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文字サイズは、「極大」から、老眼に負けるもんか!  作者: 藤一


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盆栽と、スクロールの壁

アプリの世界へ無事足を踏み入れ、アカウントも作成できた佐藤。

次はいよいよ、自分の「手札」を世界にお披露目する番だった。

「俺にだって、人に誇れるものがひとつくらいはある」

佐藤が向かったのは、自宅の小さな庭の片隅。そこに鎮座するのは、三十年かけて手入れしてきた自慢の五葉松ごようまつの盆栽だった。枝ぶり、幹の肌、苔のつき具合、どこをとっても芸術品だと自負している。

老眼鏡を掛け直し、覚えたてのカメラ機能でパシャリと一枚撮影する。今度は連写もインカメの誤作動もない。完璧な一枚だ。

「よし……これを世界に見せてやるとしよう」

投稿画面を開き、写真をセットし、文面に『我が家の五葉松。樹齢四十年』と一文字ずつ慎重に入力した。

そして最後に、画面に大きく表示された【投稿する】というボタンを力強くタップした。

……しかし、何も起きない。

「ん? 押し方が弱かったか?」

もう一度、ギュッと画面を押し込む。だが、ボタンはグレーのままで虚しく沈むだけだ。

代わりに、画面の上部に小さく、しかし頑ななメッセージが表示されていた。

【※利用規約に同意してください】

「りようきやく……?」

佐藤がその文字をタップすると、画面いっぱいに黒くて細かい文章がずらりと広がった。

『第1条(目的)本規約は、当サービスをご利用いただく際の……』

『第2条(定義)1.「会員」とは……』

文字サイズ「極大」の世界において、利用規約は狂気だった。

一画面にたった三〜四行しか収まらない。スクロールしても、スクロールしても、法律用語のような難しい文章が果てしなく下に続いていく。

「な、なんだこの長文は……!? 契約書を丸ごと読めというのか!?」

生真面目な佐藤は、指で画面をシュッと滑らせては真剣に文章を追おうとした。だが、極大文字の砂漠はどこまでも続き、終わりが見えない。

何十回も指を滑らせているうちに指先はカサカサになり、画面は指紋で白く曇っていった。しかし、下の「同意する」というチェックボックスは、一向にタップできるようにならないのだ。

「……ダメだ。投稿ボタンを押させないために、アプリがフリーズしている。これは不具合だぞ」

佐藤は確信した。アプリが故障し、この「終わらない文章」を無限に生成し続けているのだと。

佐藤は三度(正確には四度)、あの「駆け込み寺」のドアを叩いた。

「あ、佐藤様! いつもご利用ありがとうございます!」

カウンター奥から鈴木店員が、もはや「常連の上客」を迎えるような温かい笑顔で飛んできた。

佐藤は険しい表情のままスマホを差し出し、画面に浮かぶ『第14条(免責事項)』の文字を見せた。

「……鈴木くん。このアプリは不良品だ」

「不良品、でございますか?」

「ああ。自慢の盆栽を世界に発信しようとしたのだが……この『規約』という文章が出たきり、端末が壊れて投稿ボタンを受け付けなくなった。いくら指を滑らせても文章が終わらないんだ。無限ループのバグが発生している」

真剣にアプリの故障を訴える佐藤。

鈴木店員は画面に映る極大文字の『第14条』と、佐藤の少しカサついた人差し指の先を見つめ——すべてを解読した。

鈴木店員は一切の笑みを挟まず、むしろ深く感銘を受けたように頷いた。

「……佐藤様。誠に素晴らしいです。佐藤様のその『真摯な姿勢』に、アプリのシステムが試されているんです」

「なに? 試されている?」

「はい! 大半のユーザーは、この規約を一切読まずに適当に流してしまうんです。ですが、佐藤様のように『一つ一つの条文を誠実にしっかりと読もうとされるお客様』に対し、アプリ側が『本当に最後まで読まれましたか?』と確認をとっている状態でして」

「む……! そういうことか!」

佐藤はハッとした。自分が生真面目に一文字ずつ読もうとしていたのを、アプリが見抜いていたというのか。

「このモードは文字が大きいため、普通の方の何十倍も画面を滑らせないと『一番下(契約の末尾)』に辿り着かない仕組みになっておりまして。佐藤様の読書スピードに、スクロールの距離が追いついていなかっただけなんです」

「なるほど……文字がデカい分、ページの底が深くなっていたのか!」

「まさにその通りです! ですので、ここはプロの技術で一気に『底』までお連れいたしますね」

鈴木店員は佐藤のスマホを受け取ると、親指で画面をスイッ、スイッと素早く、かつ軽やかに何度も払った。

一瞬で数百行の文章が駆け抜け、一番下にポツンと置かれた【上記の規約に同意する】のチェックボックスが現れた。

鈴木店員がそこにチェックを入れると、それまで頑なに沈黙していた【投稿する】のボタンが、鮮やかなオレンジ色に点灯した。

「おおっ……! ボタンが息を吹き返した!」

「はい! これで『最後まで誠実に読んだ』という証明がアプリに届きました。さあ佐藤様、記念すべき最初の投稿をご自身の指でどうぞ!」

「う、うむ……!」

鈴木店員に促され、佐藤は震える指先でオレンジ色のボタンをタップした。

画面がフッと切り替わり、画面中央に【投稿が完了しました】の文字と、自分の育てた美しい五葉松の写真が躍り出た。

「できた……! 俺の盆栽が、ネットの世界に……!」

「おめでとうございます! 素晴らしい写真ですね、幹の力強さが画面越しにも伝わってきます!」

「ふっ……まあ、三十年手入れしているからね。ありがとう鈴木くん、君のおかげでアプリの『試練』を突破できたよ」

満足気に胸を張ってショップを出ていく佐藤の背中を、鈴木店員は最後まで深々と頭を下げて見送るのだった。

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