本屋と、いつものショップ
覚醒した翌日、佐藤は気合を入れて大型書店へと向かった。
向かった先は「シニア向けIT・スマホコーナー」。
棚には『これならわかる! はじめてのスマホ』『70歳からのLINE&写真』といったタイトルの本がズラリと並んでいる。
(フン、70歳向けか。俺はまだ50代後半だぞ)
少々鼻で笑いつつも、一番厚くて解説が詳しそうな『これ一冊で完全攻略! 最新スマホ使いこなし大全』を手に取り、レジへ持っていった。佐藤の生真面目な性格が、近道ではなく「基礎からの網羅」を選ばせたのだった。
家に帰り、机の上に本を広げる。老眼鏡を深くかけ直し、1ページ目から順に操作を試していくことにした。
「ふむ……まずは『ホーム画面の配置を変更してみましょう』か。どれどれ」
本の手順通りに、画面上のアイコンを長押ししてみる。
しかし、ここで最初の壁が立ちはだかった。
本に載っている見本の写真と、自分のスマホの画面がまったく違うのだ。
本の写真はアイコンが小さくスマートに整列しているが、佐藤のスマホは『超高視認性モード』のせいで、画面にアイコンが4つほどしか入らない。
「長押しすると……『編集モード』に入る……入らないぞ?」
指の乾燥のせいか、それとも押し方が強すぎるのか。画面がピクリとも動かないかと思えば、突然関係ないアプリが起動して大音量で「ポーン!」と通知音が鳴る。
「くそっ、なぜだ! 本にはこう書いてあるだろ!」
ページをめくり、別の操作(例えばカメラのタイマー機能や、写真の保存)を試してみるも、やはり「本の画面」と「自分の巨大文字画面」のギャップにつまずき、どこをタップすればいいのか分からなくなってしまう。
格闘すること三時間。佐藤の手にはうっすらと汗が滲み、スマホの画面は指紋でドロドロになっていた。
「……ダメだ。本が間違っているのか、俺の端末が壊れているのか……」
佐藤は固く口を結び、スマホと本をカバンに押し込んだ。
向かう先は、ひとつしかなかった。
「あ、佐藤様! こんにちは!」
スマホショップのドアをくぐると、あの鈴木店員が爽やかな笑顔で迎えてくれた。
「……あー、鈴木くん。ちょっと近くを通ったからね」
佐藤は平然を装いながら、カウンターの椅子に腰掛けた。カバンから昨日のスマホを取り出し、あえて少し難しそうな顔を作ってみせる。
「実はね、この端末のシステムについて……少し確認したいことがあってね」
「システム、ですか?」
鈴木店員が首をかしげる。佐藤は咳払いを一つして、本で読んだばかりの「かろうじて覚えた単語」をちりばめながら、精一杯のプライドを込めて切り出した。
「うん。本来であれば、このインターフェースからダイレクトに『設定プロファイル』にアクセスし、表示のレイアウトを最適化できるはずなんだ。……だが、どういうわけか、この画面にはその『該当するトリガー』が出ないんだよ。端末の固有エラーかな?」
言葉の意味は佐藤本人もよく分かっていない。要するに「本と同じ画面にならないから操作できない」と言いたいだけなのだが、どうしても「自分が分からない」とは認めたくなかった。
鈴木店員は一瞬、佐藤の言葉を脳内で翻訳するようにパチパチと瞬きをした。
そして、佐藤の手元にある『スマホ使いこなし大全』の表紙と、佐藤のスマホの巨大な文字を見比べ——すべてを察した。
「あー……! そういうことでございますか!」
鈴木店員は嫌みゼロの、完璧なプロの笑顔を向けた。
「佐藤様、さすがです。システムの本質をついていらっしゃいますね。実はこれ、故障ではなく『極めて高度な専用モード』が作動しているからなんです」
「き、高度な専用モード?」
「はい! お客様の端末は昨日、お仕事の効率化のために『超高視認性モード』に設定させていただきましたよね? そのため、市販の『一般向けマニュアル本』とは、画面の裏側の導線(やり方)が少し変わっているんです。本が追いついていないんですよ」
(本が追いついていない……!)
佐藤の胸のつかえが、すーっと下りていく。俺が悪いのではなく、本がこの「スマートビジネス仕様」に対応していないだけだったのだ。
「なるほど……通りで本通りにいかないわけだ」
「ええ。ですがご安心ください。このモードのまま、お客様がやりたかった操作をするには……ここをこうして、ここをチョンと押すだけで一発なんです」
鈴木店員は佐藤にスマホを戻し、佐藤の指を優しく誘導した。
言われた通りに操作すると、今までうんともすんとも言わなかった画面が、スルリと切り替わった。
「おお……!」
「素晴らしいです! 一度コツさえ掴めば、一般的なやり方よりずっと速く操作できますからね」
手際よく疑問を解消してもらい、佐藤は立ち上がった。
ショップの出口へ向かいながら、佐藤は背中で鈴木店員に声をかけた。
「……鈴木くん」
「はい?」
「……助かった。感謝する」
それだけ言うと、佐藤は少しだけ胸を張って、ショップを後にしたのだった。




