スタンプという名の解剖学
詐欺電話を返り討ちにしてから数日後。佐藤は久しぶりに渡辺の店で買ったスマホ活用本を開いていた。
「ほう……『LINE』とな。これを入れると、電話代をかけずに文字で連絡が取り合えるのか。文明の利器だな」
さっそくアプリをダウンロードし、生真面目な佐藤は名前の欄に「佐藤 一郎」とフルネームで正々堂々と入力した。アイコン写真も、庭で手塩にかけて育てた黒松の画像である。
登録を完了した直後だった。
スマホがポロン、ポロンと心地よい音を立てて震え始めた。
画面の「友達」という欄に、元同僚や知人、親戚の名前がズラリと表示されたのだ。佐藤が電話番号でLINEを登録したため、相手のスマホにも「佐藤一郎がLINEを始めました」と自動で通知が行ったのである。
『佐藤さん! LINE始めたんですね!』
『佐藤叔父さん、久しぶり〜!』
次々と届くメッセージに、佐藤は老眼鏡の位置をキュッと直した。
「むむ……! みんな俺がLINEを始めたことを知っているのか! 連絡をもらったからには、無礼な返信は許されん!」
佐藤の生真面目さに火がついた。
相手からの「久しぶり〜!」という一行の挨拶に対し、フリック入力と極大表示の画面で格闘しながら、まるで丁寧な暑中見舞いのような長文をしたため始めた。
『拝啓。〇〇様、ご無沙汰しております。猛暑の候、いかがお過ごしでしょうか。このたびは文明の利器を導入いたしまして、私自身も困惑している次第でございます。貴殿におかれましてもお体に気を付けて……』
件数は十五件。
佐藤は一文字一文字、心を込めて長文の返信を打ち続けた。全員への返信が完了した時には、すっかり夜が明けていた。佐藤の指はシビれ、目は血走り、肩はガチガチに凝り固まっていた。
「……くっ、LINEとは……なんと体力を消耗する過酷なアプリなのだ……!」
翌日、疲労困憊の顔をした佐藤は、いつものスマホショップへと向かった。
「す、鈴木くん……助けてくれ……」
「佐藤様!? どうされたんですか、そんなにやつれて!」
佐藤はカウンターに突っ伏すようにして、昨夜の惨状を語った。
「LINEというものを始めたのだがね、知人から大量の挨拶が届いてな。一人ひとりに丁寧な返信の手紙をしたためていたら、夜が明けてしまったのだ……! LINEとは、これほどまでに精神と肉体を削る試練のアプリなのか!?」
話を聞いた鈴木店員は、一瞬呆然としたあと、思わず吹き出しそうになるのを必死にこらえた。
「さ、佐藤様! LINEで暑中見舞いのような長文を全員に返されたんですか!?」
「当たり前だ! 挨拶をいただいておいて、短文で済ませるなど失礼極まりないだろう!」
鈴木店員は優しく微笑み、佐藤のスマホの画面をタップした。
「佐藤様、LINEには『スタンプ』という素晴らしい機能があるんですよ。ほら、このボタンを押してみてください」
画面の下部に、クマやウサギのかわいらしいイラストがズラリと現れた。
「これは……絵か?」
「はい! 例えば『久しぶり!』と届いたら、言葉で長文を書かなくても、この『おじぎをしているクマさん』の絵をポチッと一回押すだけでいいんです」
「なに……!? この絵を一枚送るだけで、返信が完了するだと!?」
「そうです! LINEというのは、手紙ではなく『手軽な会話』を楽しむツールなんです。絵文字やスタンプ一つで『了解』や『ありがとう』の気持ちを伝えるのが、一番喜ばれるんですよ」
佐藤は極大表示されたクマのイラストを食い入るように見つめた。
「むむむ……絵一枚で礼節を表現するとは……! まるで絵手紙のような高級な嗜みではないか!」
「あ、まあ、捉え方はそうかもしれませんね!」
「そうか……俺は言葉に縛られすぎていたのだな。良し、次からはこのクマのスタンプで、スマートに礼を伝えるぞ!」
スタンプという画期的な解法を手に入れ、佐藤は肩の荷が下りたように晴れやかな顔になった。
「ありがとう鈴木くん。文明の利器には、文明の利器なりの『気楽な作法』があるのだな」
クマのスタンプを愛おしそうに眺めながら、佐藤は鼻の下を伸びやかに伸ばすのだった。




