本屋の渡辺と、いつものショップ 後編
カバンの中に『使いこなし大全』とスマホをねじ込み、佐藤は早足でスマホショップへと向かった。
ドアをくぐると、いつもの爽やかな声が響く。
「あ、佐藤様! こんにちは!」
カウンターの奥から飛んできたのは、あの鈴木店員だった。胸のネームプレートの『鈴木』の二文字が、今の佐藤には後光が差しているように見えた。
「……あー、鈴木くん。ちょっと近くを通ったからね」
佐藤は心の中の動揺を一切顔に出さず、平然を装ってカウンターのパイプ椅子に腰掛けた。カバンから昨日のスマホを取り出し、あえて少し難しそうな顔を作ってみせる。
「実はね、この端末のシステムについて……少し確認したいことがあってね」
「システム、ですか?」
鈴木店員が首をかしげる。佐藤は咳払いを一つして、渡辺さんのいる本屋で買った『使いこなし大全』の難解な単語を思い出しながら、精一杯のプライドを込めて切り出した。
「うん。本来であれば、このインターフェースからダイレクトに『設定プロファイル』にアクセスし、表示のレイアウトを最適化できるはずなんだ。……だが、どういうわけか、この画面にはその『該当するトリガー』が出ないんだよ。端末の固有エラーかな?」
言葉の意味は佐藤本人もよく分かっていない。要するに「本と同じ画面にならないから操作できない」と言いたいだけなのだ。渡辺さんの顔を思い出して「かんたん入門編にしておけばよかったか」と一瞬後悔しつつも、どうしても「自分が分からない」とは認めたくなかった。
鈴木店員は一瞬、佐藤の言葉を脳内で翻訳するようにパチパチと瞬きをした。
そして、佐藤のカバンからチラリと見えている『使いこなし大全』の分厚い背表紙と、佐藤のスマホの巨大な文字を見比べ——すべてを察した。
「あー……! そういうことでございますか!」
鈴木店員は嫌みゼロの、完璧なプロの笑顔を向けた。
「佐藤様、さすがです。システムの本質をついていらっしゃいますね。実はこれ、故障ではなく『極めて高度な専用モード』が作動しているからなんです」
「き、高度な専用モード?」
「はい! お客様の端末は昨日、お仕事の効率化のために『超高視認性モード』に設定させていただきましたよね? そのため、市販の『一般向けマニュアル本』とは、画面の裏側の導線(やり方)が少し変わっているんです。本が追いついていないんですよ」
(本が追いついていない……!)
佐藤の胸のつかえが、すーっと下りていく。渡辺さんの本屋で買ったあの分厚い大全集すら、この「スマートビジネス仕様」の前には追いついていなかったのだ。俺の理解力が足りないわけではなかった。
「なるほど……通りで本通りにいかないわけだ」
「はい。多忙なビジネスパーソン向けに洗練されておりますので。ですがご安心ください。このモードのまま、お客様がやりたかった操作をするには……ここをこうして、ここをチョンと押すだけで一発なんです」
鈴木店員は佐藤にスマホを戻し、佐藤の指を優しく誘導した。
言われた通りに操作すると、今までうんともすんとも言わなかった画面が、スルリと切り替わった。
「おお……!」
「素晴らしいです! 一度コツさえ掴めば、一般的なやり方よりずっと速く操作できますからね」
手際よく疑問を解消してもらい、佐藤は立ち上がった。
ショップの出口へ向かいながら、佐藤は背中で鈴木店員に声をかけた。
「……鈴木くん」
「はい?」
「……助かった。感謝する」
それだけ言うと、佐藤は少しだけ胸を張って、ショップを後にしたのだった。




