21/相対の剣
「起きなさい」
朝を知らせる声が聞こえた。
意識が眠りから醒めていく。もう最近ではすぐ起きられるようになっていた。習慣とは恐ろしいものだ。体はだるく、頭はまだぼんやりしているが、それでも布団から起き上がれる。
「あら、寝起きは良いのね」
「……? 水晶?」
「あのアバズレと一緒にしないで貰えるかしら?」
なんだか声の調子がおかしいと思っているが、どうやら水晶じゃないらしい。
ベッドの隣を見てビックリする。そこにはアネモネが居たからだ。
「なんで、アネモネがいるの?」
「起きた時、おはようを言う相手がいないと寂しいでしょ?」
「……子供じゃないんだぞ」
どこかで聞いたことのある台詞に、記憶にある言葉で返事をする。
彼女はふふんと鼻を鳴らして、楽しそうに腕を引いてきた。
「さ、訓練しましょ訓練」
「……今から?」
「今からよ。昨日の夜はちゃんと見てあげられなかったからね。今日から私がしっかり教えてあげるわ」
なんだろう。やけにアネモネの気合が入っている。
寝起きにこのハイテンションはちょっときつい。
朝は確かに早く起きるが、運動のための時間じゃないのだ。集中できる時間と状態を活かしての座学を中心にしているため、起き抜けに練習稽古一発と言われても少し遠慮の気持ちが芽生えてくる。
……と、そこまで考えて、やめた。
やりたくない理由ばかり並べている。ノーから入ってはいけないだろう。
元よりアネモネから教えてもらえる機会を待ち望んでいた身だ。相手から提案してくれるのだから、これはいい機会だと思う。
それに、アネモネが元気になってくれたようで良かった。
笑顔で僕を引っ張る彼女の姿は、やはり見ているだけで楽しくなってくる。
「分かったよ。でも着替えと、洗顔だけはさせてくれ」
「着替えても洗っても見た目は変わらないわよ?」
「……もしかして僕、バカにされた?」
毒舌が絶好調である。酷すぎない? そりゃ俳優みたいにイケメンではないし、特にオシャレをしているわけではないけれども。
だが言っているあちらは美人である。うーん悔しい。カッコよくなるための努力でもしてみようか。どうすればいいか全く分からないが。
「冗談よ。少し待っててあげるから、すぐに支度してね」
「分かったよ」
そう言えばイケメンは洗顔料だとか、ワックスを使うんだっけか。あれ、でもこの世界にそういった文化はあるんだろうか? 美意識に然程違いはないと思うのだが、どうしたらいいのか分からない。
まぁ今は良いだろう。
取り合えずささっと着替えて、顔を洗い、寝癖を直して彼女の元へと駆け足。
準備が出来たと伝えると、男前になったわね、なんて返された。
これアレだな。気にするだけ無駄なやつだ。適当言って僕のことからかってるぞこいつ。
なんだかこっちが心配になってくるぐらい、アネモネのテンションがおかしい。
何か良いことでもあったのだろうか……?
◆
「はいやり直し。三ノ型は切り上げから下がって袈裟切りよ」
「あーーーーーーーーー」
僕の不安をよそに、アネモネの課した訓練はとても真面目なものだった。
もう何十回目になるかどうかも分からないダメ出しを食らって、僕はまた所定の位置へと戻っていく。
僕は今、型の練習をさせられていた。
十の型で構成される、彼女の剣の流派の稽古らしい。
決まり決まった動きを教えられ、それをただひたすらなぞる様にして繰り返している。斬ったり受けたりという基本動作のみで構成されたこの型稽古は、一つの型を終えると少しずつ位置がズレていき、全て終わった時にまた最初の場所へと円を描いて戻る様に構成されている。
僕は物覚えが悪いので、すぐ忘れる。
今もまだ、十の型まで辿り着くことが出来ない。
「はいやめ。また型以外のこと考えてたでしょ。六ノ型は振り向きから始めなさい」
「あーーーミスった」
「あーあー言わない。間違えるのが悪いのよ」
しかしどうして、型の稽古なのだろうという疑問はある。
てっきり木刀で斬り合ったりする模擬戦や、素振りの悪い癖を矯正してくれるのかと思っていたら、いきなり十個の型を見せられて、覚えるように指示された。
型と聞いたので必殺技か何かかと思えば、やっていることは基本動作の組み合わせだ。
しかも攻めや受けの動作まで固定化されている。理屈は分からないでもないのだが、こんなの実戦で使えないだろう。型なんていくら覚えても、敵は敵によって全く違う行動をするのだ。
なのになぜ、彼女は僕にこんなものを教えるのだろう。
上級者だからと取り合えず従っているものの、少し疑問を感じてしまう。
「はいやめ。剣に心が乗っていないわ。それと、五ノ型の締めはもう少し奥を斬るつもりでやりなさい」
「了解」
……ダメだな、余計なことを考えすぎている。
集中しよう。僕は武芸に対して初心者だ。そんな僕が練習方法にケチをつけるなんて、何様だということ。今僕がすべきなのは、彼女のことを信じ、この簡単な型稽古をさっさと終わらせることだ。
意識を切り替えひたすら繰り返す。
流石にもう試行回数が嵩み過ぎた。物覚えの悪い僕でも流石に覚える。
真剣に、次の動作のことだけを考えて十個の型を終わらせる。
少し難しい顔をしていたが、アネモネは「まぁいいでしょ」と及第点をくれた。
「じゃあ次は裏ノ型よ」
「……裏?」
「私の流派には百個の型があり、それぞれに対応した裏の百個の型がある。これらを十本ずつまとめて『流レ』と呼ぶ。さっき貴方に教えたのは『表ノ一ノ流レ』よ」
「なんでそんなに型があるんだ。というか、実戦の方が良い経験になると思うんだけど……」
「いいから見てなさい」
言って、彼女は舞うように十個の型を目の前で実践しだした。
全ての動作が繋がっているように見えて、ちゃんと十個の型に別れている。
それぞれの型は一応、相手の攻撃を受けてからカウンターで倒すか、先に攻撃して相手の攻撃を捌くという呈を取っているため、素早い動作の中でも切れ目があることを理解できる。
彼女はしっかり残心を切った後、一周して元の位置で剣を収めた。
うーん立派だ。取り合えず拍手をしておく。
「……拍手ありがと。それで、見ていて気付いたこととかない?」
「綺麗だったよ」
「そんな子供みたいな感想は求めてないの。はぁ……先が長いわ」
褒めたはずだが、盛大なため息をつかれてしまった。
「いい? 表ノ十に対して裏ノ十があるの。今やった裏ノ型は、全て表の動作に対応しているわ」
「つまり……二人で表と裏の型をやれば、戦っているように見えるってこと?」
「そうよ。私の学んでいるガナルランド流は『相対の剣』と呼ばれるわ。それを学ぶ上で一つ、絶対に忘れてはいけない教えがある。それは、剣は一人では振れないということ。孤独の剣に価値はないわ。相手がいて、敵がいて、観客がいて、そしてともに高め合える友がいて、そこで初めて剣技はその価値を持つの」
相手がいてこそ価値がある。
その教えは、一体どういう考えの元に生み出されたのか。
「この型稽古は元々二人で行うものよ。二人が型を覚え、それをなぞって表と裏に別れて実行するの。最初は遅く、段々速く。そして一定以上習熟したと二人が思えば次の流レを学んでいく。全ての流レを覚えたのであれば、今度は百個ある型全てを通して行う――――それがガナルランド流の稽古方法よ」
「……」
「不服そうね。でもやれば分かるわ。表ノ一、構え」
アネモネが構えたので、僕も構える。
表ノ一の型――――上段切り、一歩前進、跳ね上げ、一歩前進、袈裟切りだ。
教えられたとおりの動きをおそるおそる繰り出すと、彼女はそれに対応して体を動かした。
裏ノ一の型――――中段受け、一歩後退、下段受け、一歩後退、半身での躱し。
なるほど、こうやって対応されるのか、などと考えていたところで、脳天に一撃を食らう。
木刀とはいえ痛かった。力加減がされていない。
頭蓋骨に鈍い痛みを覚え、頭を押さえて床を転げまわる。
「バカ。気を抜けなんて言ってないわよ。二ノ型の最初は上段受けからでしょ」
「はい……すみません」
「もう分かったでしょう? これは基本動作を学ぶ稽古であり、同時に誰かを目の前において実際に斬りあう訓練でもある。ちなみに、流派の上位陣はこれを真剣で行うわ。寸止めなしの百倍速ぐらいでね」
「……なるほど」
なんとなく分かってきた。
多分、型を覚えることに意味はないのだ。
二人の人間が予定調和的な戦闘を行い、その速度を上げていく過程に意味がある。
「模擬戦なんかよりこっちの方が圧倒的に剣技が身に付くわ。貴方には基礎が何もない。攻め方も知らなければ、受け方も分からない。そういった初心者はまず型を学びなさい。型は合理性の塊よ。受け攻めのルーツがそこにはある」
確かにその通りだ。
僕はアネモネと戦っても、百中百勝てない。すぐに一撃貰ってしまうし、なんなら攻める前に仕留められる。それだけの力と技術の差がある。
だから型稽古なのだ。
これならばアネモネが何をしてくるのかが分かる。速度差や習熟度の差は埋めがたいが、それでも形にはなるだろう。攻めの手順、守りの手順が明確に定められているからだ。
俄然、やる気が湧いてきた。
「期限は今夜よ。後で裏ノ一を教えてあげるから、一人で練習しなさい。そしてダンジョン防衛が終わった後、私と一緒に一ノ流レをやるわ。型を覚えて、動作の意味を考えながら、出来る限り早く動けるようにしておいて」
宿題を出される。
アネモネはある程度力を抑えてくれるのだろうが、多分手加減してくれない。
僕が受けの型をミスれば容赦なく撃ち込んでくるだろうし、攻めの型が少しでも適当になれば剣を弾かれるだろう。
どんな時でも相手がいることを想定しろ。
ガナルランド流の教えとやらを、こちらが出来るようになるまで体に教えるということだ。
「スパルタだね」
「そうね、スパルタよ。やめたくなった?」
「冗談言うな。やってやる」
「表ノ一を覚えるだけで三十分もかかった劣等生が粋がるわね」
さっきはただ単純作業をやらされるのかと少しげんなりしていただけだ。
実戦に繋がると分かった今ではやる気が違う。型の十や二十ぐらいすぐに覚えて、少しでも動作の精密性と速度を増さなければならない。
言われっぱなしは癪だ。
見返してやるべく、僕はアネモネを挑発する。
「僕の方が速ければ、アネモネに一発打ち込めるってことでしょ?」
「いいわよ。私も容赦なく打ち込むから」
頑張ったらご褒美をあげる、と言って、アネモネは裏ノ一を僕に見せた。
僕はじっとその動きを観察し、一度で覚えるべく目に焼き付ける。
さぁ、後は反復練習だ。
あの生意気なお姫様に一泡吹かせてやらなければならない。
◆
ダンジョン防衛が終わってすぐに、皆の分の夕食を購入していく。
あれこれ食事の選択をしていくウルフたちを急かしながら、飯も食べずに立ち上がり、すぐさま彼女の元へと向かう。
『頑張れよ』
「あぁ!」
ウルフの応援に返事をしながら、心を躍らせる。
今の自分に尻尾がついていたら、きっと彼のように右へ左へ振っていただろう。
待ち遠しかった。
防衛中もずっと、彼女との稽古のことだけを考えて。
ようやく、その機会がやってきた。
「来たわね」
「勿論。今すぐやろう」
木刀を手に取り、軽く振る。
大丈夫、型は覚えている。嫌と言うほど繰り返し、頭の中で何度も再生した。大丈夫だ。型の間違いなどもう起こらない。
後はどれだけ速く、正確に、力を入れて動けるかということ。
彼女の想定する速さを上回らなければ、この稽古に勝ちはない。
僕が勇んでいる姿がおかしいのか、アネモネが笑って茶々を入れてくる。
「そんなにご褒美が欲しいの?」
「勝ちたいだけだ。このダンジョンにおける僕の戦績は0勝だからな」
「……哀れになってきたわ」
僕も言ってて虚しくなるが、事実だ。
モンスターは強すぎる。どれだけ我武者羅に数を重ねても、おそらく僕に劇的な成長期が訪れでもしない限り勝てなかった。
そこに垂らされたニンジンである。ちょっと高い位置にぶら下がっているが、問題ない。今まではニンジンすら下げて貰えなかったからな。
「手加減無用だ。さぁ、やろう」
「やりましょうか。一ノ型、構え」
言葉に合わせ、彼女の前で型を取る。
僕は上段。彼女は中段。
こちらが攻める型だから、開始は僕に任せられていて。
振った。
思い切り、上段から彼女を切り付ける。
動作に澱みはない。
続けて、剣を跳ね上げた斜め切り、上げた剣を振り下ろす袈裟切りの動作を取る。
「へぇ」
少し感心するような声がする。
予想はしていたが苦しい。
小さな口を開かせて、僕の剣への感想を述べる暇があるのか。
こっちがどれだけ細心の注意を払って攻めていると思っている。
綺麗に全てが受けられるが、彼女の動きに気を払う暇などない。
一ノ型は表が攻め。そして続く二ノ型は彼女が攻めだ。
上段、下段、中段の三連撃を懸命に受ける。
反応できる。攻撃の来る場所が分かって、受けるための最善手を知っていれば、遣り合えている。速さもまだ、ついていける範疇だ。
「テンポアップ」
「――――ッ!」
楽しそうに紡がれた言葉に吐き気がする。
だが、答えている暇はない。次の型だ。
勘弁してくれ。これ以上スピードが速くなると、こちらの余裕が、
「まだいけるじゃない、テンポアップ!」
「ふざ、けろ――――!」
三、四、五、六、七、八、九、十。
全ての型を終える頃にはもう、手足がどう動いているのか分からなくなっていた。
必死に記憶を辿ったはずだがあやふやだ。一撃も貰っていないのが奇跡に近い。僕、どうやって剣を振っていたんだ……?
ほんの数分の型稽古だというのに息が切れた。
滝のように汗が流れ、背中が衣服に張り付いているのが分かる。
そんな僕の無様な格好を、アネモネが腹を抱えながら笑っている。
「あはは! ほーらそうなる!」
「はっ……はっ……きっつ……」
「最初、ただの反復練習だと思って舐めてたでしょ? 多いのよねそういう輩が。歴史ある流派の、伝統にもなってる型稽古よ。意味ない訳ないじゃない」
図星だ。
反論したいが、息をするのが苦しいのと、自分が間違っていただけだと気付いて、やめた。
有り得ないぐらい疲れた。実戦よりよっぽど酷い。
あぁ、なるほど。本来はこうなる稽古なのか。
「ま、初回にしては上出来よ。根性のない奴は何も分からないまま、何も身に着けずに文句言って辞めてくから。草十郎はまだマシね」
「……そりゃどうも」
「疲れているのはちゃんとした証拠。人間は楽な方へ逃げるからね。適当にやってちゃ上達しないわよ」
そういうアネモネは、全く疲れていない。
これが今の実力差か。僕の限度が、彼女にとってのウォーミングアップに過ぎない。
これは勝てない。
一撃入れるどころか、貰わないことに必死である。
このダンジョン、僕戦う意味あるか?
僕よりやたら強い奴しかいない気がする。
「うん、よし。ご褒美あげるわ」
「……勝ってないぞ」
「頑張ったらあげるって言ったの、覚えてないの?」
……どうだっけか。何と言われたのか、全く覚えていない。
だが、施しを貰うようで惨めな気分がする。勝ちたくてやったのに、力の差を見せつけられるだけなんてあまりに情けない。
「私、このダンジョンの味方になるから」
「……え?」
などと考えていたが、全て吹き飛ぶ。
「水晶にはもう話したわ。明日から枷も外すし、防衛でも近くに寄らせてもらうから、よろしくね」
「ちょっと待て、待ってくれ……それはつまり、人間の敵になるってことでいいのか?」
「人は殺さないんでしょ?」
「……そうだけど」
「人と仲良くするだけのダンジョン……良いじゃない。協力してあげるわ」
人は殺さない。それは僕の主義であり、このダンジョンに徹底させているルールだ。
だが、どれだけ言葉を取り繕おうともモンスターに加担していることに違いはない。もしも運が悪ければ、仲間だった者に殺される未来だってあり得る。
本当に、いいのか?
彼女を欲しがっていたのは僕だ。戦力としてもだが、彼女が仲間になるのであれば次のステップを踏むことができる。けれど、そのために彼女を使うのでは、まるで利用しているようで――――
「……いいんだよね?」
「諸々織り込み済みで仲間になってあげるって言ってるの。喜びなさいよ」
「うん、嬉しいよ。嬉しい……ありがとうアネモネ」
喜びよりも、上手くいったのかという疑心の方が強かった。
アネモネに対するものではない。自分の想像通りにことが運んだのかという、己への疑いの心だ。
あぁ、良かった。
彼女が仲間になってくれたということは、おそらくは、そこまで僕の目標が間違っていなかったということだ。友好を示し、内情を曝け出し、腹を割って話をすれば会話の糸口ぐらいにはなるのだという光明が見えた。
まだ道のりは長い。
彼女は九歳の子供だ。物珍しさに絆されたのも少しはあるだろう。外の世界の大人や、地位ある人間たち相手にもコレをやらなければならないのだから。
「言っておくけど、先は長いんだからね。特にリーダーが情けないのは論外よ。せめてもう少し身長を伸ばして、肉を付けて、舐められないようにしないと」
「……善処するよ」
彼女の差し出した手を握り返し、握手をする。
ようやく第一歩を踏み出せた気がした。
「さ、次は裏表入れ替えて型稽古しましょうか」
「……実を言うと、裏の練習はしてない」
「だと思った。どうせ表で一本取れるとか高くくってたでしょ」
……そんなところまでバレていたようだ。
木刀で頭をコツンと叩かれ、裏の型を覚えるように言われる。
「剣にはね、相手が必要なのよ」
一緒になって剣を振るう最中、彼女のその一言が、やけに脳裏に灼け付いた。




