消えた盆栽と、開かれた扉
スマホショップで鈴木店員から「本が追いついていない」という金言をもらい、佐藤はすっかり上機嫌で帰宅した。
(フン、やはり俺の端末は先端を行き過ぎているのだな)
渡辺書店員から買った『使いこなし大全』を机にドサリと置き、佐藤は老眼鏡をかけ直した。仕組みさえ分かれば恐れることはない。
そういえば、と佐藤は思い出した。
昨日、操作練習のために庭の鉢植えを何枚も撮影したのだ。同じような写真が何枚もあるはずだから、まずはそれを整理してみよう。佐藤は本の中の『写真の整理と削除』の章を開いた。
「どれどれ……『写真アプリを開き、不要な写真を選択します』か」
佐藤はスマホの画面をタップし、写真一覧を開いた。
「……む?」
文字サイズは「極大」にしてあるが、写真の一覧サムネイル(縮小画像)はデフォルトの中サイズでズラリと並んでいる。
佐藤の目には、どれも小さすぎて細かな違いがサッパリ分からない。
(この陰影の入り方が違うんだが……拡大して見たいな)
佐藤は一枚の写真をタップした。しかし、写真が大きく拡大されることはなく、写真の右上に「小さな○(チェックマーク)」がポツンと付くだけだった。
「ん? なんだこの○は。拡大しないぞ?」
佐藤は首をかしげ、確認しようと別の写真をタップした。すると今度はそっちの写真にも○がつく。
「おい、どうした? なぜ○が増える? キャンセルだ、キャンセル!」
焦った佐藤は画面をポンポンと連続でタップした。
トントン、トントン!
タップするたびに、画面中の写真へ次々と○が増えていく。画面はまるで「○のバーゲンセール」状態だ。
「ええい、なぜだ! どうすれば戻るんだ!」
画面上の文字は老眼鏡越しでも追いきれず、パニックに陥った佐藤の視界に、画面下部の「ゴミ箱アイコン」が飛び込んできた。
(これだ! 一旦この○(変なモード)をゴミ箱に捨てればリセットできる!)
佐藤は迷わずゴミ箱アイコンを勢いよくタップした。
すると突然、画面中央にポップアップメッセージが表示された。
『選択した12枚の項目を……』
「うおっ!? なんだこのメッセージは!」
読もうとした瞬間、画面いっぱいの巨大な文字のせいで「はい」「キャンセル」のボタンが画面の大半を占領し、メッセージの本文を押し出していた。
焦った佐藤の指は、吸い寄せられるように赤く強調されたボタンへと伸びた。
【はい】
シュッ——。
一瞬にして、画面から○のついた写真たちが綺麗さっぱり消え去った。
「………………あ」
静まり返る部屋。
佐藤はピキリと固まった。
(消えた……?)
画面に残ったのは、失敗作のブレた花の写真がポツンと一枚だけ。
消えた12枚の中には、佐藤が三十分かけてライティングを調整し、いずれSNSに投稿してやろうと意気込んで撮影した「渾身の盆栽(黒松)」の最高の一枚も含まれていた。
「しまっ……! 消してしまったぁぁぁ!!」
冷や汗が背中を吹き出す。我に返った佐藤の手は震えていた。
ついさっき「感謝する」と格好良く去ったばかりのスマホショップへ、また「写真を消しました」と駆け込むなど、定年間近のプライドが絶対に許さない。
「落ち着け……落ち着け佐藤。本だ。本を読むんだ!」
佐藤は縋るような思いで『使いこなし大全』を激しくめくった。ページを破らんばかりの勢いで探すこと数分、小さく書かれた注記に目が留まった。
『※削除された写真は、完全に消去される前に一時的に「ゴミ箱」フォルダに移動します。30日以内であれば復元が可能です』
(あ、あった……! ゴミ箱だ! 完全には消えていない!)
一縷の望みが繋がり、佐藤は歓喜した。
本には『画面下の「アルバム」タブから「ゴミ箱」を選択します』と書かれている。
佐藤は急いでスマホの画面を見た。
しかし——
「……ない」
画面下に並んでいるのは『写真』『検索』『おすすめ』の3つだけ。「ゴミ箱」などどこにも見当たらないのだ。
そう、佐藤のスマホは「極大文字モード」。
画面の幅が足りず、本来右端にあるはずの「アルバム」や「ゴミ箱」は、画面の隅に追いやられた『…(3点リーダー)』の中に隠れてしまっていたのだ。
本を見ても「ゴミ箱を押す」としか書いていない。
画面を見ても「ゴミ箱」が存在しない。
「……またか。また『本が追いついていない』のか……!?」
自力での限界を悟った佐藤は、静かにスマホを握りしめた。
数分後。
スマホショップの自動ドアが開き、本日二度目の佐藤が、少し肩を落としながら入ってきた。
カウンターの奥で、鈴木店員が目を丸くして立ち上がる。
「あ、佐藤様! どうされましたか?」
佐藤は深くため息をつくと、観念したようにスマホと『使いこなし大全』をカウンターの上に並べた。
「……鈴木くん。……ゴミ箱が、消えた」
神店員・鈴木との、本日二度目の戦いが幕を開けた。




