第十三話 領地拡大は「境界確定(デリミテーション)」から始めます
ガルガルドの街が『涼風都市』として未曾有の快適さと清潔さを手に入れ、経済特区としての地位を不動のものにしつつあった、真夏のある日のこと。
領主館の執務室で、ナオトは手帳にガルガルドの最新の財政状況を書き込んでいた。
ヴァルハイト商会とレオンハルト商会からの交易税、そして『魔導陶器』と『高級ウール』の売上により、領主金庫の予算は潤沢そのもの。住民の栄養状態も完璧で、熱中症の死者もゼロ。
お役所仕事で言うところの「完璧な行政運営」が行われていた。
しかし、次なる問題は、あまりにも早くやってきた。
「ナオト様……! 大変です、もう本当に街の土地が限界です……!」
リーネが、新しく更新されたガルガルドの広域地図を机の上に広げた。
地図に描かれたガルガルドの「公式な領地」を示す赤線の内側は、新築された家屋、新設された商業ギルドの工房、そしてクロエが管理する大規模牧場によって、一平方センチメートルの隙間もないほどギチギチに埋め尽くされていた。
「これ以上、本国からの難民を受け入れたり、新しい工場を建てたりするスペースがどこにも実ません。もし無理に建てれば、せっかく作った『風の道(区画整理)』が崩れて、またスラム化しちゃいます!」
「なるほど。急激な経済成長に伴う『過密化』と、それに伴う【領土不足】か……」
ナオトは顎をさすりながら地図を睨みつける。
前世の地方自治体でも、人口が増えすぎた都市が隣の自治体と合併したり、埋め立てを行ったりして領地を広げる『令和の大合併』や『市町村合併』のような事例は多々あった。
「それならナオト、簡単だぞ。街の東側に広がる不毛の荒野――あそこは昔からどこの国のものでもない『無主の地』だ。あそこを我がガルガルドの領土として、勝手に杭を打ち込んで拡大してしまえばいい。文句を言う奴がいれば、私の部下たちに叩き潰させよう」
マルタが大剣の柄をトントンと叩きながら、魔族らしい武力による領地拡大を提案する。
「お兄ちゃん! 東の荒野にはね、すっごく美味しい実がなる木がたくさんあるんだよ! クロエ、あそこもガルガルドになったら、毎日食べ放題で嬉しい!」
クロエもナオトの袖を引っ張って目を輝かせる。
だが、ナオトは静かに首を振った。
「ダメだよ、マルタさん、クロエ。ただ武力で占領したり、勝手に杭を打つだけじゃ、本国や周囲の国に『不当な侵略行為』として口実を与えてしまう。お役所仕事の基本はね――【合法的かつ国際法に基づいた、誰も文句の言えない領地拡大】だよ」
「合法的、だと……? どこの国のものでもない不毛の荒野を、一体どうやって合法的に手に入れるというのだ?」
マルタが不思議そうに眉をひそめる。ナオトは不敵な公務員スマイルを浮かべ、手帳の「国際条約・領土規定」のページを開いた。
「前世の地球の国際法にはね、『無主地先占』という原則があるんだ。どこの国も統治していない土地を、最初に『実効支配』した国家が、合法的にその領有権を主張できるというルールさ。この世界の法律にも、全く同じバグ(抜け穴)が存在する。……よし、これよりガルガルド初の『領地拡大・境界確定プロジェクト』を執行する!」
——
翌朝、ナオトはマルタ率いるオークの建設団、そしてリーネが手配した数百人の難民たちを引き連れ、街の東側に広がる広大な「無主の荒野」へと足を踏み入れた。
そこは、乾いた赤土と岩肌がどこまでも続く、一見すると価値のない不毛の大地だった。本国の中央貴族たちも、「あんな石ころだらけの土地、何の役にも立たない」と放置していた場所だ。
「ナオト様、ここにガルガルドの旗を立てれば、領地になるんですか?」
リーネがガルガルドの紋章が描かれた旗を持って尋ねる。
「いや、ただ旗を立てるだけじゃ『実効支配』とは認められないんだ。本国のうるさい法務官どもに文句を言わせないためには、三つの『行政実績』をこの土地に残す必要がある」
ナオトは【測量】スキルを発動し、不毛に見える荒野の大地をスキャンした。
視界の端に、地中の水分量や鉱物資源のデータが数字となって次々と浮かび上がる。
「まず第一に【インフラの延伸】だ。オークのみんな! ガルガルドの街から、この荒野を一直線に貫く『幅十メートルの第一号公道(コンクリート道路)』を建設してくれ!」
「おうよ、領主様! 道路作りならお手の物だ!」
オークたちが、ナオトの指示した白線に沿って、凄まじい手際で地面を均し、即席コンクリートを流し込んでいく。あっという間に、最果ての街と荒野を繋ぐ、立派な「近代道路」が延伸されていく。
「第二に【公衆衛生の確立】。道路の脇に、地下水路から引いた『公衆水飲み場』と『簡易休憩所』を設置する。これでこの土地は、誰もが安全に利用できる『公共スペース』としての実績ができる」
人間の職人たちが、コンクリート製の美しい水場を組み立てていく。乾いた荒野に、冷たくて清らかな水が溢れ出た瞬間、難民たちから歓声が上がった。
「そして第三に――これが一番重要だ。【生産活動による定住実績】だよ」
ナオトは、クロエが言っていた「美味しい実がなる木」の前にしゃがみ込み、【材質鑑定】を行った。
『植物名:赤砂の無花果。特性:極度の乾燥地帯でのみ育つ。果実の糖度:極めて高。本国での希少価値:特Aクラス』
「……やっぱり。本国の貴族たちは、ここを不毛の地だと思って放置していたけれど、実はこの乾燥地帯でしか育たない、最高級のフルーツの自生地(宝の山)だったんだ」
ナオトの言葉に、マルタとリーネが息を呑んだ。
「クロエ! このイチジクの木を中心に、周囲一帯を『ガルガルド第一果樹園』として指定する。獣人や難民のみんなで、この周囲に頑丈な『管理用のフェンス』を建てて、定住用の管理小屋を作ってほしい!」
「わーい! お兄ちゃん、クロエ、ここのイチジクの守り神になるー!」
クロエを先頭に、獣人たちが大喜びでフェンスを組み立て、あっという間に「実効支配」のための管理施設が完成していった。
——
ガルガルドが荒野の開拓(実効支配)を始めてから一週間後。
やはりと言うべきか、その動きを嗅ぎつけた本国の「近隣領地の強欲な子爵」が、私兵を引き連れて難癖をつけにやってきた。
「おいおいおい! どこの馬の骨かと思えば、追放された無能領主ではないか!」
派手な衣装を着た子爵が、馬の上からナオトたちを見下ろし、建設されたばかりのコンクリート道路や果樹園を不愉快そうに鞭で指し示した。
「この広大な荒野は、我が領地に隣接している! つまり、ここは我が子爵家の領地となるべき場所だ! 無能領主の分際で、勝手に道路を造り、我が領地のイチジクを盗むとは不届き千万! 今すぐここを明け渡し、建設物をすべて置いて立ち去れ!」
子爵の背後で、百人ほどの私兵たちが武器をガチャつかせる。
「ナオト、やっぱり来たぞ。今度こそ、こいつらの首を撥ねてもいいだろう?」
マルタが冷酷な笑みを浮かべ、大剣を引き抜こうとする。
「待って、マルタさん。暴力は最後の手段だよ。……子爵閣下、お役所の書類の手続きにおいて、お尋ねしたいことがあります」
ナオトは全く動じることなく、胸ポケットから一枚の公式な『領土境界確定申請書』を取り出した。
「あなたがここを『自分の領地だ』と主張されるなら、過去の中央公文書において、この土地があなた一族に割譲されたという『登記ログ(記録)』、あるいは過去三年間、この土地から本国へ税金を納めた『納税実績』は実ますか?」
「な、納税実績だと!? あるわけがないだろう、ここは誰も住まない不毛の荒野なのだから!」
「ええ、そうでしょうね。お役所言葉で言えば、ここは誰も統治していない『無主の地』でした」
ナオトは不敵に微笑み、書類の法印を子爵に突きつけた。
「ですが、本国の『辺境領地統治基本法・第十七条』に基づき――我がガルガルド領は、この土地に国家公道を延伸し、公衆水場(公共施設)を設置し、さらに果樹園(生産拠点)を建設して、一週間の『定住による実効支配』を完了させました。そして、その実績を以て、すでに王都の地籍総局へ【無主地先占による領地拡大の登記申請】を正式に受理させてあります」
「な……登記申請だとぉ!?」
「はい。現在、この土地は法的に『ガルガルド領・東部開拓特区』として公式に登録されています。あなたが今、武器を持ってここに立ち入っている行為は、お役所のルールに基づけば――我がガルガルド領に対する【不法侵入および臨戦的軍事挑発行為】に該当します。もしこれ以上進軍されるなら、本国の最高審議会へ『子爵家による違法な領土侵犯』として即座に通報いたしますが、よろしいですか?」
「ひ、非公式の侵略ではなく、すでに王都に書類が通っているというのか……っ!?」
子爵は顔面を蒼白にさせ、ガタガタと震え出した。
本国の公式な書類が受理されている以上、ここでナオトたちを攻撃すれば、自分の方が「国家に対する反逆者」になってしまう。
「おのれ……無能文官の分際で、手続きだけは一人前な男め……! 撤退だ! 撤退しろ!」
子爵は捨て台詞を残し、一太刀も交えることなく、這う這うの体で私兵たちを引き連れて逃げ帰っていった。
——
「……ぷっ、あはははは! 見たか、あの子爵の情けない顔! 武器を一度も振るわずに、書類一枚で追い返しちゃった!」
リーネがお腹を抱えて大笑いし、周囲の難民やオークたちからも、地鳴りのような勝鬨があがった。
「見事だ、ナオト。お前のお役所手続きというのは、どんな大魔法よりも確実に敵の領土を奪い取る、最凶の兵器だな」
マルタが感心したように大剣を鞘に収め、ナオトの横顔を深い信頼の目で見つめる。
「お兄ちゃん、すごーい! これでこのイチジク、全部ガルガルドのものなんだよね!?」
クロエがナオトの腰に抱きつき、ふさふさの尻尾をブチ切れんばかりの速度で振り回している。
「ああ、そうさ。これからは、ガルガルドの公式な領土だ」
ナオトは手帳の地図を開き、ガルガルドの領地を示す赤線を、従来の『二倍以上』の広さへと、ペンで大きく描き直した。
武力による侵略ではなく、法律の隙間を突いた『無主地先占』による、完璧に合法的で誰も文句の言えない領地拡大。
手に入れた広大な東部特区には、これから新しい住宅街が建設され、最高級の『赤砂の無花果』を使った新しいジャムやワインの加工工場が立ち並ぶことになるだろう。街の富と規模は、さらに倍加することが確定したのだ。
「さあ、領地が広がって予算も増えた。だけどね、みんな。領地が広がるということは……それだけ、次の『インフラ整備(残業)』が増えるということだからね!」
ナオトの不敵な、しかし最高に頼もしい文官としての号令に、少女たちは顔を見合わせ、これからのさらなる繁栄の未来に胸を躍らせながら、最高の笑顔で頷くのだった。




