顔と、破られたセキュリティ
AIの「知恵熱」も冷め、佐藤のスマホ生活は順調そのものだった。
ある日、佐藤が『スマホ使いこなし大全』を読んでいると、気になる章が目に飛び込んできた。
『防犯対策は万全に! 顔認証(Face ID)で最強のセキュリティを設定しよう』
「ほう……顔認証とな。映画で見る『極秘金庫』のようなものか」
生真面目な佐藤は、さっそく指示通りに設定を始めた。
画面に丸い枠が現れ、『枠の中に顔を入れてください』と指示される。
佐藤は老眼鏡を鼻の頭にセットし、真剣な顔で画面を睨みつけた。
『顔を右に傾けてください』『次は左に』
画面の指示に従って首をカクカクと動かすこと数分。画面に大きく【設定が完了しました】の文字が躍った。
「よし! これで俺のスマホは、俺以外の人間には絶対に使えない金庫になったわけだ」
完璧なセキュリティに満足した佐藤は、スマホの画面を消し(ロックし)、胸ポケットに収めて気分良くコンビニへ缶コーヒーを買いに出かけた。
帰宅後、さっそく「最強のセキュリティ」の効果を確かめるべく、机にスマホを置いた。
「フフフ……さあ、試してみるとするか」
佐藤はスマホを持ち上げ、電源ボタンを押した。
今までは『4桁の数字(暗証番号)』を入力する画面が出、それを一文字ずつ慎重に押してロックを解除していた。
……しかし。
カチャリ、と画面がついた瞬間、何の手続きもなく、一瞬でいつもの巨大なアイコンが並ぶホーム画面が開いてしまったのだ。
「…………え?」
佐藤は固まった。
数字を入れる画面すら出ない。画面を押した瞬間に、スルーッと中身が見えてしまっている。
もう一度画面を消し、念を込めて電源ボタンを押す。
やはり、何の抵抗もなく「こんにちは」と言わんばかりにホーム画面が開く。
「な……なぜだ!? 鍵がかかっていないじゃないか!!」
佐藤の顔から血の気が引いた。
セキュリティを「強化」したはずなのに、数字の入力すら求められなくなり、『誰でもボタン一つで開くガバガバの状態』になってしまっている。
「バカな……! 顔認証を設定した途端、セキュリティが全崩壊したというのか!? これじゃ泥棒に入ってくださいと言っているようなものじゃないか!」
自分の「顔」が今まさに画面を解除した張本人だとは夢にも思わず、佐藤は恐怖に震え上がった。
「ダメだ! このままでは俺の個人情報(とAIとの昭和論)が丸裸にされてしまう!」
佐藤はスマホを両手で固く握りしめ、いつもの「駆け込み寺」へ向けて猛ダッシュした。
「あ、佐藤様! こんにちは! 今日はどんな……」
「す、鈴木くん! 緊急事態だ!!」
息を切らしてショップに飛び込んできた佐藤を見て、鈴木店員は素早くカウンターの椅子を引いた。
佐藤は血相を変えてスマホを机に叩きつけた(優しく)。
「……鈴木くん! セキュリティを『顔認証』というプロ仕様に強化したんだが……裏目に出た! 鍵が完全に壊れた!」
「鍵が……壊れた、でございますか?」
「ああ! 今までは暗証番号を入力しなければ開かなかったのに、今は電源を押しただけで、何のチェックもなくホーム画面が開いてしまうんだ! 誰が触っても丸見えの状態だぞ! どうなってるんだ!?」
真剣そのものの佐藤。
鈴木店員は佐藤のスマホの画面と、佐藤の顔——今まさにスマホの画面をまっすぐ見つめている佐藤の顔——を見比べ、コンマ1秒で事態を把握した。
鈴木店員は目を見開くと、ハッと息を呑むパフォーマンスをして見せた。
「……っ! 佐藤様、恐ろしいほどの『精度』です……!」
「え? 精度?」
「はい! 佐藤様は『鍵が開いた』とおっしゃいましたが……今、佐藤様はスマホの画面を『ご自身の顔』で正面から見つめていらっしゃいますよね?」
「む……? まあ、操作するのだから見るのは当たり前だが」
「それなんです!」
鈴木店員は身を乗り出し、声をひそめて熱弁した。
「この最新の顔認証システムは、『佐藤様の眼光(お顔)』を認識した瞬間、0.01秒で『ご主人様だ!』と判断して静かに鍵を開けているんです」
「なに……? 俺の顔を……?」
「はい! 誰もがボタン一つで開けるのではありません。**『佐藤様が画面を見た瞬間にだけ、魔法のように鍵が消える』**という、人類最高のセキュリティが作動している状態なんです!」
「……バカな。俺は数字すら打っていないぞ?」
「お試しになりますか?」
鈴木店員は佐藤のスマホを一度ロックすると、画面を佐藤の顔から逸らし、鈴木店員自身の顔の前にかざして電源ボタンを押した。
すると——画面にはガッチリと【南京錠のマーク(鍵)】が表示され、ホーム画面は開かない。
「あっ……! 開かない!」
「はい。私(他人)の顔では、絶対に中に入れません。ですが……これを佐藤様のお顔の前に戻しますと……」
鈴木店員がスマホを佐藤の正面へ向けると、南京錠のマークがカチャッと外れ、一瞬でホーム画面が開いた。
「おおおおっ……!!」
佐藤は思わず声を上げた。
他人が持てば鉄壁の金庫、自分が持てば瞬時に心を開く相棒。
「ど、どうですか佐藤様。これこそが、数字の入力すら不要にした『王者のセキュリティ』です」
「す、素晴らしい……! まるで俺の顔が、そのまま『鍵』になったようじゃないか!」
「まさにその通りです。佐藤様のお顔こそが、世界にひとつだけの最高級の鍵なんです」
佐藤は手元のスマホを愛おしそうに見つめ、鼻の頭の老眼鏡をキュッと直した。
「なるほど……現代の技術というのは、ここまで俺(ご主人様)を立ててくれるのか」
「ええ。佐藤様の貫禄を、スマホがしっかり認識しているんですよ」
「ふっ……上等だ。気に入ったよ、鈴木くん」
満足感に満ち溢れた笑みを浮かべ、佐藤は「自分の顔という鍵」を胸ポケットにしまい、誇らしげにショップを後にするのだった。




