
ジゼルに嫌われたとしても、ルーカス様に損害は無いはずだ。それなのにどうしてルーカス様はこんなにもジゼルのことを気にかけるのだろう。
エマの数少ない友人だから?
それとも……。
「私にとってジゼル嬢は、どこにでもいる男爵令嬢ではないんだ」
「どういうことですか?」
「ジゼル嬢は、私の初恋の人だからね」
「はつこっ!?」
あまりにも想定外の言葉が飛んできた。そんな話は一度も聞いたことが無い。
「あはは、初恋は昔の話だよ。私もそれなりの年齢だからね。だけどラミレス伯爵と結婚してからのジゼル嬢は変わってしまったから、ずっと心配をしていたんだ」
アレクシス様と結婚してからの私は変わってしまった。
この前、自分でも考えていたことだ。
結婚を機に、私はアレクシス様に愛される妻になろうと、アレクシス様の好みに合わせようと、自分を捻じ曲げて生きてきた。アレクシス様の機嫌を伺って、自分よりもアレクシス様のことを優先して。
「こう言っては失礼かもしれないけれど。離婚をすることで元の彼女に戻ることが出来るなら、ラミレス伯爵との離婚はジゼル嬢にとって悪いことばかりではないかもしれないね」
「元のジゼルは……どんな人間でしたか?」
自分を見失っている私には答えの出せない問い。それをルーカス様にぶつけてみた。
自分自身を見つけるヒントをもらえたらいいな、と思ってのことだ。
するとルーカス様は昔を懐かしむように遠くを見つめた。
「昔のジゼル嬢は、自由な少女だったよ。他の人がやらないようなことでもやりたいと思ったらやってしまうような、ね。ただ、結婚をしたことで彼女の自由さは消えてしまったけれど。どれだけ窮屈な結婚だったのだろうね」
自由な少女。
ルーカス様にはジゼルがそんな風に見えていたのか。
本当の私は…………私は、どんな人間だったっけ。
「ところでジェフは、今ジゼル嬢がどこにいるか本当に知らないのかな」
「ど、どうして、僕が」
「実は驚かせてしまうかもしれないと思いつつ、心配だったから彼女の実家へ様子を見に行ったんだ」
「実家に!?」
知らなかった。私は実家とは連絡を絶っていたから、知らなくて当然かもしれないけれど。
「ジゼル嬢は実家にはいなかった。家出をして、どこへ行ったのかも分からないという話だったよ」
「家出……」
実家ではそういうことにしているのだろう。夫に捨てられて戻ってきた娘を追い出したというのは、外聞がよくないから。
ラミレス伯爵邸にいると言わなかったということは、私があそこにいないことを両親はもう知っているのだろう。
「ちなみにジェフの身元も調査したよ」
「ええっ!?」
そんな困ることはしないでほしい。まさか一使用人の身元調査をするとは思ってもみなかった。
どうしよう。ジェフなんて人間は存在しないのに!
「しかしジェフの身元は分からなかった。私が調べて分からないなんて相当だよ。貴族ならまずあり得ない」
マズいマズいマズい。誤魔化す方法が見つからない。どうすればこの状況を切り抜けられるのだろう!?
「だから私は思うのだけれど、ジェフ、君は……」
私はこれから屋敷に侵入したスパイとして捕縛されるのだろうか!? そんなの嫌だ! 身元を偽っていたことは事実だけれど、サンチェス家から何かを盗もうなんて考えたことないのに!
「君は、認知されていない私生児なのではないかな?」
「…………へ?」
「顔の造形や髪と瞳の色から考えて、君がジゼル嬢の親戚であることは疑うべくもない。しかしジゼル嬢の親戚にジェフという人物はいない。そして君は衣食住を必要としている。これらを繋げると、この結論になるんだ」
認知されていない私生児。考えたことがなかったけれど、ものすごく都合の良い設定だ。ぜひ使わせてもらおう。私生児でこの場を切り抜けよう。
「さすがはルーカス様です。実はその通りなのです。隠していてすみませんでした」
「確証は無かったのだけれど、そうか。しかしそれなら田舎貴族などと噓を吐かなくても雇っていたよ。気軽に嘘を吐くのは良くない」
「申し訳ありませんでした」
私が深々と頭を下げると、ルーカス様はもういいと、私の頭を軽く叩いた。
「話が逸れてしまったね。何の話をしていたのだっけ……ああ、ジゼル嬢の行方の話だったね」
ジゼルの現在地はこの屋敷なのだけれど、もちろんそんなことを言うわけにはいかないので、黙っておく。
「私は行方知れずのジゼル嬢のことが心配でね。彼女が町を彷徨っているのなら見つけたいんだ」
「……ルーカス様は、ジゼルを見つけてどうするおつもりですか」
「行く場所が無いのなら、うちに招こうと思っている」
ルーカス様の厚意はありがたいけれど、それはルーカス様の評判を落とす行為だ。離婚したばかりの令嬢を屋敷に招くなんて、何を勘繰られるか分からない。
実際には何も無くただの客人としての扱いだったとしても、火種があればうわさは勝手に燃え上がるものだ。
「離婚したばかりの令嬢を迎え入れるなんて、ルーカス様が悪いうわさを立てられます」
「うわさくらい、どうということはない。そんなものに気を配っていたら、何も出来なくなってしまうよ」
「……うわさは大事ですよ。ルーカス様の悪いうわさが流れるくらいなら、ジゼルはこの屋敷に来ないと思います」
だからこそ、私はジェフになった。
ジゼルとして屋敷に来たら、ルーカス様にもエマにも迷惑がかかるから。
それだけはしたくなかったのだ。
二人は、大事な友人とその兄だから。
「それならいっそ、ジゼル嬢を嫁にもらおうかな」
いきなりルーカス様がとんでもないことを言い出した。
「どどどどうしてそんな話に!? 冗談ですよね!?」
取り乱す私に、ルーカス様がウインクをしてみせる。
「私がジゼル嬢に長年恋をしていて、ジゼル嬢が離婚をしたから遂に嫁にもらったという話なら、純愛話だろう?」
「で、ですがっ! ルーカス様はもうジゼルのことが好きではないのですよね!?」
「私がそんな話をしたかな?」
ルーカス様が不思議そうな顔をしている。
「ルーカス様、初恋は昔の話だと仰っていましたよね?」
「初恋は昔の話だろう? 私がジゼル嬢に恋をしたのは、ほんの子どもの頃なのだから」
その言い方はまるで、今も恋が冷めていないかのような……。
「両親が事故で亡くなり、急に当主を継ぐことになり、仕事が立て込み、エマの病状が芳しくなく……別に誰かを責めるつもりはない。ただ日々を必死に生きているうちに、ジゼル嬢は結婚をしていた。あれほど自分の想いを伝えなかったことを後悔した日は無かった」
「…………」
こんなのはもう、愛の告白だ。
ルーカス様はジェフの正体がジゼルだとは知らないから告白のつもりはないのだろうけれど、実際には今の言葉をジゼルは聞いている。私は、聞いている。
自身の顔が真っ赤になっていくのを止めることは出来なかった。
「す、すみません! 僕は部屋に戻ります!」
「急にどうしたの?」
「ごめんなさい!」
私は真っ赤になっているだろう熱を帯びた頬を押さえながら、急いで自室へと走った。




