文字化けと、見知らぬ言語
自慢の五葉松を投稿してから、数時間が経過した。
佐藤はチラチラとスマホの画面を盗み見ていた。生真面目な性格ゆえ、「もし誰かから反応があったら、放置するのは失礼にあたる」と気になって仕方がないのだ。
——ポーン!
突然、静かな室内にけたたましい通知音が響いた。
飛び上がるようにスマホを手に取る。画面にはハートのマークと、見知らぬユーザーからのコメントが表示されていた。
『すごい! 幹の曲がり具合がアートですね!』
『渋い! どうやって育てたらこんなに綺麗になるんですか?』
「おお……! 反応が、反応が来ている……!」
感動で打ち震える佐藤。若者とおぼしき相手からの熱い褒め言葉に、ニヤける口元を抑えきれない。
佐藤は老眼鏡を鼻の頭にセットし、人差し指一本で、真剣に返信を打ち始めた。
『コメントありがとうございます。水やりは朝夕二回、樹齢四十年の賜物です』
丁寧かつ誠実に、一つ一つのコメントへ返信を送っていく。ネットの向こうの人々と心を通わせる快感。定年目前の男の胸に、久しく忘れていた誇らしい情熱が灯っていた。
……だが。
五つ目のコメントを開いた瞬間、佐藤の手がピタリと止まった。
『 素晴らしい盆栽です! කන්යා ඡායාරූපය. ඉතා ලස්සනයි! 』
「……なんだ、これは?」
佐藤は老眼鏡の位置をずらし、画面に顔を限界まで近づけた。
アルファベットでもない。漢字でもない。
画面に浮かんでいたのは、丸やクルクルとした記号が怪しく絡み合った、見たこともない謎の図形だった。
「……出たな」
佐藤の脳裏に、あのマニュアル本の記述が蘇った。
『※端末の文字コードが適合しない場合、画面に【文字化け】が発生することがあります』
「文字化けだ……! よりによって、俺の投稿にバグが発生してしまったか!」
生真面目な佐藤はパニックに陥った。
相手がせっかく書いてくれた温かいコメント(かもしれないもの)が、自分のスマホのせいで「暗号」に化けてしまっている。
「失礼じゃないか! 相手に申し訳ない! 早く治して読めるようにしなきゃならん!」
佐藤は画面を長押ししたり、スマホをトントンと叩いてみたりしたが、クルクルした丸い記号はびくともしない。
「くそっ、このモードのせいか!? 文字を『極大』にしすぎたせいで、プログラムの文字コードが崩壊したのか!?」
自分ではどうしようもない。相手への誠意と焦りに突き動かされ、佐藤は五度目となる「いつもの場所」へダッシュした。
「あ、佐藤様! 今日は二度目ですね!」
ショップのドアを開けると、鈴木店員が「親戚の叔父さん」を迎えるかのような笑顔で出迎えてくれた。
佐藤は呼吸を荒くしながらスマホを差し出し、画面のクルクルした記号を指さした。
「……す、鈴木くん! 緊急事態だ! アプリが文字化けを起こした!」
「文字化け、でございますか?」
「ああ! せっかく俺の盆栽を褒めてくれた(と思われる)親切な人に、返信ができないんだ! 文字コードの復元作業をしてくれ! 画面を『極大』にしすぎたのが原因か!?」
真剣そのものの佐藤の訴えに、鈴木店員は画面に踊る『 ඉතා ලස්සනයි! 』の文字を見つめた。
そして、0.1秒で状況を理解した鈴木店員は、目を見開いて「言葉を失った振り」をした。
「……っ! さ、佐藤様……! これは……文字化けではありません!」
「なに……? バグではないのか?」
鈴木店員は深く息を吐き出すと、敬意に満ちた眼差しで佐藤を見つめた。
「佐藤様。これは……『シンハラ語』です」
「シン……ハラ?」
「はい。スリランカの公用語です。つまり、文字が壊れたのではなく、佐藤様の盆栽の写真が海を渡り、赤道を超えてスリランカの人々にまで届いたということなんです!」
「……な、なんだって……!?」
佐藤は耳を疑った。スリランカ。インド洋の島国だ。
自分の小さな庭で、三十年間ひっそりと手入れしてきたあの五葉松が、いまや地球の裏側の人間を感動させているというのか。
「文字サイズが『極大』だからバグったのではなく、佐藤様の情熱が『極大』すぎて、世界規模にまで拡大してしまったんですよ」
「せ、世界規模……!」
「はい! ちなみにこの言葉ですが……『とても素晴らしい写真ですね! とても美しいです!』と絶賛されていますよ」
鈴木店員がスマホの翻訳機能をサッと動かして見せると、あのクルクルした丸文字が、日本語の美しい称賛へと姿を変えた。
佐藤の全身に、鳥肌が立った。
「スリランカの男が……俺の盆栽を『美しい』と……」
「ええ。佐藤様の作られた美しさは、言語の壁も、国境も超えたんです。……どうされますか? 返信、打ちますか?」
鈴木店員が微笑みながら、キーボード画面を差し出す。
佐藤はゆっくりと呼吸を整えると、鼻の頭の老眼鏡をキュッと押し上げた。
背筋が、これまでにないほどシャキッと伸びていた。
「……ああ。鈴木くん。スリランカの彼に、返事を打ってくれ」
「はい! なんとお伝えしましょう?」
佐藤はまっすぐな目で、画面の向こうの異国へ向けて言った。
「『ありがとう。水やりは、毎朝六時だ』……とな」




