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第十一話 価格交渉は「相見積もり」が基本です

ガルガルドに訪れた春は、単なる季節の移り変わり以上の驚きを本国にもたらしていた。

最果ての不毛の地で、人間と魔族の生き残りが飢え凍えて全滅する――かつてナオトを追放した中央貴族たちのそんな予測は、完全に裏切られた。それどころか、ガルガルドから商人たちの手によって本国の市場へと流れた特産品は、王都の流行を根底からひっくり返すほどの社会現象を引き起こしていた。

一つは、魔力を永続的に保存し、術式の効力を数倍に跳ね上げる奇跡の器『魔導陶器』。

もう一つは、純白の綿毛ウサギの毛皮を贅沢にあしらい、どんな極寒の魔法をも遮断する『ガルガルド・防寒ウールコート』。

どちらも、本国の目の肥えた大貴族や高位の魔術師たちが、金貨をいくら積んででも欲しがる最高級ブランドとして、瞬く間に市場を独占し始めていたのだ。

「――というわけね。あの大野直人という無能文官が、まさかこれほどの利権を最果ての地で掘り当てるとは、本国の誰もが予想していなかった」

春の柔らかな日差しが差し込む領主館の執務室。ナオトの正面に座るマルタが、本国の隠密から届いた最新の報告書を読み上げ、ふっと皮肉気な笑みを漏らした。

「今や王都の市場では、ガルガルド産の製品に十倍以上の高値がついている。当然、あの強欲な中央貴族どもが、この巨大な富の源泉を黙って見過ごすはずがない」

「うん、予想通りの展開だね」

ナオトは淹れたてのハーブティーを口に含み、全く動じることなく手帳にペンを走らせていた。

「前世でもよくあったことさ。地方の小さな特産品がヒットした途端、中央の巨大資本が『提携』という名の買収を持ちかけてくる。……そろそろ、本国から『大きな獲物』がやってくる頃じゃないかな?」

その言葉が終わるのと同時だった。

執務室の扉が勢いよく開き、息を切らせたリーネが飛び込んできた。

「ナオト様! 大変です! 城門の前に、見たこともないような巨大な商船団……いえ、馬車の列が押し寄せています! 本国で最大の規模を誇る王宮御用達の『ヴァルハイト商会』の旗を掲げています!」

「へえ、監査官の次は、本国最強の『経済の暴力』が直々にお出ましというわけか」

ナオトは手帳をパタンと閉じ、眼鏡の位置を直しながら、最高に冷徹な「公務員スマイル」をその顔に浮かべた。

「よし、リーネ。一番上等な応接室へ案内して。本国で一番大きな商会が、どんな『お役所仕事』を仕掛けてくるのか、じっくり見せてもらおうか」


——


領主館の応接室。そこに待ち構えていたのは、洗練された漆黒の乗馬服に身を包んだ、一人の美しい女性だった。

艶やかな金髪をタイトにまとめ、鋭い琥珀色の瞳を持つ彼女の名は、エレオノーラ・ヴァルハイト。本国最大の商会を若くして率いる、冷徹無比な敏腕女商長である。彼女の背後には、仕立ての良い服を着た屈強な私兵たちが、無言の圧力を放ちながら並んでいた。

「お初にお目にかかります、大野直人領主。私はヴァルハイト商会の長、エレオノーラと申します」

エレオノーラは形式美に満ちた完璧な一礼をしたが、その瞳の奥には、ナオトを「戦闘スキルのない元文官」と見下す傲慢さが隠しきれていなかった。

「単刀直入に申し上げましょう。我が商会は、ガルガルドが生産する『魔導陶器』および『高級ウール製品』のすべてを、【永久的かつ独占的に買い取る契約】を締結しに参りました」

彼女は、金縁の豪華な羊皮紙の契約書をナオトの前に滑らせた。

「独占契約、ですか」

「ええ。我が商会の流通網を使えば、本国のあらゆる都市へお宅の商品を届けることが可能です。その代わり――すべての製品の取引価格は、我が商会が提示する『固定レート』に従っていただきます。また、他国の商人や他の商会との個人的な取引は一切禁止。これに違反した場合、この街への食糧や鉄鋼などの『重要物資の流通ルート』をすべて封鎖いたします」

それは、丁寧な言葉で包装された、完膚なきまでの「経済制裁」の脅しだった。

もし契約を断れば、本国からの流通を止め、ガルガルドを干し殺す。資金力と流通網を武器にした、巨大組織による優越的地位の乱用――いわゆる「買い叩き」の要求である。

横で話を聞いていたリーネが、あまりの横暴さに顔を真っ白にさせ、マルタの指先がかすかに大剣の柄へと動く。

しかし、ナオトは提出された契約書をパラパラとめくり、フッと小さく息を漏らした。

「エレオノーラ商長。この契約書、本国の『中央商業流通法・第三十二条』における【不当な市場独占および不公正な取引の禁止】の項目に、完全に抵触していますね」

「……何ですって?」

エレオノーラの美しい眉が、ピクリと不愉快そうに跳ね上がった。

「お言葉ですが、ここは最果ての未開地。本国の商業法など適用外――」

「適用内ですよ。なぜなら、先日の監査官との和解手続きの際、私はガルガルドを『本国直轄臨時経済特区』として公式に登録させましたからね。つまり、この街で行われるすべての取引は、本国の最新の商業法が100%適用されるんです」

ナオトは手帳から、一枚の公印が押された書類を提示した。

「あなたが提示したこの『固定レートでの独占契約』は、お役所言葉で言えば『優越的地位の乱用による不当廉売の強制』です。もしこれを本国の商業ギルド本部に提出すれば、ヴァルハイト商会は向こう三年間、王宮への出入りを禁止されることになりますが……本当にこのまま、この契約を強行しますか?」

「くっ……!?」

エレオノーラは息を呑み、ナオトを凝視した。

ただの無能な追放者だと思っていた目の前の男が、本国の高度な法律を完璧に武器として使いこなしていることに、初めて気づいたのだ。


——


「……なるほど。噂以上の切れ者のようね、元文官殿」

エレオノーラは表情を一変させ、冷酷な商人の顔で行儀悪く足を組んだ。

「法律で脅せば、私が引き下がると思った? 確かに独占契約は無理かもしれないわ。だけど、現実を見なさい。この最果ての地から本国へ安全に商品を運べる流通網ルートを持っているのは、我がヴァルハイト商会だけよ。私たちが『ガルガルドの商品を一切運ばない』と決定すれば、あなたの作った陶器も服も、ただのゴミクズとなってここで腐るだけ。結局、私たちが提示する低い価格で売るしかないのよ」

「ええ、その通りですね。一つの流通網に依存ロックインしていれば、そうなります」

ナオトは立ち上がり、応接室の大きな窓を開け放った。

そこからは、ガルガルドの城門前の大街道が見下ろせる。

「だからこそ、僕は最初から『一つの商会』だけを相手にするつもりはないと言っているんです。……ほら、丁度やってきたみたいですよ」

「……何ですって?」

エレオノーラが不審に思い、窓の外を見下ろした瞬間、彼女の琥珀色の瞳が驚愕に見開かれた。

街道の向こうから、ヴァルハイト商会とは全く異なる「青い獅子」の紋章を掲げた、これまた巨大な商隊の列が砂煙を上げて近づいてきていたのだ。

「あ、あれは……隣国の大交易商『レオンハルト商会』!? なぜ、本国と敵対している隣国の商会が、こんな場所に……!?」

「僕が【特定事務特定便】で、彼らにガルガルドの特産品のサンプルと、この街の『関税ゼロの優遇措置』の提案書を送っておいたからさ」

ナオトは窓辺に寄りかかり、パニックに陥りかけるエレオノーラを見下ろして微笑んだ。

「商売の基本は『相見積もり(あいみつ)』だよ、エレオノーラ商長。一つの業者に依存するから買い叩かれる。だったら、同じ価値を持つ複数の業者を同じ土俵に立たせ、競合させればいい。――ヴァルハイト商会が我が街の製品を安く叩くなら、僕はすべての製品の販売権を、隣国のレオンハルト商会にすべて『言い値』で売却するだけです。さて、本国最大の商会が、隣国のライバルにこの世紀の利権を丸ごと奪われるのを、指をくわえて見ているつもりですか?」

「貴様……最初から、私たちが来るのを分かって、競合相手を……っ!」

エレオノーラは激しい屈辱と、底知れない恐怖から全身を震わせた。

ナオトが仕掛けたのは、武力でも魔法でもない。現代の経済学に基づいた、完璧な『市場競争の原理』という名の、逃げ道のない包囲網だった。


——


それからの価格交渉は、もはやヴァルハイト商会のワンサイドゲームではなかった。

別室に招かれた隣国の商長と、エレオノーラの間で、ガルガルドの特産品を巡る凄まじい「入札合戦」が始まった。ナオトが中央で手帳を片手に、双方の提示する見積書ログを冷徹に精査していく。

「レオンハルト商会は、魔導陶器一個につき金貨五枚、さらに街への鉄鋼の無関税輸入を提示しています。ヴァルハイト商会、どうしますか? これを下回るなら、次のロットはすべて隣国へ流れますよ」

「くっ……! 我が商会は、金貨六枚! さらに本国からの食糧物資の輸送費を『全額商会負担』にするわ!」

「ナオト様、隣国側がさらに条件を上乗せしてきました!」

リーネが嬉しそうに新しい見積書を持って走ってくる。その横では、クロエが「お肉がいっぱい届くんだね!」と、楽しそうにエレオノーラの周りをぐるぐると回っていた。

夕方になる頃には、当初ヴァルハイト商会が提示していた買い叩き価格の『五倍以上』の超高値で、ガルガルドに最も有利な形での【複数社共同流通契約】が締結されることとなった。

「……負けたわ。まさか、こんな最果ての地で、ここまで完璧な『経済の檻』に嵌められるなんてね」

契約書にサインを終えたエレオノーラは、完全に毒気を抜かれた様子で、ぐったりと椅子に背中を預けた。しかし、その瞳からは先ほどまでの傲慢さは消え去り、ナオトという一人の男に対する、強烈な興味と敬意が浮かんでいた。

「大野直人。あなた、本当にただの無能文官なの? 本国の中央官僚たちを全員集めても、あなた一人には敵わないわ。……今回の契約、我が商会にとっては手痛い出費だけど、あなたという怪物と繋がれただけでも、十分な利益かもしれないわね」

「買い被りすぎだよ。僕はただ、前世の役所で仕込まれた『調達業務の手順』をそのままやっただけさ」

ナオトは完璧なサインが書かれた書類をファイリングし、静かに微笑んだ。

本国最大の商会を正面からねじ伏せ、隣国の流通網まで手に入れたガルガルド。この瞬間、最果ての流刑地は、本国すら容易に手を出せない『大陸最大の貿易経済特区』としての産声を、確かにあげたのだ。

「さあ、みんな。最高の予算と流通ルートが手に入ったよ! 明日からは、新しい港の建設と、さらに大きな市場の整備が始まる。僕たちのタウンマネジメント(残業)は、これからもっともっと面白くなるからね!」

領主ナオトの力強い号令に、少女たちの、そしてエレオノーラの驚きを含んだ温かい笑顔が重なる。元公務員の異世界内政大改造ストーリーは、世界全体を巻き込む壮大なステージへと、今、力強く加速していくのだった。

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