第十五話 組織拡大は「人事評価制度(目標管理)」から始めます
王都の大夜会へ乗り込み、特許独占という名の圧倒的な富の暴力で最高宮廷伯爵を正面から叩き潰してから、数週間。
ガルガルドの経済的な勝利は、さらなる「大波」をこの街にもたらしていた。
本国中央の産業を裏から支配したことで、ガルガルドのブランド価値は天井知らずに跳ね上がり、今や本国中から「元無能文官の領主様の下で働きたい」という、優秀な職人、商人、さらには職を辞した元官僚たちまでが、こぞってこの最果ての地へ移住を希望し、押し寄せていたのである。
まさに、破竹の勢いの組織拡大。
だが、領主館の執務室で大量の雇用申請書を前に、ナオトは一人、深刻な表情で頭を抱えていた。
「ナオト様……っ、本当に、本当に人手が足りません! 新しく入ってきた優秀な人たちをどの部署に配置すればいいのか、もう私個人の感覚では限界です!」
リーネが髪を振り乱し、膨大な履歴書の束を机の上にドサリと置いた。
街の急激な肥大化に伴い、人間、魔族、獣人、そして新入りの本国王都組が混ざり合い、組織のマネジメントが完全に崩壊しかけていたのだ。
「ああ、前世のベンチャー企業でもよくある『急成長期の組織の壁』だね」
ナオトは手帳を開き、現状の不満ログ(住民の苦情)を精査した。
「魔族の戦士たちが『新入りの人間の事務員が偉そうに命令してくるのが気に入らん』と怒っている。一方で、王都から来た優秀な事務官たちは『魔族の労働効率が大雑把すぎて、正確な帳簿がつけられない』と愚痴をこぼしている。……完全に、種族間での【評価基準の不一致】が起きているね」
「ナオト、やはりここは、私の武力で一度上下関係をハッキリさせるべきか?」
マルタが腕を組み、鋭い視線を履歴書に落としながら提案する。
「お兄ちゃん! クロエはね、新しく来た人たちがクロエの牧場を勝手に触るのがヤダ! クロエが一番ウサギさんの気持ちが分かるのに!」
クロエも犬耳をパタパタと不機嫌そうに動かし、ナオトの服を引っ張った。
ナオトは眼鏡の位置を直すと、冷徹な、しかし最高にワクワクした「公務員スマイル」を浮かべた。
「いや、武力も個人的な感情も必要ないよ。組織が大きくなった時に必要なのは、誰が見ても公平な『客観的ルール』だ。前世の役所や大企業が必ず導入している――【目標管理制度(MBO)と一律人事評価システム】を、このガルガルドに完全導入する!」
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翌朝、ナオトは新しく建てられた「ガルガルド中央庁舎」の大講堂に、幹部をはじめ、新しく移住してきた王都の知識人や、魔族のリーダーたちを一堂に集めた。
「皆さん、今日からこの街のすべての労働者、および役人に、新しい『人事評価シート』を配布する」
ナオトの合図で、リーネたちが整然と印刷された羊皮紙の山を配っていく。そこには、これまでの異世界には存在しなかった、「S、A、B、C、D」の5段階評価基準と、それぞれの職種に応じた具体的な『数値目標』が細かく記載されていた。
「これまでのこの世界では、身分が高い者や、腕力が強い者が偉いとされてきた。だが、これからのガルガルドでは違う。どれだけ身分が低くても、どれだけ戦闘スキルがなくても――『期初に立てた目標を、どれだけ達成したか(コミットメント)』だけで、すべての給与と地位を決める!」
ナオトの宣言に、会場の元王都の官僚たちや、魔族の戦士たちが色めき立った。
「な、何だと!? 私は王都で高等文官の資格を持っていたのだぞ! なぜ現場のオークと同じシステムで評価されねばならんのだ!」
プライドの高い元王都の事務官が不満の声を上げる。
「それなら、あなたのシートの『目標項目』を見てください」
ナオトは冷徹にその男を指差した。
「あなたの目標は『一ヶ月の帳簿ミスの確率を0.1%以下に抑えること』、そして『魔族の生産効率をデータ化し、前月比で10%向上させるための具体的な施策を提案すること』です。もしこれが達成できれば、あなたは文句なしで『S評価』となり、私の次の補佐官として莫大なボーナスを支給する。……逆に、どれだけ立派な肩書きがあろうと、目標が未達成なら『D評価』。給与は最低ラインまでカットし、新入りの難民の下につ港(降格)になってもらいます」
「くっ……!?」
「これは魔族の皆さんも同じです」
ナオトはマルタの部下のオークたちを見つめた。
「どれだけ力が強くても、ただ暴れるだけでは評価されません。シートにある『今月の道路舗装距離』や『温泉泥の採掘量』の目標数値をクリアした者が、最も発言権を得る。――文句があるなら、身分や種族ではなく、この『数字』で僕に証明してほしい」
完璧な能力主義であり、同時に完璧な「数値管理」。
お互いに対する不満をすべて「個人の目標達成」へと昇華させるナオトの組織運営の前に、文官も武官も、ぐうの音も出ずに書類を握り締めるしかなかった。
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人事評価制度の導入から一ヶ月。ガルガルドの組織は、驚異的な速度で「自律的な進化」を始めていた。
工房では、かつて反発し合っていた元王都の事務官とオークの戦士が、一つの机を囲んで必死に数字を計算していた。
「おい、人間の事務官! 今月の俺たちの採掘データはどうだ!? A評価に届きそうか!?」
「ええ、素晴らしいペースです! あと三トン掘れば、あなたたちの班は全員『S評価確定』です! 私の管理評価も上がりますから、どうか頼みますよ!」
「ガハハ! 任せておけ! 明日は倍の人数で掘り出してやる!」
種族の壁を越え、共通の「目標数値」を達成するために、お互いが必死に協力し合う強力なシナジーが生まれていたのだ。
さらに、牧場エリアでは――。
「お兄ちゃん! クロエのシート、見て見て!」
クロエが満面の笑みで、ナオトに自身の評価シートを突き出してきた。そこには、リーネによって『S+』の大きな赤文字が書かれていた。
「クロエの目標だった『ウサギさんの出産数を2倍にする』、完璧に達成したよ! 新しく来た人たちにも、ウサギさんの触り方を数字で優しく教えてあげたの!」
「素晴らしいよ、クロエ。約束通り、組合長のクロエには特盛りの高級お肉券を支給するね」
ナオトが頭を撫で回すと、クロエはふさふさの尻尾をちぎれんばかりに回転させて喜んだ。
現場の「感覚」で行われていた業務をすべて標準化(マニュアル化)し、それを誰にでも分かる数値で評価する。ナオトが前世の役所で嫌というほど書かされた「人事評価面談」の知識が、異世界の多様な種族を一つの『最強の機能集団(超効率組織)』へと変貌させたのだ。
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その日の夕方。
庁舎のテラスから、夕日に染まるガルガルドを見下ろすナオトの横に、マルタが静かに並んだ。
「驚いたな、ナオト。かつての魔王軍も、本国の正規軍も、常に組織の内紛と種族間の足の引っ張り合いに悩まされていた。それを、お前はただの羊皮紙一枚、数字の評価だけで、彼らをこれほど一枚岩の戦友に変えてしまうとはな……」
マルタは自身の評価シート(彼女も当然のように部下管理でS評価だった)を愛おしそうに見つめ、ナオトに深い親愛の視線を向けた。
「お前が作ったこの『人事システム』は、どんな洗脳魔法よりも恐ろしく、そして美しいよ」
「いや、みんな『自分の頑張りが正当に認められる場所』が欲しかっただけさ、マルタさん」
ナオトは手帳に、新年度の「組織図・最終決定稿」を書き込み、パタンと閉じた。
武力でも魔法でもない。ただの客観的評価ルールによって、本国のどんなエリート組織よりも効率的で、どんな軍隊よりも結束の固い『ガルガルド最強官僚・職人集団』が、ここに完成した。
「さあ、組織の基盤は100%整った。だけどね、みんな。組織が完璧になったということは……明日から、僕が決済しなければいけない『評価面談の書類(残業)』が、さらに山のように増えるということだからね!」
ナオトの不敵で、しかしどこまでも楽しそうな宣言に、リーネ、マルタ、そしてクロエの頼もしい笑い声が、最果ての街の新しい夜空にどこまでも高く響き渡るのだった。




