26/シンデレラ
足取りが軽い。
まるで羽が生えたみたいだ。
今なら見知らぬ人にだって、優しくしてあげられそうな気がする。
――――好きって言われた、好きって言われた!
顔が赤くなっているのが自分でも分かる。
いや、実のところ、あれ以上聞くのが恥ずかしくて、耐えられなくて。
だから途中で遮ってしまったのだけれど。
それでも確かに、彼は私を好きと言ってくれた。
勘違いでも見間違いでもない。聞いてすらいないが、聞こえたのだ。
心が躍っている。
昂る気持ちが抑えられない。
身体の底から溢れてくるこの想いがあまりに心地良過ぎて、自然と足が速くなる。
前からずっと、気になっていた。
教会の子たちは恋愛というものについて、酷く敏感だ。
やれ誰かが付き合っているだの、やれ誰が誰を好きだのと、彼らはまるで楽しくて仕方がないように日々語っている。下世話な話だ。ゴシップ好きにも程がある。そんなことをする暇があれば、魔術の一つでも憶えるべきだと、横目で軽蔑しながら見ていたのは記憶に新しい。
それに、恋愛をしている奴らが分からなかった。
付き合っていた子たちは、研究や授業を蔑ろにしてよく一緒に遊んでいた。好き合う恋人同士という生き物は堕落してしまうのだ。それはおかしいだろう。だって私とお兄様はとても仲が良いけれど、互いに毎日怠けることなく努力を続けている。なんて腑抜けているのだと、その惰弱な精神を哀れに思っていた。
――――あぁ、これは堕ちても仕方ない。
陽だまりの中、隣り合って寝ころんでいるかのような。
いつまでもずっと、このままでいられたらと思いたいほどに。
どうしようもないほど、幸せな気持ちが、次から次へと私を飲み込んで放さない。
それはまるで魔法にかけられたかのようで。
シンデレラが王子様を待つ気持ちだって、今なら少しは分かる気がする。
こんな幸せなものに比べれば、世の中の全てに見向きもしないのは当然だ。
だから、頑張ろう。
帰ってきて、おかえりと言ってもらうために。
よくやったねと、褒めてもらうために。
あの言葉の続きを、今度こそちゃんと聞くために。
そのためなら、何だって出来る気がした。
◆
「……何、これ?」
おかしなものを目にしたのは、私が街道に辿り着いた頃だった。
昼頃に彼の元を飛び出したから、今はだいたいおやつの時間だ。予定より少し早く森を抜けた私は、そこで異常なものを目にした。
大量の荷車が、街道の端から端までを埋め尽くしていた。
目に見える範囲は全て荷車。あちらからこちらに続く街道を、長い長い荷車の列が黙々と移動を続けていた。
妙な光景だ。
私の住むソルトムリクはそこそこ大きな街ではあるが、ここまで大層な荷車の列など今まで見たことがない。そこまで物資が不足することもないし、商売の物品の入荷にしても相当な量となる。そもそも、この荷車は何を運んでいるのだろうか。
ただまぁ、渡りに船ではあった。
私は荷車の列に近付いて、護衛の人間を探すことにする。
「止まれ。何の用だ」
見つけた。
冒険者だろうか。腰の剣を抜き、こちらと距離を開けて威圧される。
私はマナーに則って、両手を上に挙げ、身分証を提示する。
「すみません、荷車に乗せて貰えますか? 遭難して困っているんですが」
「……ソルトムリクの、四大庭園家か。チッ、しゃあねえなぁ……取り合えずそこの荷車に乗れ。隊長に許可を取ってくる。あと、武器は絶対に抜くなよ」
「分かりました。ありがとうございます」
基本的に、こういった街と街とを移動する大型の商隊にはタダ乗りが出来る。冒険者の知恵というやつだ。
教会で学んでおいて良かった。活かしたのは初めてだったが、我ながら上手くいったものだと感心する。
護衛の人に言われた荷車へと乗り込むと、そこには休憩中なのか、また別の護衛の男が横になっていた。
彼は立てかけていた剣を手繰り寄せると、軽い調子で聞いてくる。
「……あんた誰? 冒険者か何か?」
「話すと長いんですけれど、街を出て迷子になってしまいまして。相乗りです」
「……まぁどうでもいいか。俺は休んでるから、誰か来たら起こしてくれ」
言って、再び横になる男。
緊張感がないように思えるが、明らかに武人の雰囲気を感じる。
これだけ長蛇の荷車の大部分を、それもさっきの男との二人で守っているのだろう。強い人なのだな、と感想を抱く。
彼は横になって目を瞑っているが、眠ってはいないようだ。
私はさっきから気になって仕方がないことを質問することにした。
「あの……この荷車、ソルトムリク行きですよね? もしかして戦争でも起こるんですか?」
「荷物はクソ多いけど、戦争の準備じゃねえな」
「では、どこかの大商会が店でも開くんですか?」
「そもそもこれはキャラバンじゃねえよ、嬢ちゃん。そこの荷車のマークを見りゃ……って、そうか。布で覆ってんだったな」
緩慢な動作で、男が荷車にかかっていた布を少し剥がす。
そこには、大量の壊れた武具が乗っていた。
どれもボロボロになっており、手入れもされず長いこと放置されていたのか、朽ちて根から腐っているものもある。
一体なんだこれは。敗戦処理をしたにしても、ここまで酷いことにはならないだろう。
「あー……嬢ちゃんには分かんねえか。俺らはギルドの者だよ。この荷車は全部ギルドの所有物で、運転してんのも、護衛についてんのも全部ギルドから駆り出されてる。そこに載ってる武具とかは全部、とある依頼の収集品だ」
「依頼?」
「オークの集落の壊滅依頼だ。あそこを一人で潰した奴がいてよ。で、魔物の持っていた武具は取り合えず全部回収義務があるだろ? こんな量、普通じゃ運び出せねえから、俺らが呼び出されたってワケよ」
確かに、魔物の武具には回収義務がある。
ただ一つの例外なく、魔物の扱っている武具は元々人間のものだ。
討伐者が所有権を放棄した場合、遺族が武具を引き取りたいと願う事例は非常に多いため、些細なものであろうと回収するのがルールである。
なるほど。だからこんなにくびれた武器や防具を積んでいるのか。
山と詰められたそれらは、どう扱おうが金になりそうもない。だが、ギルドの依頼として得たものであるならば、回収しなければならないのだろう。
「しっかし、探せば出るわ出るわ……国もひでえよな。暇してる騎士共を数人ぶつけりゃすぐに駆逐できるだろうに、田舎だからって放置しやがって」
……そこまで聞いて、動揺する。
「……この長い荷車の列って、全部そのオークの集落での戦利品なの?」
「そうだぜ。俺たちより前の荷車に質のいい武具や牙が、んで俺たちのところがガラクタ置き場ってところだ。良かったなお嬢ちゃん。もう半刻ほど荷車に乗るのが遅れてたら、死体と一緒に揺られることになってた」
こんなにも膨大な戦利品があるのか。
というよりも、オークの集落と言えば恐ろしく危険度の高い場所だ。ジェネラルやキャスター、キングもいるだろう。並の冒険者では太刀打ちすらできない。
それをたった一人で倒したのか……?
他にも色々と聞きたかったが、護衛の人間が欠伸をした。
彼は業務中だ。これ以上は流石に邪魔になると思い、ここで切り上げる。
「教えてくれてありがとうございます」
「おう……肉や皮は途中から別の街にいくが、前とこの荷車はソルトムリク行きだ。今夜中には着くはずだから、疲れてるなら眠っときな。ボエドロの奴が起こしてくれる」
◆
段々と太陽が傾き、日光が夕焼けとなり、やがて山の向こうへと隠れていった頃。
日が沈んで少ししたあたりで、ようやく見覚えのある街の姿が確認できた。
私の故郷、ソルトムリクだ。
遥か前方では大門が開かれ、おそらく荷車の最前列では街へ入るための手続きが行われている最中だろう。
私はそれを確認すると、荷車から飛び降りた。
「ありがとうございました」
「おう、迷子も程々にな」
気の良い護衛の人には、どうやらバレていたらしい。
あんな僻地でお腹を満たした少女など、迷子であるわけがない。触れないでくれてありがたいものだ。
大門の横、人が出入りするための門へと走って近付く。
見覚えのある顔が見えた。彼もこちらを確認し、誰か分かったのだろう。目を見開いている。
「ただいま」
「アネモネじゃないか。無事だったのか」
「ごめんなさい。少し迷子になっていたの」
「良かった、良かったよ……無事で何よりだ。皆探していたよ。捜索隊も何度か出たが、見つからなくてなぁ……」
「……ごめんなさい」
ソルトムリクの門番の男性は、幼い頃からの顔見知りだ。
彼は少し涙目になりながら、頭を撫でてきた。今も私が生きて帰ってこれたということを、どこか半信半疑になりながら確かめている。
本当に心配してくれていたのだろう。
感謝の気持ちと、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
しばらくそうしていると、そうだ、と思いだしたように彼は言い聞かせるようにして話してきた。
「今日のところは家に真っ直ぐに帰りな。シスターや市長への報告は私がしておくから」
「……何かあったの?」
「お兄さんだよ。ローリエが帰ってきていて、君のことをとても心配していた」
――――お兄様が帰ってきてる!?
「すぐにお兄さんのところへ行って、顔を見せてあげなさい。いいね?」
私は礼を言って、一目散に走り出した。
中央道を抜けて道具屋の裏手、三番路地を抜けて抜けて、教会の前を駆け抜ける。
更に奥、真っすぐいって突き当りを右。いつものパン屋の隣で、立ち止まる。
木造建ての小さな家だ。
幼い頃から住んできた、私とお兄様のおうち。
その、どこか懐かしいドアノブを手で取って、回す。
「……暗い」
家の中は真っ暗だった。照明は全て落ちていて、月明りだけが照らしている。
窓を見た時に分かっていたことだ。お兄様は今は出かけているのか、この家には誰もいないみたいだった。
少しガッカリした気分で、横に合った照明のスイッチを押す。
そして、驚いた。
男性がいたのだ。
彼は明るくなった部屋の中、じっと食卓のテーブルに座っている。
私からは背中しか見えないため、顔が分からない。
恐ろしかった。
明かりもつけず、一体何をしているのだ。
気配も何も感じ取れず、ただそこに座っているだけのその男は、明かりがついたことにも全く気付いておらず――――
「……お兄様?」
ふと、その後ろ姿に思い当たる人の名を呼ぶ。
反応がない。
寝ているのだろうかと思って隣の椅子に駆け寄り、その顔を覗き込む。
――――やっぱり、お兄様だ!
端正な顔立ち、スッと通った鼻筋、綺麗な金色の短髪。
まるで物語の中の王子様のように美しい、そして懐かしい兄の顔がそこにはあった。
ただどういうわけか、反応がない。
目が虚ろだ。ここではないどこかを覗き込んでいる。
その瞳に何か良くないモノを感じて、肩をゆする。
「お兄様」
「……アネモネ?」
ようやく気付いたのか、青年がゆっくりと顔をあげる。
茫然自失としていた彼は、横合いから覗き込むようにしているアネモネを確認すると――――やがてその目は、生気を取り戻したかのように色を戻していく。
「アネモネ」
「はい、アネモネです。おかえりなさいお兄様……そして、ごめんなさい。今帰りました」
「アネモネ……」
彼はゆっくりと、その大きな腕で私を抱きしめてきた。
逞しくて、優しくて、そして……とても力強く抱きしめられた。
「よかった……アネモネ……」
「……」
私の肩に涙が落ちてくる。
ぽたり、ぽたりと零れる雫の感触が、お兄様が泣いているのだと教えてくれる。
あぁ、そうか。
お兄様は、私を心配してくれていたのだ。
子供が街の外に出て、その日の夜までに帰ってこなかった場合、基本的には死んだものとして扱われる。
生存率は限りなくゼロに近い。誰もが知っているのだ。子供は幼い頃から外の危険について何度も何度も教えられて育つ。街の外で一夜過ごすことがどれだけ無謀なことか理解する。それでも言いつけを守らないということは、不幸に見舞われたとしか考えられないから。
あれから何十日経ったのだろう。
帰ってきて私が行方不明だと知ったお兄様は、何を思ったのか。
申し訳なくて胸が熱くなる。
ごめんなさい。不運に巻き込まれたわけじゃないの。私が無理をしてダンジョンに行ったのが原因なんです。
心配させてごめんなさい。私は危険な目になんて合ってなかったんです。
私が草十郎たちと楽しく過ごしている間、どれほど彼を心配させたのだろう。
お兄様との連絡がつかないというだけで、居ても経ってもいられずに走り出した私のように、彼もまた、私がいないことを知って苦しんだのだろう。
私たちは兄妹だ。
世界にたった二人しかいない、家族なのだ。
「ごめんなさい、お兄様……」
「いいんだ、いいんだ……よかった……無事でよかった……」
嗚咽交じりに、お兄様は私の頭を撫でてくれた。
そこには普段の美しさはどこにもなく。
恥も外聞もかき捨てた子供のように、彼は私を強く強く抱きしめた。
◆
「ごめんな……夕食の準備をするから、少し待ってて」
ひとしきり泣いた後、お兄様は恥ずかしそうに立ち上がって、台所の方へと向かっていった。
目元が真っ赤だったし、鼻水でぐしょぐしょだ。普段は教会の子や街の人にキャーキャー言われているのに。イケメンが台無しである。
――――そう言えば、似てるな。
料理をしているお兄様の姿が、一人の男の影と重なる。
誰かを心配できる優しさ。
弱くて心配になる可愛さ。
あぁ、なんだ簡単なこと。お兄様は草十郎に似ていて、草十郎はお兄様に似ているのだ。
もちろん、お兄様の方が百倍カッコいいし、百倍強いし、百倍イケメンだ。
けれどどうしてか、二人の面影はそっくりそのまま、重なっては揺れていく。
いつか、二人を会わせてみよう。
私の好きな人同士だ。きっと仲良くなってくれるだろう。
「……どうしたんだい? 何か、俺の顔がおかしいかな」
「ううん。お兄様の顔は今日も素敵よ」
「からかうなよ……お前も可愛いさ」
懐かしいお兄様の笑顔だ。
お兄様と最後に会ったのはいつだろう。一年以上は間が空いている。
そんなに長い時間会っていなかったのに、笑顔を見るだけで、会話を一つ交わすだけでこんなにも安心できるのはなぜだろうか。
……背がちょっと伸びただろうか。
顔立ちも、どことなく男前になっている。
体格も良くなっていた。あれからずっと鍛錬を欠かさず続けているのだろう。
目の下のクマが濃いのは、多分私のせいだ。いくら謝っても足りないほどに、迷惑をかけてしまった。
でも、何も変わらない。
姿形は成長しても、発する声が、頭を撫でる手が、私を見る眼差しが、お兄様がお兄様のままであることを教えてくれる。
だから安心できるのだ。
ここが帰ってくる場所なのだと。これこそが私にとっての家なのだと、そう実感することができるから。
料理が終わったのだろう。
彼はエプロンを外し、鍋を抱えながら食卓へとつく。
「出来たよ。と言っても、簡単なものだけど」
「作ってもらったのに文句は言わないわ。ありがとうお兄様」
二人で食卓について、いただきますを言う。
お腹は空いていた。目の前に出されたシチューを掬って、口へと運ぶ。
「……おいしい」
「良かった。昔、たくさん作ってただろう? 王都の方でも腕を磨いてな。シチューに関してなら、俺も結構な料理人になれたと思うよ」
「シチュー以外は?」
「……普通だ。俺はシチューを作る係だった」
なんだろう、その変な係は。
お兄様のパーティーには料理担当が存在しなかったのだろうか?
ただ、確かにおいしい。
昔ながらの味付けに、ほんのり甘い味が付けられている。
こういったところでも、お兄様が成長していたのだなぁという実感を得る。
ならば、私も良いところを見せないと。
「明日は私が担当するわね。それと、久しぶりに会えたのだから、試合がしたいわ」
「おっ、いいな。アネモネがちゃんとサボらずに練習していたのか確認してやる」
「お兄様こそ、剣の腕前はともかく、不得意だった洗濯や料理がちゃんと出来るようになったのか――――」
そこまで言って、眉をひそめる。
お兄様の衣服。
彼は室内用の騎士服を着ていた。騎士として認めれられた者全員に支給されるやつだ。襟首がついていて、腹の部分がしまっている。下は長ズボンで、楽にするためにゴム紐で腰が綴じられる造りだったはず。
支給品の色は、白だ。
それが、彼のものは真っ黒に――――いや、真っ赤というべきか。これはもしかして、血の色?
「あぁ……参ったな、これじゃ使えない」
私の視線に気が付いたのか、お兄様も自分の衣服の状態を、バツの悪そうな顔で見ていた。
「ちょっと待って。それ、どうしたの……?」
「出先から帰って着替えてなかったんだ。明日すぐ、また別の依頼を受けて君を探しに行くつもりだったから」
「……出先って?」
「オークの集落だよ。依頼があったから、請けてたんだ」
返り血だから心配しないでくれ、と言って、お兄様は上を脱ぎ、下着のシャツの姿になる。
保存魔法が働いているのか、血はシャツにまでは染みていなかった。
……荷車の上で聞いた話。
あの依頼を達成したのは、お兄様だったのか。
だとすれば、一人でオークの集落を?
信じがたい話だ。お兄様は確かに強いが、多対一は更なる実力が必要となる。遠距離の魔術師ならともかく、近距離の剣士であるお兄様がオークとまともに戦うとなると、一体どれほどの力量を必要とするのか。
私の疑問を感じ取ったのか、お兄様はニヤリと笑った。
「凄いだろ。王都で結構揉まれてきたんだ。あの程度、今の俺なら余裕さ」
冷や汗が流れる。
実戦は何よりの経験になる。王都の、それも騎士見習いともなれば相当辛い任務を請け負うはずだ。劇的な成長を遂げたと言われても、納得するだけの理由はある。
我が兄ながら、末恐ろしい成長をしてくれたものだ。
軽く戦慄している私を見て、ほくそ笑むお兄様。
彼は少しの間を空けて、それから明るく尋ねてきた。
「まぁ俺の話は良いんだ……アネモネの話が聞きたいな。どうだった? 俺のいない一年は。おねしょの片付けも一人で出来るようになったか?」
「いつの話をしてるのよ……私だってちゃんと成長してるんだから」
「……魔術の階梯試験は、受けたか?」
「……それは……ごめんなさい。私もお兄様と同じ、騎士になりたい」
目を合わせられなくて、顔を伏せてしまう。
お兄様は、私が騎士になるのに反対している。
理由は単純だ。騎士は前衛であり、被弾が多い。顔に傷が残ったり、体を怪我したりする者は後を絶たない。
私には魔術の才能がある。
だから、そっちだったら。魔導を極めるための研究に没頭するなり、後衛として簡単な任務を負うぐらいにしてほしいと、言われた。
心配してくれているのは分かっている。
だが、机に齧りつくのはどうしても苦手だ。
それに何より、誰かに守ってもらうだけの生き物になんてなりたくなかった。
……叱られるだろうか。
そっと顔をあげると、お兄様は困ったような顔をしていた。
「仕方ないな……アネモネが決めたんだったら、それでいいよ」
「……怒らないの?」
「そりゃ怒って今すぐ変えてくれるなら助かるけど、そうじゃないんだろ?」
「……うん」
「なら仕方ない。好きなようにやるといいさ」
彼は良い笑顔を浮かべながら、スプーンを口へと運んだ。
いい兄だ。
こんな家族を持てて、私はなんて幸せ者なのだろう。
血の繋がりはない。互いに後ろ暗い過去を持つ。けれど、そのせいでお兄様に出会えたのであれば、このくそったれな生まれに感謝してやってもいいと思う。
「それで? 剣士になるって決めたからには、ちゃんとガナルランド流の稽古を続けてるんだよな?」
「ねぇ、お兄様」
だから。
私は、お兄様に話すことにする。
お兄様なら、草十郎の夢を助けてくれる。
「聞いてほしい話があるの」
「……うん、どうした」
――――それから私は、草十郎たちのことを話した。
内情は伏せて、あのダンジョンコアと一緒に練習した内容を、出来る限り丁寧に説明する。
信じてもらえるように、けど嘘偽りなく、彼らの夢をお兄様に語る。
お兄様は、信じてくれるだろうか。
彼は、じっと私の話を静かに聞いてくれた。
長々と、シチューが冷たくなっても、真剣に耳を傾けていた。
そして、話が終わる。
「……それで、お兄様」
「いいよ」
「――――」
「話は分かった。要は俺に協力してほしいってことだろう? なら、手伝ってやるよ」
何の気なしにかけられた言葉に、思わず唖然としてしまう。
いやだって、結構大変なことなのだ。
それなのにこの人は、そんな安請け合いをして。
「……いいの?」
「アネモネがやりたいんだろ? なら、手伝ってあげるのが兄の役目だ」
残していたシチューをかきこみながら、彼は食事を再開しようと言う。
その、当たり前のことを当たり前のように行っているかのような姿はとても呆気なくて、けれどなんだか、笑ってしまった。
肩の荷が一瞬で降ろされた気分になる。
あぁ、そう言えば、こういう人だったな――――。
「ありがとう」
私も彼と同じように、目の前の食事を片付けにかかる。
冷たいシチューが、とても暖かかく感じた。
◆
お風呂からあがると、部屋の電気は消されていた。
寝室へと入る。
小さなランプの下、お兄様は寝間着に着替えて、何か古びた手帳を読んでいた。
私は邪魔をしないように、そーっと隣にある私のベッドまで忍び足をして。
やっぱりこのベッドじゃないな、と思い、お兄様のいるほうへと潜り込むことにする。
「……もう一緒に寝るって年頃じゃないだろ」
乙女心の分かっていないお兄様が、入ってきた私に常識を語る。
触れないでほしい。今日はそういう気分なんだから。
「ダメですか?」
「いや、いいぞ。アネモネが許すなら何歳になってもオーケーだ」
キリッとした顔で了承されるが、多分もう一緒に寝る日はこないだろう。
今日だけ。特別な今日という日だけだ。
お兄様のベッドはひんやりとしていた。
また体をあまり拭かずにいたのだろうか。そういうズボラなところは、いつになっても直る気配がない。
ベッドは狭かった。
お兄様も大きくなっているし、私だって少しは成長している。
布団を潜って潜って、ぽこんとお兄様の横へと顔を出す。
「何読んでるの?」
「これかい? ……日記みたいなものだよ」
「へぇ……意外」
「俺のじゃないさ。友達の日記だ」
彼はそれを折りたたむと、枕元へと預け、ランプの光を消してしまった。
ズルい。私にも読ませてくれたって良いと思う。
月明りだけが差し込む部屋で、彼に抱かれて横になる。
「お兄様はいつまでこっちにいれるの?」
「……そうだな。少なくとも、一週間は一緒さ」
「じゃあじゃあ、私買い物に行きたいわ! お金になりそうな魔道具がいっぱいあるの! だから、珍しいものとか、服とかを買って、届けてあげないと!」
「さっき言ってたダンジョンの奴らにか。良いんじゃないか? きっと喜んでくれるさ」
「モンスターにね、おっきな虎がいるの。私によく懐いてて、背中に乗せてくれるのよ。そうだ! あの子にも洋服を着せてあげたいわ!」
「それじゃあ、明日の俺は荷物持ちかな。でもなアネモネ、先にまずシスターのところへ行かなきゃだ。彼女もとても心配していた。無事な姿を見せてやってくれ」
「……そうね、謝らないといけないわ」
明日はやることがいっぱいだ。
迷惑をかけてしまった人たちにも謝って回らないといけないだろう。
けれど何よりも、お兄様が一緒にいる。
草十郎たちのことも心配だが、お兄様との大切なひと時でもある。彼がまた王都に戻ってしまう前に、いっぱい思い出を作っておかないと。
「明日は八時くらいに起きようか」
「遅くない? もうちょっと早く起きないと、一日が勿体ないわ」
「僕もお前とやりたいことはいっぱいあるけれど……僕が疲れてるんだ。多分起きれないと思う」
あぁ、そうだ。
おそらくあの依頼とやらを終わらせたのは今日のことだろう。血まみれの恰好だったのだから、気付いてあげるべきだった。
だったら私は、早起きをして家の掃除をしよう。
寝ぼけて起きてきたお兄様に、綺麗な家で過ごしてもらうのだ。
朝食も作っておこう。きっとよく出来たねって褒めてくれるはず。
「それじゃあ、おやすみアネモネ」
「おやすみなさい、お兄様」
お兄様のひんやりとした腕に包まれて、目を閉じる。
あぁ、幸せだ。
まるで魔法にかけられたかのように、全てが順調に回っている。
今日はいい夢が見られそうな気がした。
だから私は気付けない。
長年一緒に過ごしてきたのに、慮ることすらできていない。
隣でこうして寝ていても、感じ取るのは私にとって都合のいいことばかり。
いつも私は間違える。
いつだって本当に欲しいものは手に入らなくて。
いつだって大事なものを救えない。
手の平から零れ落ちていくことにすら気付けなくて、ただ黙って見過ごすだけ。
愚図で鈍間なシンデレラ。
彼女は私よりお利口だ。
十二時の時計を忘れていても、裸足で走って逃げだした。
愚か者は私の方だ。
惨めで無知な卑怯者。
悲劇のヒロインを嫌っておきながら、結局そこに立っている。
やりたくないと願っていたのに。
結局、引き金を引いたのは私だったという話。
――――魔法はいつか解けてしまうものだと、どうして学べなかったのか。
この夜を、絶えず悔いることになる。
死にたいほどに。やり直せるなら、命なんていらないと思うぐらい。
最期の最期の最期まで愚かだった自分を、殺してやりたいとすら希っている。




