隠されたゴミ箱と、蘇る黒松
本日二度目となるショップの自動ドアをくぐり、佐藤は力なくカウンターへ向かった。
「……鈴木くん。……ゴミ箱が、消えた」
絞り出すような佐藤の声。
鈴木店員は一瞬固まったが、すぐにプロの表情へと戻り、佐藤を優しく椅子へ促した。
「ゴミ箱が消えた、でございますか? 落ち着いてごらんください、何があったのですか?」
佐藤は重い口を開き、事の顛末を白状した。
写真の○が消えなくてパニックになったこと。誤ってすべての写真を消してしまったこと。そして、本には『ゴミ箱に入れ』と書いてあるのに、画面のどこを探してもゴミ箱が見当たらないこと——。
「……あの『黒松』は、我が家で一番の男前だったんだ。三十分もかけて日当たりと陰影を調整したというのに……俺の愚かな指の一突きで、すべてが無に帰してしまった……」
本気で落ち込み、遠くを見つめる佐藤。
鈴木店員は佐藤のスマホを受け取り、画面を一目見るなり、ハッと息を呑んだ。
「……佐藤様! 素晴らしいです!」
「……え?」
絶望の淵にいた佐藤は、思いがけない言葉に首をかしげた。
「佐藤様は『消してしまった』とおっしゃいましたが、とんでもない! むしろ佐藤様は、このスマホの『隠し扉』を自力で見つけ出そうとされていたんですよ!」
「か、隠し扉……?」
「はい! ごらんください。佐藤様のスマホは『超高視認性モード(文字サイズ極大)』で設定されておりますよね? そのため、画面が広すぎて入りきらなかった重要機能たちが、この『…(3点リーダー)』という名の『秘密の小部屋』に身を潜めているんです!」
鈴木店員は画面の右隅にある小さな『…』を指さした。
「本に書いてあるやり方は、あくまで『普通の文字サイズ(初心者用)』の解説です。ですが佐藤様のスマート仕様画面では、この『…』をタップすることこそが、ゴミ箱へと続く『正規のルート』なんです!」
(『…』が秘密の小部屋……!)
佐藤は身を乗り出した。渡辺さんの本屋で買ったあの分厚い本には、そんな『…』の秘密など一言も書いていなかった。
鈴木店員がチョン、と『…』をタップする。
すると、画面下からシュッとメニューが立ち上がり、そこには堂々と【ゴミ箱】の文字が現れた。
「おおっ……!!」
さらに鈴木店員が『ゴミ箱』を開くと、そこには先ほど消えたはずの12枚の写真たちが、行儀よく並んでいた。
その中央には、佐藤が魂を込めて撮影した「あの黒松」が、力強い緑をたたえて鎮座している。
「あ……あった……! 俺の黒松だ……!!」
佐藤は思わず立ち上がり、スマホの画面に顔を近づけた。
「はい! 写真を選択して……『復元』をタップします。……はい! これで元通りのアルバムにお戻りいただきました!」
画面のポップアップが消え、写真一覧に黒松が戻ってきた。
佐藤は胸を撫で下ろし、深く、深く息を吐き出した。
「よかった……本当に、よかった……」
「ええ、本当に素敵なお写真ですね。この枝ぶりの見事さといい、光の当たり方といい……佐藤様のこだわりがひしひしと伝わってきますよ」
鈴木店員が写真を覗き込み、心から感嘆するように言った。
「ふっ……分かってくれるか、鈴木くん。この影の入れ方が難しくてね」
「ええ、芸術的です! こうやって一つずつ機能を覚えていかれる佐藤様の情熱、僕も見ていて本当に勉強になります」
鈴木店員は目を輝かせ、心底楽しそうに佐藤を見つめた。
この不器用で生真面目な「ご主人様」が、次は一体どんな破天荒なトラブルを巻き起こし、どんな風にスマホを攻略していくのか——鈴木店員は密かにワクワクしていたのだ。
復元された黒松の写真を愛おしそうになでながら、佐藤は鼻の頭の老眼鏡をキュッと直した。
「ありがとう鈴木くん。……『…』の小部屋か。ふふ、現代の機械も、なかなか粋な隠し要素を作るじゃないか」
「はい! 次回作(次のトラブル)も……あ、いえ、次のご来店も心よりお待ちしておりますね!」
誇らしげにスマホを胸ポケットに収め、佐藤は本日二度目の帰路についた。
その背中は、ひとつの「隠し扉」を攻略した男の、堂々たる貫禄に満ちていたのだった。




