ミクロの数字と、プロの機転
フリマアプリでのやり取りを無事に終えた佐藤は、自宅で優待品のクオカードを眺めながら、久しぶりに証券アプリを開いていた。
「む……? これは……」
購入してからしばらく放置していた株の画面を開くと、購入時よりも株価が少し上がっていた。
「上がっている……。ここで利益を確定して売ってしまうべきか、それともこのまま持ち続けて優待を狙い続けるべきか……。うーむ、売り時というのは実に悩ましいな」
売るべきか、塩漬け(そのまま保有)にするべきか。一人で悩み抜いた佐藤は、決断を下す前にプロの意見を聞こうと三井の店舗へと向かった。
「斎藤くん、相談があるのだ。先日買った株が少し値上がりしていてね。売ってしまうべきか、持ち続けるべきか……決めかねているのだよ」
カウンターで事情を話す佐藤に、斎藤はいつものように品のあるお辞儀をし、静かに答えた。
「佐藤様、ご相談ありがとうございます。ですが大変恐縮ながら、私どもから『今すぐ売るべき』『売らないべき』という直接的な指示を出すことは法律上できません」
「む……そうだったな。最終決断は自分でするのが投資の鉄則だった」
「はい。ですが、佐藤様がご自分で決断するための『判断の材料』をお渡しすることはできますよ」
そう言うと、斎藤は佐藤のスマホを一緒に見つめ、画面の指差し案内を始めた。
「佐藤様、株価を見る時は『チャート(波)』と『板(注文の混み具合)』の二つを観察します。チャートは過去の波の勢いを見るもの、板は『今まさにいくらで売り買いしたい人がいるか』という現在進行形の攻防を見るものです」
「ほう……! チャートが過去の波で、板が現在の攻防とな!」
「はい。チャートは画面を縮小すれば、全体の波の形がなんとなく掴めますよね?」
「うむ! 文字は小さくなるが、線の上がった下がったの形は老眼鏡越しでもよく分かる!」
「ですが……問題はこちらの『板(気配値)』です」
斎藤が画面を切り替えると、そこには株価の上下にズラリと数字が並ぶ板画面が表示された。
しかし、佐藤のスマホは文字サイズが『極大表示』に設定されている。
「むむっ……!? なんじゃこれは……!」
極大表示された数字が画面狭しと巨大に主張するため、上下にずらりと並ぶはずの買い注文と売り注文の「一覧」がまったく収まりきらないのだ。数字の一部分だけがドカンと切り取られ、全体の板の厚み(注文の偏り)がまったく読み取れなくなっていた。
「画面を小さく縮小すると、今度は数字自体が潰れて読めん! だが極大表示のままだと、上と下の注文の数字が見切れて全体像が分からんのだ……! チャートの形はぼんやり掴めても、板の数字だけは極大表示の罠から抜け出せんぞ……!」
佐藤が頭を抱えた、その時だった。
斎藤の美しい眉がピクッと動き、その瞳に閃きの光が宿った。
「……佐藤様。良い方法がございます」
「なに? 良い方法だと!?」
斎藤は胸のポケットからすっと細身のペンを取り出し、ブースのサイドテーブルに一枚の白い用紙を広げた。
「スマホの画面上で全体と細部を同時に見るのが難しいのであれば……私の手元で『リアルタイムの板の概略』を大きな文字で手書きし、佐藤様の目元にお見せいたします」
「な……手書きだと!?」
「はい。アプリの極大表示で全体が見切れてしまうなら、私がプロの目線で板の主要な注文ラインを大きな文字でこの紙に拡大転写いたします。これなら老眼鏡のままでも、上下の注文の混み具合がひと目で分かりますよ」
斎藤は流れるような綺麗な文字で、現在の板の厚みをダイナミックに紙に書き写していった。
「おおおおっ……! 見える! 見えるぞ斎藤くん! 上に分厚い売り注文があって、下には買い注文が控えているのが一目瞭然だ!」
「フフッ、スマホの画面に縛られる必要はございません。アナログとデジタルを融合させれば、佐藤様に最も見やすい『特注の板』が完成します」
プロならではの機転と温かい対応に、佐藤は深く感動し、老眼鏡の位置を直しながら手書きの板をじっくりと見つめるのだった。




