第2章 第56話 記憶の外殻
呪いとなった〈魔女〉ルージュが眠る地、荒れ地の咆哮が揺れる。
妖亜に集まった魔力が、空間を震わせていた。
ゴゴゴゴ、と地響きが鳴って――。
天蓋、根が張り巡ったそこから、土埃や小石が落ちてきた。
「わあ、凄い魔力量だね」
『思ってもないことを言うな』
「まさか、《夕闇に沈む遺灰の静寂》が……ガイアとヴェガを倒して、終わりとは思っていなかったでしょう~?」
「いいや? 所詮、〈魔王〉の《魔法》だし、期待はしてなかったよ。多少、驚きはしたけど……うん、それだけかな」
「あははは~、手厳しいですねぇ~」
どうやら、《夕闇に沈む遺灰の静寂》は、傀儡のガイアとヴェガを召喚するだけの《魔法》ではなかったようである。
いや、少し語弊があるかな。
召喚は、《夕闇に沈む遺灰の静寂》を真の意味で完成させる手順なのだろう。
「私が融合させたガイアとヴェガ、その根源をお教えしましょう~」
「別にいいよ。興味無いし」
「先程、女神ベルザと手違いがあったと申し上げましたよね~?」
「覚えてない」
『物忘れクソジジイ』
「当代星凱帝エレンさんの暗殺依頼をした、星灯録教会の枢機卿ドミニクさんの図らいで、女神ベルザが修道女として経営をする孤児院から、優秀な被検体を買わせていただきました」
ふと、僕は思い返す。
旧ベルザ教会で会ったベルザも、修道女になりきっていた。
「最近の女神って、そんな慈善活動に熱心なの? 優しいね」
『あまり私を褒めんな』
褒めてない、貴方のことは。
「どうでしょうねぇ~。私もそこまで女神の近況に詳しいわけではありませんが~、ベルザさんの活動は慈善というより、自己満でしょうねぇ~」
「女神の欲求も生々しいね、人間と大差ない」
「――ですね~。……だからこそ、この世界はいつまで経っても変わらない。偽物が支配者ヅラをしている間は……」
傀儡、ガイアとヴェガの魔力を吸収した妖亜は、それを融合させる。
僕の《深純の魔眼》に映るのは、数分前とは桁違いに増幅された魔力量だった。
紫色の唇を舌で湿らせ、妖亜は嗤う。
「過去の栄光に固執する〈神族〉も、現状維持を望む管理者の閲覧会も、レネイストには不要の代物。未来永劫、〈魔王〉がその圧倒的な暴威と惨劇を以て、世界を支配するべきなのです」
「君の欲求も大概だね。言っちゃ悪いけど、子供じみてる。何だかアホみたい」
『過去の栄光って、どのことだ? 私には誇れる実績が無さ過ぎて、思い当たらない』
面の皮が厚いクソ女神とは、悲しいものである。
『なるほど。それを誇れば良いのか』
メノア様が得心いったように呟いた。
勝手にしてもらって。
「子供じみていますか……ええ、ですが何時の時代に於いても、新たな未来を築き上げるのは若者、子供です~」
「君ってさ、口先だけは立派だよね」
「ノワールさんも、そうは思いませんか~? レネイストに〈神族〉や、その成り損ないといった不良品など要らない。支配階級の構造を撤廃しなければ、次世代は始まらない」
「主張が矛盾してるよ。君は……君達〈魔王〉は、世界を支配したいんでしょ。それは、ただ支配者が変わるだけじゃないの」
いいえ、と妖亜はかぶりを振る。
僕の目を見つめて言った。
「支配とは何ですか~?」
「知らないよ。考えたこともない」
「それ即ち、願望……いえ、思い込みです~」
「……思い込み?」
「ええ、想像をしてみて下さい。ノワールさん、貴方は他者に拳で殴られ、暴力を受けた~」
「受けてない」
僕は無傷だ。
「想像です。法律云々の観点は除外して考えますが、それは明らかな侵害行為。人権を、個人の尊厳を脅かしている」
「そうかな? 僕はそうは思わない」
「反論は聞いていません。続けます」
『普段、話し相手がいないから、持論を語りたいんだろうな』
それは、メノア様もでしょう。
フン、と鼻を鳴らすメノア様。
『偉そうに披露するほど、大層な持論は考えていないな。他の女神に対する悪口なら、幾らでもあるが』
僕も日夜、メノア様に向けた愛憎を溜め込んでいます。
今度、ぶっ放したいです。
『なにをだ。やめとけ。人様の迷惑になる』
相手が人ではない場合は大丈夫。
「暴行をされた。しかしながら、それは主観であり真実とは限らない。真実は証拠があって、はじめて成立する~」
「君は検察官でも目指してるの?」
「その証拠が、提示した者の思い込み、であったら~?」
「知らないよ」
「証拠だと確信していたそれが、実は思い込まされていただけだった。……誰に?」
「だから、知らないよ。メフィストテスじゃない?」
「そうです~。流石は天下の偽善者、ノワールさん。聡明ですねぇ~」
「ありがとう」
『正解なのかよ』
妖亜が両腕を広げる。
そこに魔力を纏わせて告げた。
「支配も同じです~。された側が思うことで、それは侵害に該当する。なら、思い込まさせてしまえば、どうでしょうか~」
『クハハ。持論じゃない。コイツの語りは、ご都合主義な暴論だ』
再び、妖亜の手先が伸びる。
《禍根を啄む爪》だ。
「ノワールさん。貴方の《権能》――《理を変転させる幻惑の坩堝》には、それが可能だ。ありとあらゆる秩序を変化させ上書きする。人の認識に干渉するのも容易でしょう~」
僕は《禍根を啄む爪》を観察して察する。
その《魔法》の能力と、妖亜の真意に。
「僕の《理を変転させる幻惑の坩堝》を奪って、レネイストを〈魔王〉の支配領域に改変する、ってことかな」
「ええ、ええ! ……ですので、非常に心苦しいのですが、もう数千年ほど眠っていて下さい~。《雪月花に舞う不死鳥》」
天蓋に地鳴りが轟き、彼我の間に岩が落ちる。
ドガァァァンッ!! と土煙が上がり、僕は目元に手をやった。
そのとき、朱色の閃光が岩の表面に走る。
直径が大きなそれを縦に割って、朱色の魔力を纏った妖亜が突貫してきた。
考え無しの先制ではない。
狙いは明白、僕の《権能》だ。
妖亜が伸ばした爪、《禍根を啄む爪》には、《権能》を簒奪する能力があるのだろう。
《禍根を啄む爪》の初撃を躱すと、僕は《悪戯な精霊の隠れん坊》で霧となる。
荒れ地の咆哮は、自然災害により生じた偶発的な魔力溜まり。
魔力の源である魔素は、空気中に多量にある。
周囲の魔素を利用する《悪戯な精霊の隠れん坊》の発動条件は整えられていた。
「残念、その〈精霊族〉の真似事は、もう通用しません~」
霧と同化した僕の身体が冷たさを感じる。
魔素に紛れて、花弁のような雪が纏わり付いていた。
「鬼ごっこ、隠れん坊の必勝法……それは、あらかじめ敵側にマーキングをすることです~」
「ズルは駄目だよ」
身体的な外傷はない。
僕の位置を補足する目印の役割。
「先にズルをした、貴方がたに言われる筋合いはありませんねぇ~」
「何の話かな」
「〈神族〉〈魔王〉、そして管理者の閲覧会の冷戦下に、転生をした神殺しの〈勇者〉というイレギュラーの介入は、〈神族〉側の不正行為でしょう~」
「〈魔女〉も、勢力図の仲間に入れてあげなよ」
「アレは、《魔法》によって生まれた人工的な産物ですからねぇ~。我々にとっては、元より脅威ではありませんので~」
「その三竦みの関係に、僕が邪魔だってこと?」
「ええ。取引は正々堂々、決められたルールに基づいて行われるべきです~」
妖亜が手で、細い枝を待っていた。
何の変哲もない、そこらに落ちていそうな枯れ枝を指で折る。
「冒険者ギルドに依頼を出されていたのは、私としても少々想定外ではありましたが、しかし当初の目的通り《記憶の外殻》の再誕が叶いました~。……ああ、ノワールさんが討伐依頼を受けた、記憶を奪う魔獣のことです~」
と、直後だった。
不気味にも地響きがやみ、荒れ地の咆哮が静まり返る。
「私の長い人生でも、〈魔女〉を造るのは初の試みでしたので、《記憶の外殻》が健康体で生まれるかは未知数です~。彼女の制御が出来るかも怪しい。……なので、もしもの時は私を守って下さいね~」
「嫌だよ。何言ってんの」
『私の次の次の次に厚かましい女だな』
そんな文句も、突如として起きた衝撃にかき消された。
僕の〈邪神族〉の身体が悪寒を覚える。
旧ベルザ教会で、零花を使ったベルザとの試験、宿屋『竜脈の畔』で、淫乱な〈聖女〉セラスに貞操を奪われそうになったとき、そして管理者の閲覧会の執行者カノンに、星を犯す災厄として執行を下されかけた時でさえ、僕はこれといって恐怖や焦燥は湧き上がってこなかった。
『当然だ。お前は鈍感なんだから』
だが、これは。
この異質な気配は――。
僕は《魔力波索敵》で探る。
それを見て、妖亜が醜い笑みを向けた。
「分かりますか~? 《記憶の外殻》の特性が~。ガイアとヴェガを殺して、私を出し抜いたつもりでいたのかもしれませんが、亜空間――《快庭煙》に閉じ込められた時点で、ノワールさん……貴方の敗北は決まっていたのですよ~」
「そっか。だから、あんなに安っぽい傀儡だったんだね。君自身、ガイアとヴェガが切り札とは考えていなかった。あのお人形さんは、君が魔力を吸収する為の道具に過ぎない」
「ええ~、《記憶の外殻》を呼び覚ますには、私の魔力だけでは心もとないですのでぇ~」
「《快庭煙》で、僕の力量に驚いてたのも演技かな?」
「そうですね~。転生したばかりで完全体ではないとはいえ、相手は神殺しの〈勇者〉灰ですからね~。ある程度の警戒と対策はしていましたよ~。……ですので、《快庭煙》の出入り口を、少し弄らせていただきました~」
僕が荒れ地の咆哮に出たのは、必然だったようで――。
《快庭煙》を展開した妖亜にとっては、造作もない調整なのだろう。
冒険者ギルドで依頼を受注した僕が来るのを、わざわざ待っていた点といい、《快庭煙》を挟んで、荒れ地の咆哮に誘い込んだこともそうだが――。
「やり口が回り諄いな。もっと、シンプルに襲えないのかな」
「ガサツなノワールさんには理解してもらえないでしょうが、策謀とは複雑なものなのですよ~」
「面倒な気質だね、商人は」
「職業柄は関係無いと思います~。……それに、最終的にノワールさんが《記憶の外殻》の餌食になっていただければ、過程における諸問題は許容範囲でしたので~」
そう言葉の応酬をしている間にも、揺れは収まらない。
寧ろ、激しさを増している。
地面に立っていると、バランスを崩しそう。
僕は《飛翔浮力》で身体を浮かす。
――ピシッ。
と、音が耳に入った。
目を向けると、荒れ地の咆哮を半分に分かつように巨大な地割れが発生しており、その亀裂は老木、巫女の枝葉にも及んでいる。
「こんな不敬な真似をして、怒られないかな……〈魔女〉ルージュさんに」
「許していただけるでしょう。この私が保証します~」
『どの私だ』
「それに、《記憶の外殻》の再誕は、不敬だとは思いません。私はこの世界に、新たな神秘を生み出そうと、純然たる心意気で望んでいますので~。〈魔女〉を敬う気持ちはあれど、蔑むことはありえません~」
「立派だね」
余裕綽々といった様子で喋っていた妖亜。
その背後に移動していた僕が、《開闢》――《墨滅付》に変色した暁灯瑠刀フォルラリスで、首を掻っ切る。
「――ッッ」
寸前で反応した妖亜は、しかし回避はしきれない。
墨色の刃先が、首筋に赤い線を残した。
「要はさ、《記憶の外殻》が生まれるより先に、君を殺せば済む話だよね」
「……あ、はは。それが出来るのであれば、ですがねぇ~」
と、微かに冷や汗を浮かべる妖亜は、引き攣った笑みで虚勢を張る。
構わず僕は《墨滅付》で首を狙い、追撃をした。
「予定調和だって、言ってたけどさ」
「はい……?」
「一つだけ、君の予定にはない事があるんじゃないかな」
「…………」
《墨滅付》の作用は、妖亜も体験している。
それを食らい、体質が犯されるのを警戒してか、僕に近付かれないよう立ち回っていた。
また《墨滅付》で斬られると、星力と融合して獲得した、不安定な状態という優位性を失ってしまう。
《夕闇に沈む遺灰の静寂》の、副次的な効果で魔力が増大したが、そのリスクは変わらない。
「用意周到な君が、《墨滅付》の対抗策を練っていなかったとは思えないな」
「あはは~、私は完璧超人ではありませんのでね~。見落とすことも偶には――」
「伝えられていなかったんじゃないの、僕の情報を横流しした提供者、ローズ……暁灯瑠刀フォルラリスの《開闢》に関しては、メフィストテスかな?」
「私も掌の上で泳がされていた側だと?」
「ん? 別にそうは言ってないよ。ただ、この一連の件の大元がメフィストテスの発案だとするとさ、事前に全ての《開闢》を、君に教えていても不思議じゃないのになー、って思ったんだよ。だって、そのほうが優勢に戦えるでしょ」
実際のところ、メフィストテスが意図的に隠していたのか忘れていたのかは知らないし、どちらでもいい。
僕が言いたいのは――
「〈魔王〉間で、どういった会合がされたのかは問い質さないけど、商人なら取引内容を熟考して引き受けたほうが良いと思うよ。……でないと、破産じゃ済まない悲惨な結果になる」
こんな風にね、と僕が一瞬で距離を詰める。
妖亜の細長い瞳に驚愕の色が浮かぶが、しかし。
それは迫る《墨滅付》への焦りに変わった。
僕と相対する用に、様々な策を巡らせ、荒れ地の咆哮を実行の舞台にしたのは、なかなかの博打だが賢い選択でもある。
荒れ地の咆哮で僕を始末する事で、メフィストテスの命令を完遂でき、ついでに《記憶の外殻》の実証実験を行える。
そんな、一挙両得な作戦。
――が。
欠陥は個人でやらなかったことだろう。
妖亜一人なら、情報の分散、そして仲間内での探り合いをする必要は無い。
〈魔王〉同士で協力、手を組んだのが裏目に出る結果となった。
『あの女狐に、良いように利用されたわけか、この自称商人様は』
クックック、とメノア様が嘲笑を漏らす。
僕は足に魔力を流し、速度を上げた。
《魔法》を連発するまでもない。
純粋な身体能力のみで、近接が苦手な妖亜には勝てる。
魔力が急激に増えたところで、何の脅威にもならなかった。
「とりあえず君の首を手土産に、この依頼が終わったらメフィストテスの居城に、出向いてあげようかな。……でね、こう言ってやるんだ。妖亜は、峠道で山賊に輪姦されて、快楽と高揚の果てに逝ってしまいましたってさ」
「そんな非現実的な妄言、誰が信じる……いえ、メフィストテスさんは信じるでしょうね。私が嵌められたのだとすると、死因の詳細など追求しないでしょうし~」
『素晴らしい信頼関係だな。現代の〈魔王〉も捨てたものではない』
薄情さは見習いたいものだね。
僕とメノア様も、そういう素敵な付き合い方をしていきたい。
【次話予告】
再誕する不安定な〈魔女〉――。




