間話:ふたりの名参謀
「——でね、今日うちの店に来たお客さんが、もう可笑しくて可愛くてさ」
駅ビルの小さなカフェ。アイスコーヒーのストローを回しながら言ったのは、書店のベテラン女性店員・渡辺だった。向かいに座っているのは、お隣のスマホショップで働く鈴木だ。同じフロアで働く顔なじみで、たまの休憩時間が重なるとこうして雑談を交わす仲だった。
「へえ、どんなお客様ですか?」
鈴木がサンドイッチを頬張りながら尋ねる。
「50代後半くらいの、定年間近って感じの男性なんだけどさ。うちのシニアコーナーで、一番分厚くて難解な『使いこなし大全』を真剣な顔で睨んでたのよ」
「あはは、形から入るタイプのおじさまですね」
「そうなの! だから私も気を遣って『もっと簡単な初心者向けもありますよ』って声をかけたんだけど……なんて言ったと思う?」
渡辺は少し背筋を伸ばし、低めの声で真似をしてみせた。
『私は基礎からシステム全体を構造的に理解したいタイプなんだ。だから、これで十分だよ』
鈴木は思わず吹き出した。
「プライド高いですね! でも、なんか憎めないなぁ」
「でしょう? 必死に目を細めてピント合わせようとしてるのに、意地でも老眼鏡を出さないの。結局その分厚い本を買っていってくれたんだけど……正直、あの本じゃなくて絶対躓いてると思うんだよねぇ。画面の操作とか絶対分かんなくなってるはず」
渡辺が親心のような心配顔で呟くと、鈴木はハッと気づいたように目を見開いた。
「……待ってください、渡辺さん。それ、今日うちのショップに来たお客様と同一人物じゃないですか?」
「え?」
「うちにも来たんですよ。カバンからその『使いこなし大全』の背表紙をチラ見せさせながら、ものすごい険しい顔でさ。『設定プロファイルのトリガーが出ない。システムの固有エラーか?』とか難しそうな単語並べて聞いてくるおじさん」
渡辺は目を丸くした。
「嘘でしょ!? で、鈴木くんはどうしたの?」
「どうしたも何も、画面見たら文字サイズが『極大』になってて、本に載ってる画面と全然違っただけでした。でも『知ったかぶりですね』なんて言えるわけないじゃないですか? だから『本が追いついてないんです』って言ったら、めちゃくちゃ満足そうに頷いて帰っていきましたよ」
「やだ、なにそれ! 『本が追いついてない』って! 鈴木くん、うまいこと言ったわねぇ!」
渡辺は手を叩いて大爆笑した。
「でもね」と、鈴木は少し表情を緩めた。
「すごく真面目な方なんですよ。分からないからって投げ出さないで、一生懸命使いこなそうとしてさ。帰り際にボソッと『助かった、感謝する』って言っていかれたんですけど……なんか、すごく応援したくなっちゃいました」
渡辺も温かい目で深く頷いた。
「分かるわ。うちでも『これをもらおう』って言った時の顔、ちょっと誇らしげで格好良かったんだから。不器用だけど、本当にお茶目で良いお客さんよね」
二人はお互いに佐藤の名前を出してはいなかった。
だが、二人の脳裏には、鼻の頭に老眼鏡をかけ、巨大な画面を真剣に睨みつける「あのおじさん」の姿が、寸分狂わず浮かんでいた。
「またうちに来るかしらね、あのおじさん」
「絶対来ますよ。次は『利用規約が長すぎる』とか言って駆け込んでくるんじゃないですか?」
「ありそう! その時はまた、よろしく頼んだわよ鈴木くん」
「任せてください。最高のサポートを用意して待ってますから」
二人はコーヒーカップを軽く合わせ、まだ見ぬ(お互いに知っている)不器用な男の挑戦に、温かい微笑みを送るのだった。




