優待のパスポートと、画面越しの値切り
株主になってから数ヶ月。ついに佐藤の自宅のポストに、待ちに待った一通の封筒が届いた。
「おお……! ついに来たか!」
慎重にハサミで封を切り、中身を取り出す。そこには綺麗なデザインのクオカードとお菓子の優待券、自由に使ってくれという手紙、そして見慣れないプラスチックのカードが入っていた。
『〇〇テーマパーク 特別ご招待1日フリーパスポート(2枚)』
「む……? フリーパスポート……!?」
佐藤は老眼鏡の位置を直し、カードをじっくり見つめた。
お菓子やクオカードは実用的で大感激だったが、この遊園地のチケットだけは完全に想定外だった。
「遊園地など、もう何十年も行っていないぞ。今更俺が一人で観覧車に乗るわけにもいかんし、かといって近所の知人にあげるにも、こんな高価なものを渡せば相手が恐縮してしまう……」
せっせと企業から届いた感謝の品を無駄にはしたくない。
困り果てた佐藤は、書棚からスマホの活用本を取り出し、パラパラとページをめくった。そこに踊っていたのが『フリマアプリ(メルカリ)』の特集だった。
「ほう……! 自分で使わないものを、それを欲しがっている人にアプリ上で譲ることができるのか! これぞまさに相互扶助、市場経済の理屈だな!」
佐藤は本の手順に従い、おそるおそるカメラでパスポートを撮影し、極大文字の画面で価格と説明文を入力した。
『〇〇テーマパークのパスポート二枚です。企業からの優待品ですが、私には不要なため出品いたします。定価より安く設定しております』
「よし……! 出品完了だ!」
自分の手で市場に商品を出した達成感に浸っていた、わずか十分後のことだった。
スマホがピロンと音を立てた。画面を開くと、見知らぬユーザーからメッセージが届いていた。
『はじめまして! 子供の誕生日にぜひ連れて行ってあげたいのですが、予算が厳しく……もう少しお安くしていただけないでしょうか? 8000円になりませんか?』
佐藤の指がピタリと止まった。
「な……『もう少し安くできませんか』だと……!?」
佐藤は冷や汗を流しながら画面を二度見した。
「定価よりすでに安く設定してあるのだぞ! それなのに、面識もない人間から画面越しに『値を切れ』と言われるとは……! 大阪の商人じゃあるまいし、個人の売買で値切り交渉など受けたことがないぞ!」
「『安くしてくれ』と言われて『ダメだ』と断ったら、相手の子供の誕生日の夢を壊す悪者になってしまうのか!? だが言われるがまま安くするのも悔しい……! 一体どう返信すれば角が立たないのだ!?」
画面越しの人情と理屈の板挟みになり、頭がパニックになった佐藤は、スマホを握りしめてスマホショップへと走り出した。
「す、鈴木くん! 助けてくれーっ!」
カウンターへ駆け込み、悲鳴のような声をあげる佐藤。
対応に出た鈴木店員はびっくりして立ち上がった。
「さ、佐藤様!? 今度は一体どうされたんですか!?」
「フリマアプリだ! 優待で届いた遊園地のパスポートを出品したのだがね、見知らぬ相手から『安くしろ』と値切り交渉が飛んできたのだ! 相手は『子供の誕生日に』などと情に訴えてくるし、俺はこんな駆け引きをしたことがない! どう対応すればいいのだ!?」
スマホの画面を見た鈴木店員は、「ああ〜!」と深く納得した顔で微笑んだ。
「佐藤様、落ち着いてください! フリマアプリでは、この『値下げ交渉』はすごく日常的な挨拶みたいなものなんですよ!」
「なに……!? 日常的な挨拶だと!?」
「はい! 買う側は『ダメ元で安くなったらラッキー』くらいの気持ちで聞いてきていることがほとんどなんです。だから、佐藤様が無理して相手の希望通りに安くする必要はまったくありませんよ!」
「む……? 無理に応じなくても良いのか?」
「もちろんです! もし『この価格で売りたい』と思っているなら、断っても全然失礼にはなりません。断る時の丁寧な決まり文句もあるんですよ」
鈴木店員は画面を指トントンと叩きながら、佐藤にアドバイスした。
「例えば『お問い合わせありがとうございます。あいにく出品したばかりですので、現在の価格でご検討いただけますと幸いです』と、丁寧にお断りすれば完璧です!」
それを聞いた佐藤は、ハッと目を丸くした。
「そうか……! 大阪の市場のように怒号を飛ばし合うのではなく、礼節を持って『この価格でご検討ください』と返せば良いのだな!」
「その通りです! もし『少しなら負けてあげてもいいかな』と思うなら『500円引きなら可能です』という風に、佐藤様のペースで条件を出すのもアリですよ!」
佐藤は胸を撫で下ろし、力強く頷いた。
「なるほど……! 買い手の言いなりになる必要はなく、価格の主導権は出品者である俺にあるのだな! 勉強になったぞ、鈴木くん!」
鈴木店員に教わった丁寧な断り文案を極大画面に一文字ずつ打ち込みながら、佐藤は「売買の駆け引き」という新たなスマホ文化の奥深さに、少しだけ武者震いを感じるのだった。




