31/『崩れ毒された月桂樹』
左の剣は鋭く、
右の剣は力強く、
二つの剣がこの身を裂かんと、瀑布のごとき勢いを以って襲い掛かる。
「アァアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
「く――――ゥ」
鋼を打ち鳴らす音がする。
勢いが殺しきれない。全霊を以って迎え撃つが、それでも腕が軋んでいる。
大剣を駆使してそれをいなす。
続く斬撃を幾合か撃ち合って――――隙を見つけて、横合いへと飛ぶ。
紡ぐ術式は必殺。
悪を払い、善を活かすための毒の槍。
絶対正義のその光線を、三十の雨として空へと撃ちだす。
「――――――――」
迫りくる小さき者はそれを意に介していない。
己の身を省みず、ただこの首を狙うためだけに追い縋る。
この小剣士には槍の雨を防げない。
当たり前だ。その男には才もなく技術もない。
慌てふためこうが、どれほど冷静に対処をしようが、その身を穴だらけにされるのがオチというもの。
故に、彼を守るのは大きな者。
大剣士はその身体をもって、主人を降り注ぐ雨から防ぐ。
その身を包む銀の体毛は絶対防御に等しい。人が紡ぐ魔術など文字通り小雨に過ぎない。アレはこの程度の脅威を、脅威とすら認識していない。
よって、此処に差が生まれる。
「シィ――――ッ!!」
「ぐ―――、っ―――――」
首へと迫る凶刃を、大剣にて受ける。
この男は、何の変哲もない剣士だ。
十把一絡げ。世に有り触れた凡百と同じ。
その剣技に理はなく、秘めたる意志も感じない。
どこにでもいるただの一人。在り呈に言ってしまえば、およそ何の才もない。
片手どころか、指の一本で相手をしてしまえるほどの弱者に過ぎない。
けれど――――、
首を刈らんと迫る、その狙いだけは。
命を貫かんと襲う、その意気だけは。
――――間違いない。
この男は獣だ。
殺意という点で語るのであれば、コレは既に至高の域に在る――――!
打ち合う二つの鋼が鬩ぎ合う。
敵の才は始点の話に過ぎない。
狙い良し、精度良し。そこを見通す眼力、それを成り立たせる技力は共に賞賛に値するが――――されど、撃ち合ってしまえば最後、コイツは凡人へと成り下がる。
今この時より、コレは腕力勝負。
既に密着してしまった剣には、純然たる力の土俵に引きずり落されるからだ。
だけれども、
「ッ――――!」
炎が瞬く。
奴の刀身。
何の曰くもないただの鋼の直剣。
その刃を覆う炎が何故か――――主の土壇場において、その勢いを増す。
あと少し。
愚かにも打ち込んで来た小剣士を、力によるカウンターで屠るまであと少しだ。
剣を受け、そのまま力で押し込んでしまえば、勝負は簡単に着くというのに――――炎がそれを許さない。
そしてあろうことか――――魔術による三度の強化を重ね、鍛え上げた腕が、
何の肉も、何の魔術の助けもない貧相な腕に、負ける。
「――――――――」
付き合いきれない。
これで何度目になるか分からない剣戟に、何度目になるか分からない後退にて幕を引く。
少年のがら空きの胴へと蹴りを見舞って、その勢いで距離を取る。
――――そして横合いより現れた銀狼の斬撃を、盾の魔術にて受けた。
「ぎィ――――!」
口に咥えた、大剣による一撃。
こちらは純然たる力の一撃だ。銀狼の咬合力と膂力によって裏付けされ、獣にのみ許される可動域より繰り出される、フルスイングの暴力の斬撃。
全力で構築した月桂樹の盾は、しかし囮にしかならない。
伝説が生み出す暴力の前には俺の固有魔法ですら敵わない。
盾の効果は打ち砕かれ、毒の効能は発揮する前に消え去っていく。
その隙間――――ほんの少しだけ生まれた時間で身体を捻り、強襲を躱すことに成功する。
そして狼は、その巨体を霧と同化させ、消える。
渾身の一撃を放った銀狼の隙をつくことは不可能だ。アレは伝承上の生き物。この大気に充満する霧は全てヤツの体の一部であり、経路の一つに過ぎない。
反則にも近い無敵の変体を前に、俺の手札の殆どは意味を為すことがない。
そして、そればかりを警戒するわけにはいかない。
あちらが大技で隙を生むのであれば、その回避をしたこちらに隙が生まれないわけがなく、
先ほど引き離したはずの小剣士がまた、野獣のごとき獰猛さで襲い掛かってくる。
これが――――この剣士たちの戦い方。
互いに会話なく入れ替わり、
互いに疎通なく庇いあい、
互いに容赦なく攻め続ける。
どれほどの修羅場を潜ったのか。
それとも、歴戦によって信頼関係を培ったのか。
もしくは――――そう成らざるを得なかったのか。
こちらを常に苦しめる獣たちの連携は、いっそ驚嘆してしまいそうなぐらいに憎らしく――――美しい。
「ハ――――」
思わず笑ってしまう。
なぜ銀狼などという生き物が此処にいるのか。
どうしてそんなモノが、敵として俺の前に立ちはだかるのか。
この世の不条理というものを、憎まずにはいられない。
「お前たちは本当に――――腹立たしい」
おそらくコイツは、喰ったのだ。仲間を。
俺が瀕死で永らえさせていた魔物を手ずから殺し、成長したのだ。
――――憎む心に変わりはない。
魔物共へのトドメを差さずにおいたこと。
あの時この剣士たちを屠れなかったこと。
そんな後悔をしていられるほど、俺の憎しみは弱くはない。
アレと同じ生き物たちには、俺たちが味わった苦しみを与えなければならない。
簡単には殺さない。この体を蝕む空虚を、絶望を、苦痛を、ありとあらゆる負の感情をもって地獄へと落ちろ。
……残り僅かの寿命を想う。
俺の役目を遂げるには、あまりにも短すぎる時間。
こんな強敵と戦っていては、他の臨界者を殺しに行くための余力がなくなってしまう。
されど。
この強敵に会えたことを、心から喜んだ。
こんなモノ、世に出てしまえば世界は終わる。
一夜にして俺と戦える次元まで上がってこれるその早熟性と、どんな英雄であろうと手こずるであろう強靭さ。
俺で良かった。
こいつらが最期に出会うのが、俺だ。
俺の最期をもって、この悪党共の命に終止符を打つ――――!
■
【汚れるのは俺だけでいい】
左胸へと手を当てる。
【汚れも穢れも、ありとあらゆる不浄もこの身に引き受けよう】
左半身を覆う自身の渇望を振り払い――――そしてこの身は毒へと堕ちる。
【苦しみは全て此処にある】
この身を蝕むこの苦しみが、どうか俺だけで終わるように。
【故にこの身は、死ぬまで変わることのない毒の華】
この身を蝕むこの憎しみが、どうかお前を終わらせるように。
【だからどうか何より長く毒に堕ちろ】
一秒でも長く、一瞬でも早く――――。
「渇望――――『崩れ毒された月桂樹』」
■
――――空間が捻じれる。
その言葉を放った瞬間、奴の左半身が、融けた。
そしてソレは、身に纏う鎧ごと、紫と黒の入り混じったドロリとしたナニカへと変貌する。
それは呪いだ。
絡めとったモノを死ぬまで犯し続ける猛毒の呪い。
蝕み、穢し、障り、喰らい――――未来永劫治ることのない、遅効性の絶対死を告げている。
僕の頭の片隅で、誰かが叫ぶ。
アレに触れれば終わるぞ、と。
先ほどまでの月桂樹の槍とは次元が違う。
輝きを捨て、容を捨て、己自身より溢れ落ちるその濃縮された毒は、例え同じ臨界者であっても超えることはできない摂理と化している。
異形の銀騎士。
右半身は人。
左半身は毒。
足元よりは流れ出した毒が沼となって拡がり、この空間を侵食し始める。
左半身より零れ落ちていく毒の滝より、禍々しい槍を掬い取って。
その男は、最期の戦いへと赴くのだ。
『――――見えるか』
霧より銀の狼の声が、耳朶を打つ。
あぁ、見えるさ。
アレが僕らの成れの果て。
狂って狂って狂い続けて――――どうしようもないほどに願ってしまった祈りの終着点。
『そうだ。アレは完成品。そして完成しているからこそ、成り損なっている』
どれほどの狂気と、どれほどの絶望に身を晒せば、こうなってしまうのか。
毒に溺れる彼の姿は、濃縮された悲劇を体現している。
彼は最期を求めている。
見れば分かる。既に左半身が死んでいる。
おそらくはひと月前に、彼は虚ろになった。
前途もあった。未来もあった。
けれど彼は、何らかの不条理によって仲間を失い、体を失い、そして寿命を失った。
彼は願ったのだ。
その不条理をこの身にと。
ありとあらゆる苦しみを一身に背負い、そして同じ苦しみを敵へと課す毒の運命を。
彼は死ぬまで変わらない。変わることはない。
なぜならそれが彼の在り方だ。他ならぬ彼自身がそう生きると決めてしまっているが故に、その生き様は死ぬまで変わらない。
――――その姿を見て、僕は、
――――間違っている、と感じた。
■
「毒へ――――堕ちろ」
全てを侵食する。
ソコに見境も容赦もない。
気体、液体、個体を問わず、苦しみの沼へと引き摺り堕とす絶対の原理。
抵抗は無意味だ。触れれば終わる。例外はない。
故に――――、
『――――ッ!?』
伸ばす毒の腕に危険を感じたのか、銀狼が飛びずさる。
鋭い獣だ。勘がいい。
一度触れれば二度と戻らない。コレはそういう類のモノ。
この身より溢れ出るこの毒は、この身に巣食う毒と全く同じ材料で構成されている。
苦しみを。
絶えることのない苦しみを。
「く、そ――――ッ!」
少年の方も気付いたようだ。
足元より迫る毒の沼は、走らなければ避けられない。
波々と地を蝕みながら広がり続ける毒の沼は、お前を犯しきるまで止まらない。
さぁ、逃げろ逃げろ逃げろ――――この空間を毒が満たし切るまで!
俺の命はあと少し。
されどこの程度の部屋など、毒で満たすまで五分とかかるまい。
訪れることのない限界を祈れ。
惨めに後ろへ下がって、地に蹲り苦しみに喘ぐといい。
ここに攻守は逆転する。
攻防一体の絶対毒。
触れれば終わりだ。
その瞬間、ありとあらゆる苦しみがその身を襲い、救いを求めるしかなくなるのは必然。
……そう、思っていたけれど。
「……馬鹿な」
「い――――づ、ァ――――」
愚かな少年は足を踏み出した。
毒の音がする。じゅぐり、じゅぐり。
灼けるような痛みが足裏を焦がし、絶叫するほどの苦しみとなって彼を襲う。
「アァアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
しかし――――少年は懸命に二歩目を踏み出す。
顔は苦痛に歪み、痛みに泣きそうになりながら。
足元を毒で濡らしながら。
それでも彼は、剣を構えた。
上半身は裸だ。
衣服を巻き取って、右手へと巻き付け、手と剣とを絞々に縛り付けている。
まるで、毒や痛みで手放してしまうことのないようにと。
毒の浸食を防ぐために身に着けるのではなく、敵を倒すための牙を覆うために、補強する。
……浅知恵にも等しい愚かな試み。
毒に壁など意味はない。
奴が身に着けている靴も、服も、例え銀狼の体毛であろうと、この毒は遠慮なく蝕んでいく。
「やはり、獣か」
勝算のない戦いに身を投じるケダモノ。
痛みを圧して、それでも俺を殺すために足を踏み出すその姿は、苛立たしいほどに意味不明。
――――そう、これは獣狩り。
――――自分と何らかかわりのない害獣を殺すだけの、ただの作業に過ぎない。
■
――――あぁ、愚かしい。
勝負は目に見えていた。
「苦しいだろう」
痛みとは慣れることができるものだ。
俺も最初はそうだった。
この穢れを含むと決めた時、脳を焼き、神経が削れるほどの痛みに身を裂かれ、ありとあらゆる絶叫にて生死の境を彷徨った。けれど、人間は慣れるものだから。頭が割れそうなほどに痛みを訴えてきても、やがては感覚が麻痺してきて、耐えられるようになる。
しかし、慣れには時間が必要だ。
「お――――ぐ――――っ!!!!!!!」
少年は毒沼を渡り、剣を振るう。
激痛に耐えるその精神は、少しは褒めてやってもいい。
「づ――――」
だが、肝心の戦闘が行えていない。
先ほどまでの鋭さは消え、そこにあるのは凡庸な男のみ。
殺意だけは感じるが、それだけだ。動きに精彩さがなく、明らかに思考を痛みに取られている。手を下すまでもなく、この男は毒によって自壊する。
「……その毒は俺の苦痛を内包している。お前も俺の怒りに触れ、苦しみ藻掻き、絶えるがいい」
軽くあしらって弾き飛ばす。
もはや立っていることも苦しいのだろう。少年は覚束ない足取りで毒沼へと倒れ込み――――そして更なる苦痛を味わうことになる。
故に、俺の敵はただ一匹。
主を守らんとその身を張る、伝説の獣に他ならない。
「出来の悪い主を持つと苦労するな」
そしてその戦闘も――――もうすぐ終わる。
「霧になれると言っても――――主を守るためには、姿を現さなきゃいけない。健気な王だ」
銀色は煤んでいた。
息も尽かせぬほどの見事な被毛は、既に見る陰なく毒に堕ちている。
全身が既に犯されている。当然だ。どれほど素晴らしい守護を纏っていようと、この毒に敵うものはないのだから。
『――――――――』
狼は奔る。
牙は崩れ、爪は消えた。三本残っていた脚はその全てが毒に侵され、既に痛みを訴える部位としてしか機能していない。
それでも。
狼は屈することはない。
牙がなくても、爪がなくとも、脚を失おうとも、体がある。
刻一刻と削れていく自身の身体を省みず、狼の王は宙を舞う。
誇り高く。
最後の最後まで、主を守るために。
『――――、――――――――――――』
「……なぜそこまで、銀狼がアレの味方をする」
大剣と毒槍を以って、憐れな狼の相手をする。
銀の狼は生ける伝説だ。
戦いの道を歩む者ならば、誰もがその有り様を知っている。
その爪牙に討ち砕けぬ者はなく、
その体毛は全てを阻み、
その身体は霧へと溶け、
その息吹は一切を灰燼と化す。
月夜を俟とう魔狼よりも強いと詠われ
暗闇を駈る黒狼よりも高尚だと謳われ、
地獄を統べる獄狼よりも懼れられ、
銀こそ至高にして絶対の色。
故に伝説。故に伝承。
幾百年の歴史を超える、御伽噺の英雄の一人。
狼族の王であろうと、その強さに疑いはなく、
人間であれど、その有り様に敬意を抱く。
祖は孤高の王。
例え種が違おうと、その佇まいは武人の憧れに等しく。
語られる逸話には寸分の欺瞞もない。
なのに、どうして――――。
〈分からないのか〉
脳に響く声が問う。
お前にはその程度も理解できないのかと。
〈夢を追う眩しさの価値を忘れたのか〉
――――なんだ、それは。
伝説が話す言葉は、まるで具体性がない。
だがしかし、それは、何かを自分が忘れているかのような――――。
〈光り輝く志が見えないのか〉
輝きなどいらない。
この身は既に堕ちている。そんなものを見ている暇などない。
……毒の槍を以って、その輝きとやらを穿とうとする。
しかし、銀狼は己の身を以ってそれを防いだ。
少年は守られた。しかし、穴が空くのが狼の身体に代わっただけのこと。
――――なぜ守る。
守るほどの価値などない。
お前は敵にすら称えられるほどの強者だ。
それなのに、どうして巨悪の種であるそこの弱者を守る。
――――その姿は、どうしてか、記憶の何かをなぞっていく。
「ぐ――――づ、ぁ」
苦しい。
命の残量が目減りしている。
足りなくなることなどない。しかし、乱用できるほど余裕があるわけでもないのだ。
思考に蓋を被せる。
所詮は獣の戯言と切り捨てて、目的をだけ心に刻み直す。
もはや勝利は揺るがない。
狼はもう数合も撃ち合えば死ぬ。
致死性の遅行毒は既に銀狼を犯し尽くし、体の九割以上を毒に染め上げている。
「――――終わりにしよう」
これは復讐の第一歩に過ぎない。
この愚かな者たちを殺し、他の臨界者も殺し、そしてあの臨界者も殺す。
俺はもう間違えない。
こんなところで時間を食ってやる余裕など、ない。




