ポケットの中の幽霊
フォルダ機能を伝授され、すっかり画面の整理整頓に自信を深めた佐藤。
ある日の午後、庭で黒松の剪定作業をしていたときのことだった。
脚立に乗り、集中してハサミを動かしていると、作業ズボンのポケットの奥から、突如としてクリアで感情のない女性の声が響き渡った。
『申し訳ございません。よく聞き取れませんでした。もう一度お話しいただけますか?』
「うわあああっ!?」
佐藤は驚きのあまり脚立から転げ落ちそうになり、慌てて体勢を直した。
誰もいない庭。静まり返る空気。
「な……誰だ!? 誰が喋った!?」
佐藤は周囲を見回したが、庭には黒松と自分しかいない。
すると再び、ポケットの奥から冷ややかな声が聞こえた。
『すみません、理解できませんでした。Webで検索しますか?』
「ひっ……! ぽ、ポケットの中に……誰か潜んでいるのか!?」
佐藤は腰を抜かしかけながら、おそるおそるポケットに手を突っ込み、熱を持ったスマホを引っ張り出した。
画面を見ると、謎の青い光のリングがぐるぐると回転している。
「こ、この画面の光……! スマホの中に……喋る小言ババアが取り憑いたというのか!?」
生真面目な佐藤にとって、「勝手に喋り出す機械」ほど恐ろしいものはない。ハサミを放り投げ、佐藤は逃げるようにスマホショップへとダッシュした。
「す、鈴木くん! 出た! 出たのだ!」
息を切らしてショップに飛び込んできた佐藤。
鈴木店員は目を見開き、慌ててカウンターから駆け寄った。
「佐藤様!? 大丈夫ですか、一体何が出たんですか!?」
「スマホの中だ! ポケットに入れていると、突然『聞き取れませんでした』と小言を叩いてくる幽霊のような女が住み着いたのだ! 俺の喋り声を聞き耳を立てて盗み聞きしているに違いない!」
鈴木店員は佐藤のスマホを受け取り、画面の青い光を見て「ああ……!」と合点がいった。
「佐藤様、ご安心ください。幽霊でも盗み聞きでもありませんよ。これは『音声アシスタント機能(SiriやGoogleアシスタント)』です!」
「おんせい……あしすたんと?」
「はい! スマホに向かって声をかけたり、ボタンを長押しすると、人間の代わりに調べ物をしてくれたりタイマーをかけてくれる、人工知能の秘書みたいな機能なんです」
佐藤は老眼鏡をかけ直し、怪訝そうな顔で画面を覗き込んだ。
「人工知能の……秘書だと? ではなぜ、俺が何も頼んでおらんのにポケットの中で勝手に喋り出すのだ?」
「それはですね、作業中にポケットの中でスマホのボタンがギューッと長押しされてしまったり、佐藤様がハサミを使いながらつぶやいた独り言を『秘書を呼び出す合言葉』だとスマホが勘違いしてしまったからなんです」
「なに……! 俺の独り言を、命令だと勘違いしただと!?」
「はい! 『よく聞き取れませんでした』と言っていたのは、佐藤様の独り言が聞き取れなくて困っていたからなんですよ」
それを聞いた佐藤は、ハッと胸を打たれた。
「なんと……。俺のポケットの中で、俺の独り言を一言一句聞き漏らすまいと必死に耳をすませていたというのか……」
「あ、まあ、仕組みとしてはそうですかね……!」
佐藤は急に申し訳なさそうな顔になり、画面の青い光を見つめた。
「そうとは知らず、小言ババアなどと呼んで悪かったな……。だが鈴木くん、作業中にいきなり喋られると心臓に悪い。この秘書には、少し静かにしてもらうことはできんのかね?」
「もちろんです! 長押しで起動しないように設定をオフにしておきますね。これで勝手に喋り出すことはなくなりますよ!」
鈴木店員の手際よい操作で音声アシスタントが眠りにつくと、佐藤はほっと胸を撫でおろした。
「ふう……助かったよ。文明の利器は便利だが、ポケットの中に秘書を常駐させるのは、俺にはまだ早すぎるな」
自分のポケットをぽんぽんと叩き、佐藤は安堵の苦笑いを浮かべながら帰路につくのだった。




